吉田拓郎【名曲ベスト50】TAKURO YOSHIDA Greatest 50 Songs

GOLDEN☆BEST 吉田拓郎~Words&Melodies~

1970年にデビューし、ボブ・ディランやビートルズ、R&Bやアメリカン・ポップスなどを消化した多彩なメロディーとリアルな歌詞による革新的な音楽で若者たちに絶大な支持を得、日本のポピュラー音楽に多大な影響を与えた破格の天才、吉田拓郎の名曲を50曲選んでみたいと思います。

わたしも14歳のときに彼の音楽に出会って衝撃を受け、なけなしのお金でLP盤を少しずつ買い集めながら、彼の音楽に深くのめり込みながら、なんとなく生涯変わらない、わたしの音楽の好みの土台みたいなものが形成されていったような気もする。その後、やはり彼の影響でボブ・ディランやビートルズを聴き、ロックの深い森へと足を踏み入れ、いつしかこんなブログまで書くようになっていったが、自分の好きな音楽をチョイスして何がどう好きかなどと書いていると、ああ、わたしの音楽の好みはやっぱり吉田拓郎の影響が大きいんだなあとあらためて気づかされることもしょっちゅうなのだ。どこがどうとはうまく言えないけれども、たとえば歌メロなんかはわたしはわりとはっきりしたものが好きだったり、あと、ある種のコード進行に必ず耳を惹かれて、ああこれは拓郎のやつだななどと気づいたりもする。それぐらい、結構な影響を受けていると思う。なにしろ中二病の典型みたいなやつなので、体に刻まれたみたいなものだ。

今回の記事を書くにあたって数か月間、吉田拓郎がこれまでにリリースした32枚のスタジオ・アルバムと16枚のライブ・アルバムを、あらためて懐かしさや新たな発見と共に繰り返し楽しんだ。これは名曲だなと思うものを書き出していると、優に100曲を超えてしまい、50曲に絞ることにすら苦労した。これまでもこのブログで様々なアーティストの名曲ベストテンなどを書いてきたが、50曲に絞るのも難しいアーティストなどもちろんいなかった。

その絞り込んだ50曲の名曲にランキングまでつけるという不遜なことをするわけだが、所詮はわたしの好みでしかない。でも最近の若い人は新しい音楽と同じように古い音楽も新鮮に捉えて積極的に聴くそうなので、ぜひ吉田拓郎の数々の名曲も聴いてほしいなと思いながら選んだつもりだ。少しでも参考になれば幸いです。

50. 人間なんて(1971)
作詞・作曲:吉田拓郎

よしだたくろう 人間なんて

歌詞も少ししかないし、内容もあまりないので、名曲と言えるのかどうかよくわからないけれども、1971年の中津川フォークジャンボリーで、まだ無名の拓郎が2時間近くもこの曲を歌い続け、気違いじみた盛り上がりをみせたというのが、吉田拓郎伝説の始まりだったのだ。

その後もつま恋や篠島のオールナイトライブのラストに、拓郎がそのまま燃え尽きて灰になるのではないかと思うほど延々と歌われたりと、数々の感動伝説を残してきた曲だ。最初に聴いたときのインパクトは忘れられない。

49. 僕の道(2012)
作詞・作曲:吉田拓郎

午後の天気

その「人間なんて」から41年後、吉田拓郎66歳のアルバム『午後の天気』の冒頭を飾る曲だ。

「人間なんて」では「なにかが欲しいオイラ、それがなんだかわからない」と歌っていたが、ここでは「この道が大好きだから、この道を行くんだよ」と明確かつ断固たる思いを、実に飄々と歌い上げる。やはり人生を長く生きないとわからないことはたくさんあるのだ。

わたしは還暦を過ぎてからの拓郎の歌が結構好きだ。この歌のように、びっくりするほど素朴なメロディーで歌われる平易で明快な言葉にも、やはり60年の波乱万丈を生き延びただけの重みや深みさを感じる。なにも格好つけず、背伸びする必要もないので、その正直さと説得力が掛け値なしに違うのだ。

48. ペニーレインでバーボン(1974)
作詞・作曲:吉田拓郎

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名盤『今はまだ人生を語らず』のオープニングを飾る曲だったが、歌詞に「つんぼ桟敷」という言葉があり、それを差別的なワードと勘違いした日本語も知らないうすらバカたちがいたようで、発表から15年も経っていながらCDは突如生産中止の憂き目にあい、1990年代にはこの曲を削って再発されていた。

そのうすらバカたちが誰なのかは知らないが、連中が全員死んだのか、あるいは時代がやっとまともな方向に流れを変えたのか、2022年の年末にめでたく本来のかたちで収録され、再発される運びとなった。めでたし、めでたし。

それにしてもよくこんなふうに歌えるなあといつも感心する。天性のリズム感の持ち主なのだろう。

47. 風の街(1976)
作詞:喜多條忠 作曲:吉田拓郎

風の街

前年に山田パンダに提供し、TBS系TVドラマ『あこがれ共同隊』の主題歌として使用され、オリコン19位のヒットとなった曲。拓郎自身のバージョンはフォーライフレコード設立から初めてのアルバム『明日に向かって走れ』に収録された。

原宿という街は拓郎が70年代に毎晩のように仲間と集まって遊びまわった言わば当時のホームタウンであり、「ペニーレインでバーボン」もそうだが、原宿の街を歌った歌は数多くある。

46. サマータイムブルースが聴こえる(1981)
作詞:松本隆 作曲:吉田拓郎

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81年リリースのアルバム未収録シングルだったが、2011年に発売されたシングルコレクション『ONLY YOU 〜since coming For Life〜 + Single Collection』に収録された。

拓郎自身も気に入っていた曲のようで、ライヴでもよく歌われたが、なぜか歌詞と曲の構成が改変され、オリジナルの通りに歌われることはなくなった。あれはなんでなんだろう。わたしはオリジナルのほうが好きなのだけれども。

45. こうき心(1970)
作詞・作曲:吉田拓郎

こうき心

1stアルバム『青春の詩』に収録された最初期の代表曲のひとつ。オリジナルはアコギ弾き語りの3拍子だが、バンドを付けたものや、4拍子にアレンジされたものなどが、ライヴバージョンやセルフカバーなどにいくつかある。ライヴ盤に収録されるたびに、今回はどんなアレンジなんだろうと期待させる曲でもあるのだ。

オリジナルの独特の雰囲気ももちろんいいが、73年、2012年の激しいライヴ・バージョンはたまらないカッコ良さだ。

44. 永遠の嘘をついてくれ(1995)
作詞・作曲:中島みゆき

永遠の嘘をついてくれ

1995年のアルバム『Long Time No See』の制作中に拓郎が中島みゆきを食事に誘い、自ら曲提供を依頼したという。

2006年のつま恋のコンサートでは中島がサプライズゲストとして出演し、この曲をデュエットし、あのライヴのハイライトとなった。わたしも観客のひとりだったが、ものすごく感動した。一生の思い出だ。

43. 冷たい雨が降っている(1978)
作詞:松本隆 作曲:吉田拓郎

ローリング30

キャリア初の2枚組LPとなった大作『ローリング30』は、全21曲中18曲が松本隆の作詞となった、「松本隆の世界」を味わえるアルバムにもなっている。後に歌謡界でヒット曲を連発するようになる松本隆のブレイク前夜の、創作意欲が炸裂している頃だ。様々なストーリーや、強く心に残る言葉がアルバムに横溢しているが、中でもこの曲の歌詞はわたしが最も好きなものだ。

雨の海岸の情景が目に浮かぶような、心を揺さぶるせつない歌詞に、拓郎がまた素晴らしくドラマチックな曲をつけた。松任谷正隆によるアレンジもまた素晴らしい。

42. この指とまれ(1981)
作詞・作曲:吉田拓郎

この指とまれ

81年のアルバム『無人島で…。』のオープニング・トラックで、アグレッシヴな歌詞のレゲエ・ビートの曲だ。

このアルバムはわたしが初めてリアルタイムで聴いた拓郎のオリジナル・アルバムであり、わたしは中学三年だった。「オイラとにかく大っ嫌いだね」と歌うその率直さにシビれたものだ。その後のライヴの終盤で演奏される定番曲のひとつにもなった、80年代の代表曲のひとつだ。

41. いつか夜の雨が(1980)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

いつか夜の雨が

ロサンゼルスのスタジオで、現地ミュージシャンを集めてレコーディングされた1980年の傑作アルバム『Shangri-La』からのシングル。プロデュースとアレンジはあのブッカー・T・ジョーンズだ。アルバムのアレンジはこの曲を含めて全部いい。この海外録音は大成功だったと思う。

拓郎にはレゲエ調の曲がいくつかあるが、中でもこの曲がわたしは一番好きだ。

40. 家へ帰ろう(2002)
作詞・作曲:吉田拓郎

家へ帰ろう (セルフカヴァー ver)

2002年のアルバム『Oldies』からのシングル。ノスタルジックで、自分の居る場所や周囲の人々をあらためて見つめ、なにが本当に大切なものか思いを巡らすような、吉田拓郎の作風になにか大きな変化が起こりつつあるのを感じた曲だ。初めて聴いたときに胸が熱くなった。

テレビ東京の『ガイアの夜明け』のテーマソングにも使用された。

39. たどり着いたらいつも雨降り
作詞・作曲:吉田拓郎

たどり着いたらいつも雨降り

原曲は広島でのアマチュア時代に組んでいたバンド、ザ・ダウンタウンズに在籍していた時に作ってバンドのオリジナルのレパートリーとなっていた「好きになったよ女の娘」で、この歌詞を書き直して、鈴木ヒロミツ率いるモップスというロックバンドに提供したもの。オリコンのシングルチャートで26位となっている。

拓郎自身のバージョンは、オリコンアルバムチャートで15週連続1位という記録を作った1972年の革新的な名盤『元気です。』に収録された。好みの問題ではあるが、わたしは拓郎バージョンのほうが圧倒的に好きだ。

38. 蒼い夏(1973)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

蒼い夏

夏の歌が多く、また派手なアレンジの曲も多い印象の73年のアルバム『伽草子』の中で、一見地味だが、ピアノと2本のアコギだけのシンプルなアレンジが美しい。岡本おさみの詞も、日常のありふれた情景を描いていながら、深い人生観や死生観などが感じられる名詩だ。

1999年の映画『学校の怪談4』の挿入歌として使用された(素晴らしいセンス)。

37. 夏休み(1972)
作詞・作曲:吉田拓郎

よしだたくろう・オン・ステージ!! ともだち

71年の2ndアルバム、ライヴ収録の『オン・ステージ ともだち』に収録された曲。

翌年のアルバム『元気です。』に再収録された、石川鷹彦との共同アレンジでのバージョン・アップ版の完成度がまた素晴らしい。わたしはこちらのほうが好きかな。

公式動画は『ともだち』のミニバンドでのバージョンしかなかったけれども、素朴さではこっちのほうが上かもしれない。

36. シンシア(1974)
作詞・作曲:吉田拓郎

シンシア

かまやつひろしとのデュオで74年にリリースしたシングル。オリコン21位。カントリー・ワルツ風の、のどかだが味わい深い曲だ。シンシアとは当時大人気のアイドル歌手、南沙織のニックネームだ。

あるとき拓郎が旅先で南沙織の「早春の港」がラジオから流れてきたのを聴いて、「この曲のアンサーソングを作ろう。シンシアに聴いてほしい曲を書こう」と思ったということらしい。

後に拓郎とかまやつ、南沙織の3人でTVでこの曲を歌う機会にも恵まれたが、たぶんだけど当時拓郎(既婚)は本気で南沙織のことが好きだったなとわたしは睨んでいる。

35. 竜飛崎(1974)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

芽瑠璃堂 > よしだたくろう&かまやつひろし 『(中古盤) シンシア / 竜飛崎(7インチ)』SWDNT02939

その「シンシア」のシングルのB面に収録されていたのがこの曲で、これもかまやつひろしとのデュオ。拓郎の天才と岡本おさみの鬼才がぶつかり合って激しく波立つ怒涛のような名曲だ。実はわたしは「シンシア」以上にこの曲が好きなのだ。

情景が浮かぶような素晴らしい歌詞はいかにも岡本おさみらしい。「ドロ運びのおばさん御達者で。竜飛崎よ、どてっ腹をぶちぬかれちゃったね」という日本語の力強さが凄い。

34. ひらひら(1973)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

ひらひら (Live)

もしも岡本おさみと出会っていなければ、いかに吉田拓郎といえどもこれほど大量の名曲は残せなかっただろう。初期の代表曲の多くは岡本おさみの作詞であり、70年代に限って言えば、わたしは拓郎の書く詞よりも岡本おさみの詞のほうが好きだったぐらいだ。

この曲もまた、岡本おさみの鋭い社会批評が冴える印象的な名曲だ。

33. 都万の秋(1973)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

都万の秋 (Live)

日本中を放浪しながら詩を書いた岡本おさみの歌詞は、吉田拓郎の洋楽的なポップなメロディと奇跡のような融合を果たし、拓郎の歌に日本のリアルな原風景と日本的な侘び寂びを刻み込むことになった。この曲も、島の情景や島民の表情まで目に浮かぶような素晴らしい歌詞だ。

わたしが地名が出てくる歌がなぜか異常に好きなのは、岡本おさみの影響がしみ込んだからかもしれない。

32. 春を待つ手紙(1979)
作詞・作曲:吉田拓郎

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当時のアルバムには収録されなかった79年のシングル。オリコン52位とあまりヒットしなかったが、名曲だ。このあたりは拓郎が作風を変化させながら名曲を量産した絶好調の時代。天才のさらなる成長を感じて恐ろしいばかりだ。

歌詞は想像上の二人の物語とのことだ。拓郎の歌にはそんな市井の人々を歌った想像力豊かな物語風の歌詞も多くある。

ギターは鈴木茂と青山徹という名プレーヤーの共演。印象的なチェンバロのリフは松任谷正隆だ。

31. 春を呼べⅡ(1981)
作詞・作曲:吉田拓郎

無人島で…。

81年の『無人島で…。』に収録された曲。カッコいいロックナンバーだ。わたしがこのアルバムの中で特に好きな曲だ。翌年にリリースされたライヴ盤『王様達のハイキング』のバージョンもまたいい。

「女はそんなに強くなくてもね 体を少しだけくねらせるだけで ああ君は抱かれているか 情熱にすべてをゆだねているか」と、今の時代ならきっと炎上してしまいそうな歌詞だが、この頃の拓郎の歌にはよくこんな歌詞が出てきたものだ。わたしは素晴らしい歌詞だと思うが。

30. すなおになれば(1988)
作詞・作曲:吉田拓郎

すなおになれば

88年のアルバム『MUCH BETTER』の先行シングルで、オリコン38位。

拓郎本人が出演したサッポロビールの「サッポロ・ドライ」のCMソングとしてサビの部分が使用された。

29. 慕情(2011)
作詞・作曲:吉田拓郎

慕情

2011年に配信限定シングルとしてリリースされ、1年後にアルバム『午後の天気』に収録された、21世紀の拓郎を代表する名曲のひとつだ。

65歳の拓郎が書いた究極のラヴソングは、真実味と説得力がすごい、グッとくるほど誠実で正直なラヴソングだ。その歌詞と同じくらいスケールの大きな、武部聡志の編曲もまたいい。

28. 純情(1993)
作詞:阿久悠 作曲:加藤和彦

純情(From AL「AGAIN」)

阿久悠、加藤和彦、吉田拓郎というBIG3によって制作されたシングルで、拓郎と加藤がデュオで歌った。

デビュー当時の拓郎が後にトレードマークとなるギブソンJ45を15万で譲り受けた師匠とのデュオだが、しかしこのオリジナル・バージョンはなんだか二人ともテンションが低い感じで、わたしはあまり好みではない。

その後のライヴ盤『豊かなる一日』やセルフカバー・アルバム『AGAIN』はアレンジも良いし、拓郎の明快なヴォーカルも曲に合っていて好きだ。

27. AKIRA(1993)
作詞・作曲:吉田拓郎

TRAVELLIN’MAN~L

93年の10月にNHKスタジオ101で行われたスタジオ・ライヴを収録したミニ・アルバム『TRAVELLIN’ MAN LIVE AT NHK STUDIO 101』に収録された曲。

幼少期の親友アキラのことを具体的なエピソードを連ねて歌った歌詞が素晴らしい、感動の名曲だ。

26. 我が良き友よ(1997)
作詞・作曲:吉田拓郎

我が良き友よ

1975年にかまやつひろしが歌って、オリコン1位となった大ヒットシングル。拓郎自身の歌によるバージョンはその22年後にセルフカバーアルバム『みんな大好き』に収録された。

歌詞で描かれる「バンカラ」な大学生は、拓郎の大学時代の友人がモデルらしい。拓郎が書いた歌詞の中でも最も印象が強いもののひとつだ。

25. とんと御無沙汰(1995)
作詞:阿木耀子 作曲:吉田拓郎

とんと御無沙汰

この曲も初めて聴いたときに心にジワーッと沁みるような静かな感動を覚えた。阿木耀子による、アラフィフの枯れ方をせつなくも肯定的に書いた歌詞が素晴らしい。これをきっかけに拓郎の歌詞も年齢に応じたよりリアルな方向へ変化していったような気がする。

80年代の半ばあたりからあまりわたしの好きじゃないタイプの打ち込みサウンドのアルバムが続いたけれど、このバハマで録音されたアルバム『Long Time No See』の生々しいバンドサウンドと共に、拓郎の大きな変化をすごく嬉しく感じたことを覚えている。

24. リンゴ(1972)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

リンゴ

放浪の詩人・岡本おさみはまた、ごくありふれた日常のリアルな描写も上手かった。日常のちょっとした変化や違和、微妙な心の機微のさりげない表現。この曲もそんな歌詞だ。

しかしなんといってもイントロから強烈な低音が響く超カッコいいアコギのスリーフィンガーが印象的だが、これは初期の吉田拓郎のトレードマークにもなったアコギ、ギブソンJ45を半音下げたチューニングで名手・石川鷹彦が弾いたものだ。

23. 祭りのあと(1972)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

祭りのあと

拓郎のアルバムで最も売れた72年の名盤『元気です。』に収録された名曲。

90年のアルバム『176.5』、2002年の『Oldies』にまったく別のアレンジでセルフカバーが収録されたが、やはりオリジナルが圧倒的に素晴らしい。

22. ビートルズが教えてくれた(1973)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

ビートルズが教えてくれた

最初に聴いたときはサビの「ビーーーーーーーートルズが」っていう大胆なメロディーの付け方が凄いと思った。

岡本おさみの歌詞も素晴らしいし、またなんと言ってもイントロのギターに始まるアレンジがカッコいい。下の動画ではそのイントロをキーボードが弾いているのはちょっと残念。

21. 外は白い雪の夜(1978)
作詞:松本隆 作曲:吉田拓郎

外は白い雪の夜

1番と3番が男性目線で、2番と4番が女性目線で書かれた、男女の別れのシーンを描いた歌。そのリアルな言葉が胸を締め付ける秀逸な歌詞は、松本隆の最高傑作のひとつと言えるかもしれない、泣ける名曲だ。

拓郎が生涯ただ1度だけ出演したNHK紅白歌合戦(1994年)で歌った曲でもある。

20. あゝ青春(1977)
作詞:松本隆 作曲:吉田拓郎

COMPLETE TAKURO TOUR 1979完全復刻盤 (特典なし)

もともとは1975年に放送された、松田優作と中村雅俊の刑事ドラマ『俺たちの勲章』のために書かれたインスト曲で、それに松本隆が歌詞をつけ、トランザムが歌ってシングルとして75年5月にリリースされた。

その3か月後に開催されたつま恋オールナイトライブのオープニングで、トランザムをバックにこの歌が歌われた。79年の篠島のオールナイトライブもつま恋2006の第5部でもオープニングで歌われるなど、ライブのオープニングの印象が強い曲だ。

スタジオバージョンは77年の『ぷらいべえと』に収録されたが、『COMPLETE TAKURO TOUR 1979』に収録された篠島の熱いライブバージョンがわたしは好きだ。

19. 結婚しようよ(1971)
作詞・作曲:吉田拓郎

1972年1月21日吉田拓郎「結婚しようよ」がリリース~「闘う歌」から「暮らしの歌」への大転換となった歴史的な一曲 – ニッポン放送 NEWS ONLINE

吉田拓郎を大ブレイクさせ、それまで「アングラ」「反体制」のイメージだったフォークを一気にメジャーにした、まさに日本のポピュラー音楽界の流れを変えた歴史的名曲。音楽的にもそれまでのフォークとは比較にならないほどポップであり、「ニュー・ミュージック」と呼ばれる音楽の先駆となった。

シングルは72年1月にリリースされてオリコン3位の大ヒットとなったが、半年後の6月に歌詞の通りに教会で四角佳子と結婚式を挙げたことでも話題になった。

加藤和彦のスライドギター、松任谷正隆のバンジョーとオルガンが印象的な、素晴らしいアレンジが大好きだ。

18. 元気です(1980)
作詞・作曲:吉田拓郎

元気です[EPレコード 7inch]

宮崎美子が主演したTBSの昼ドラ『元気です!』の主題歌として書かれた曲。

ドラマの主題歌の依頼が連続し、名曲を連発していた「傑作の森」の時期の曲だ。ドラマの主題歌は、その内容や脚本を知らずに作るのが常だったと拓郎は言っていて、この曲もまた「春を待つ手紙」と同様、得意の妄想力で紡ぎだした一人の主人公の物語だ。

しかしわたしは当時このドラマを見たことがあったが、これ以上ぴったりな曲はないと思えるくらいよくハマっていたものだ。

17. おきざりにした悲しみは(1972)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

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大ヒットした「旅の宿」の次のシングルとしてリリースされ、オリコン11位のヒットとなった。拓郎も絶賛したエレキギターの印象的なイントロは、当時19歳の天才、高中正義である。

オリジナル・アルバム未収録で、ライヴ・アルバムに収録されたこともないが、97年のセルフカバー・アルバム『みんな大好き』に新アレンジで収録されている。

16. 唇をかみしめて(1982)
作詞・作曲:吉田拓郎

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武田鉄矢が脚本・主演を務めた映画『刑事物語』の主題歌として、武田鉄矢直々の依頼を受けて書かれた曲。オリコン18位のヒットとなった。

広島弁の歌詞に胸が熱くなる、グッとくる歌だ。80年代の拓郎の代表曲。

15. 知識(1974)
作詞・作曲:吉田拓郎

知識

当時の知識人、今でいう評論家やコメンテーターみたいな人種をぶった斬り、「人を語れば世を語る、語り尽くしてみるがいいさ。理屈ばかりをぶらさげて、首が飛んでも血も出まい」と言い放つ激烈な曲だ。もしかすると拓郎が書いた歌詞の中でわたしが一番好きなのはこの曲かもしれない。「どこへ行こうと勝手だし、なにをしようと勝手なんだ」という冒頭の歌詞を鵜呑みにして40年生きてきた気がする。

オリジナルも良いが、79年のライヴアルバム『TAKURO TOUR 1979』のオープニングに収録された、ツインギターのイントロがカッコいい、力強いバージョンもまた素晴らしい。

14. 僕の唄はサヨナラだけ(1974)
作詞・作曲:吉田拓郎

僕の唄はサヨナラだけ

そうだと本人が言ったわけではないけれども、歌詞は四角佳子に向けられたものだろう。この曲が収録されたアルバム『今はまだ人生を語らず』のリリースとほぼ同時に、自身のラジオ番組で四角佳子との離婚を発表しているからだ。

もしノンフィクションだとしたらとんでもなく痛烈な内容だ。わたしがこの曲をすごく好きなのは、その非常識なほど痛烈な歌詞と、魂の歌メロ、そしてなんといっても瀬尾一三による凄まじくカッコいいアレンジである。

13. マークⅡ’73(1973)
作詞・作曲:吉田拓郎

マークII'73 (Live)

広島のロックバンド時代に書かれた曲で、拓郎のデビュー・シングル「イメージの詩」のB面に収録された曲。A面のボブ・ディラン風のフォーク・ソングとはまったく違うポップな曲調で、この2曲のカップリングは拓郎の音楽性の幅の広さを象徴的に表している。

この曲もライヴバージョンやセルフカバーが多く残されているが、やはり『ライヴ’73』のR&B風のロックバージョンが圧倒的にカッコいい。この傑作ライヴアルバムの中でも白眉のアレンジと言えるだろう。

12. ガンバラないけどいいでしょう(2009)
作詞・作曲:吉田拓郎

ガンバラナイけどいいでしょう

エイベックスに移籍し、20年ぶりに全曲を作詞・作曲した、気合の入りまくったアルバム『午前中に…』は久々の名盤と呼べる内容のアルバムだった。

その冒頭を飾るのがこの曲。「がんばらなくてもいいでしょう? 私なりのペースでもいいでしょう?」と歌う、63歳の拓郎の等身大の誠実な言葉は時代の空気にもマッチしたもので、やはりこの人は、自然に人に共感と希望を与えるカリスマなんだなあとあらためて思ったものだった。

アドリブみたいなドラム、徐々に盛り上がっていく瀬尾一三のストリングスとコーラスのアレンジが素晴らしい。

11. 明日に向かって走れ(1976)
作詞・作曲:吉田拓郎

明日(あす)に向って走れ

フォーライフ・レコード設立後初めてのアルバム『明日に向かって走れ』のタイトル曲で、先行シングルとしてリリースされ、オリコン8位のヒットとなった。

歌詞は四角佳子との離婚からの再出発を歌っているようだ。さすが稀代のメロディメーカーとあらためて感心させられる歌メロに、松任谷正隆のアレンジも素晴らしい。

10. イメージの詩(1970)
作詞・作曲:吉田拓郎

吉田拓郎 / イメージの詩

1970年6月1日にエレックレコードからリリースされた、よしだたくろうの衝撃のデビュー曲。

「これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか、信じるものがあったとしても信じないそぶり」と、ナントカ主義や反ナントカや革命を信じて理想に燃える当時の若者の風潮の真逆を行くような歌いだしで始まる歌詞は、それまでの反体制フォークと一線を画したものだった。

ボブ・ディランの最も好きな曲のひとつに挙げる「廃墟の街(Desolation Row)」を手本に作っとと拓郎自身が語っている。

98年の『Hawaiian Rhapsody』でセルフカバーしているが、ここではオリジナル版をサンプリングしていて、時空を超えて24歳の拓郎と52歳の拓郎の「共演」が聴ける。これもなかなかの感動だった。

9. 伽草子(1973)
作詞:白石ありす 作曲:吉田拓郎

伽草子

「おとぎぞうし」と読む、1973年発表の5枚目のアルバムのタイトル曲。

ポエティックな歌詞も良いが、それに合わせた夢見る少年のような拓郎の素朴な歌声がまたいい。そしてなんといってもアレンジが素晴らしい。中間に入るストリングスの美しさには鳥肌が立つほどだ。

8. 旅の宿(1972)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

旅の宿[EPレコード 7inch]

オリコン5週連続1位、70万枚を売り上げた吉田拓郎の最大のヒット曲。この曲を契機に岡本&吉田コンビは名曲の量産体制に入った。

岡本おさみのロマンティックかつ日本の原風景を描くような和のイメージと、拓郎のフォーク風でありながらところどころ洋楽ポップスのエッセンスを感じるメロディが見事に融合している。

それになんといってもアレンジの素晴らしさ。売れた理由の半分はこの見事なアレンジのおかげではないかとわたしは思っている。

7. 襟裳岬(1974)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

襟裳岬

森進一が歌って100万枚を超える大ヒットとなり、レコード大賞も受賞した、岡本&吉田コンビの最高傑作として一般的にもよく知られた名曲だ。この曲の大ヒットで、新しい世代による「ニューミュージック」が演歌の世界にも入り込み、歌謡界のひとつの転換点となった。

そしてこの後、吉田拓郎の歌謡曲作家としての評価が確立され、演歌からアイドル歌謡まで、作曲の依頼が殺到することになる。
歌謡曲にフォーク・ロックやポップスのテイストを注入した新鮮な楽曲の数々は、日本の歌謡界に大きな影響を及ぼし、後のJ-POPの礎となった。

6. 流星(1979)
作詞・作曲:吉田拓郎

流星[吉田拓郎][EP盤]

北大路欣也主演のTBS系のドラマ『男なら!』の主題歌としてシングル・リリースされた曲。オリコン54位と当初はあまり売れなかったが、70年代の歌謡曲というよりは、2000年頃のJ-POPみたいな曲のようでもあるので、もしかすると早すぎたのかもしれない。時代を経るにつれ、若い世代のアーティストたちにカバーされるなど、吉田拓郎の代表曲のひとつとして評価が高まっていった。

拓郎のメロディメーカーの才能が炸裂した名曲だが、鈴木茂によるアレンジがこの曲をより感動的なものにしている。

5. 今日までそして明日から(1970)
作詞・作曲:吉田拓郎

今日までそして明日から

「わたしは今日まで生きてみました、そして今わたしは思っています、明日からもこうして生きていくだろうと」と、リアリストの拓郎らしい、なんの思想も結論もなく、あたりまえの事実が肯定的に歌われているだけの歌だ。なのにその説得力は感動的ですらある。

この歌を聴くと誰もが、これまで自分が生きてきた人生になんだか誇りを持てるような気がする、そして明日からも生きていく力が湧いてくるような、そんな歌ではないかとわたしは思う。世代を超えて聴き継がれてきた名曲だ。

4. 人生を語らず(1974)
作詞・作曲:吉田拓郎

人生を語らず

たぶんわたしを含め拓郎ファンのほとんどはそうだと思うのだが、彼が歌の中で絶叫するときぐらい興奮するものはない。この曲はそういう歌の代表作である。

特に「届かなーいものをーーーっ、身近にー感じてーーー」の部分は鳥肌が立つほどテンションMAXになるのだ。特にライヴで、目の前でこれをやられたらもうたまらんのである。

3. 春だったね(1972)
作詞:田口淑子 作曲:吉田拓郎

春だったね

わたしが最初に手に入れた吉田拓郎のカセット『全曲集』に収録されていた「春だったね’73」を聴いたときは衝撃を受けた。それは後年セックス・ピストルズを聴いたときと同じ程度の衝撃か、それ以上だったかもしれない。

そのメロディからはみ出しまくる字余りの歌詞を、ものすごい勢いでビートに乗せ、ぐんぐんと盛り上げて歌う爽快なカッコ良さに感動した。そんな風に歌う人をわたしは他に誰も知らなかった。天性のリズム感の持ち主なのだろう。

この曲の歌詞は、拓郎のラジオ番組のリスナーがハガキに書いて送ってきたもので、詩のリズム感が気に入り、ボブ・ディランを意識してメロディーに乗せてみたということだった。オリジナルのアレンジもディランの「メンフィス・ブルース・アゲイン」をお手本にしている。

2. どうしてこんなに悲しいんだろう(1971)
作詞・作曲:吉田拓郎

どうしてこんなに悲しいんだろう

たぶん吉田拓郎の代表曲としては一般的に知られている曲ではないだろう。でも拓郎ファンには愛されている曲だ。わたしも16歳のときにアルバム『人間なんて』に収録されていたこの曲を聴いて以来、何万回聴いても毎回泣けるぐらい好きだ。

1番の最後で「やっぱり僕は人に揉まれて、みんなの中で生きるのさ」と歌っておきながら、間奏後のサビの最後は「明日になるといつものように、心を閉ざしている僕さ」と結論してしまうところがまたたまらない。これはオレのことを歌ってるのか?と思うほど、わたしは共感したものだった。

1. 落陽(1973)
作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎

落陽 (Live)

やはり吉田拓郎を代表する1曲となるとこの曲だろう。ライヴ・バージョンなども山ほどあるが、やはり1番はオリジナルの『ライヴ’73』のバージョンだ。弱冠20才の高中正義によるギターのイントロだけでもう鳥肌ものだ。そして田中清司の熱いドラム、岡澤章のベース、そしてブラスも最高だ。そしてもちろん拓郎の奇跡のような名唱も。「戻るーたびーにぃー、陽がしずーんでーゆくーーー」の部分は全拓郎ファンが興奮MAXになるところだ。

残念ながら73年の音源の動画は見当たらないので、2004年のライヴの公式音源を。アレンジャーが73年と同じ瀬尾一三なので、それに近いアレンジになっている。

以上、吉田拓郎の名曲ベスト50でした。

50曲では収まりきらないぐらいまだまだ名曲があるし、拓郎ファンもそれぞれ自分なりの名曲があるだろうから、なんでアレが入ってないんだと思われるかもしれないが、まあとにかく名曲が多すぎるので仕方がない。

デビューから52年、今年で芸能活動を引退すると吉田拓郎は発表した。
拓郎らしく、潔く、清々しい引退の仕方だと思う。

素晴らしい名曲の数々を遺し、わたしにとてつもない影響を与え、わたしを音楽好きにしてくれたこと、そして日本の音楽界にも大きな影響を及ぼし、豊かなものにしてくれたことに対して、心からの敬意と感謝の拍手を送りたい。

これから吉田拓郎を聴いてみようという若者たちがいるとすれば、この記事が少しでもその参考になれば幸いです。

それにしても、この記事を書くのは楽しかったな。

(goro)

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