ベティ・ブルー 愛と激情の1987【死ぬまでにもう一度見たい映画を考える】その5

ベティ・ブルー/愛と激情の日々(字幕版)

※今回より、もう一度見たい映画のタイトルだけを太字で表記しています。

【ベティ・ブルー】

ジャン=ジャック・ベネックス監督の『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(86)を観終わって劇場から出てきたときのわたしはきっと呆然自失の態だったに違いない。21歳の多感なわたしにはそれぐらい衝撃的な映画だった。心臓を鷲掴みにされたような気分だった。

この年に公開された映画の中で一番印象に残っている作品には違いないが、もう一度見るにはなかなか勇気と気合がいる作品だ。でも見たいかな、やっぱり。いつかは。

ベネックス監督は他に『ディーバ』(81)、『溝の中の月』(83)、『ロザリンとライオン』(89)などどれもそれなりに良かったが、その後は極端な寡作になり、ほとんど名前も聞かなくなってしまったが、実は長く闘病生活を送っていたらしい。そして今年、2022年1月13日に残念ながら死去してしまった。

R.I.P.

【アンドレイ・タルコフスキー】

サクリファイス 【Blu-ray】

1986年の年末に亡くなったソ連のアンドレイ・タルコフスキー監督の最後の2作品『ノスタルジア』(83)、『サクリファイス』(86)の2本立てを観ることができたのもこの年だ。

詩的で美しい映像とアートな佇まい、ほどよい難解さは、当時の多感で向上心旺盛(背伸びしたがりとも言う)なわたしには格好の刺激的作品だった。

その後タルコフスキー監督作を遡って『惑星ソラリス』(72)、『鏡』(75)、『ストーカー』(79)、『僕の村は戦場だった』(62)、を見たが、どれもアートな佇まいとほどよい難解さは共通していたものの、内容は今ではもうほとんど憶えていない。

惑星ソラリス Blu-ray 新装版

やはり『サクリファイス』『ノスタルジア』『惑星ソラリス』の3作の映像の美しさの印象は強く、あの詩的で難解な作品をあの頃の多感な自分がどんな感じでそれを見ていたのかを思い出せるとしたら興味深くもあり、その意味でもぜひもう一度見てみたいと思う。

【エリック・ロメールとヌーヴェル・ヴァーグ】

緑の光線 (エリック・ロメール コレクション) [DVD]

フランスのヌーヴェル・ヴァーグ一派のひとり、エリック・ロメール監督の『緑の光線』(86)も強い印象を残した作品だ。

これをきっかけにヌーヴェル・ヴァーグを知り、その代表作、ジャン=リュック・ゴダール監督の2作、『勝手にしやがれ』(59)『気狂いピエロ』(65)を見て、ノックアウトされたのだった。それはもう天地がひっくり返ったほどといえば大げさだが、しかしわたしの映画の見方がそれを境に根本的に変わったのは間違いなかった。

ちょうど同時期にアメリカン・ニューシネマにもどハマりしていたため、わたしは地元の大小のレンタルビデオ店を隈なくスクーターで巡り、財布は常に十数枚の会員証でパンパンに膨らみ、ヌーヴェル・ヴァーグとアメリカン・ニューシネマのビデオを見つけては狂喜して借り、スクーターでまた1時間もかけて返しに行くという、そんな青春時代を送ることになる。アメリカン・ニューシネマについてはまた別の機会にまとめて書くことにする。

勝手にしやがれ [Blu-ray]

ジャン=リュック・ゴダール監督の作品は、ストーリーや展開よりも、その刺激的な映像のポップかつエッジの効いたカッコ良さにシビれたものだった。

ゴダール作品はそれこそ地元のレンタルビデオ店を探し回って当時ビデオ化されていた作品のほぼすべてを見たが、でももう後期の「考えるな、感じろ」と作者がのたまう実験的な作品や、引用だらけでなにがいいたいのかよくわからない作品なども、今さら見返す気はさすがに起らない。『中国女』(67)みたいなゴリッゴリに政治的な作品を今さらその映像だけで「ポップでお洒落」などと思えるはずもないし、近年『ワン・プラス・ワン』(68)をあらためて見た折には、ローリング・ストーンズのレコーディング・ドキュメンタリー以外に挟まれる政治・思想的メッセージのシーンがまったく邪魔だった印象もあり、すっかりゴダールには冷めてしまっている。

ゴダール作品でもう一度見たいとしたら『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』だけで充分だ。あの2本はたしかに無類のカッコ良さだった。

気狂いピエロ

フランソワ・トリュフォー監督の作品も手当たり次第に見て、こちらは難解な作品は少なく、晩年の作品までほとんどハズレなしの良作ばかりだった印象だが、でもやっぱりもう一度見たいとなると、『大人は判ってくれない』(59)ぐらいかな。これも『勝手にしやがれ』と同じくらいかそれ以上のインパクトだった。

他に、クロード・シャブロル監督やジャック・リヴェット監督にも良い作品があったが、やはり今さらヌーヴェル・ヴァーグをもう一度片っ端から見直したいとまでは思わない。あれはやっぱり情熱いっぱいの若人のわたしだったから楽しめたと思うのだ。

大人は判ってくれない (字幕版)

それで言うと、『緑の光線』のエリック・ロメールはどの作品も面白く、結局ヌーヴェル・ヴァーグでは一番好きな監督かもしれないし、枯れゆくわたしでもまだもう一度見たいと思わせる。

ドキュメントっぽい映像の軽いタッチながらリアリティにあふれた恋愛映画などが多い印象だったが、一見ハッピー・エンドなのだけれども全体にどこか意地悪なというか、シニカルなというか、とってつけたような幸福の結末も含めて、どこか倒錯的なものをわたしは感じていて、それが面白かったものだ。それがロメール作品の特徴なのか、当時のわたしだけの変態的な感じ方だったのか、もう一度見て確かめてみたい気もする。

クレールの膝 [DVD]

自称作曲家がひょんなことからホームレスへと転落していくエリック・ロメールのデビュー作『獅子座』(59)は後年のものとは作風もまったく異なるストレートな傑作だが、『クレールの膝』(70)あたりからは倒錯的な味わい深さが漏れ出てくる。『海辺のポーリーヌ』(83)、『友だちの恋人』(87)、『冬物語』(90)、『木と市長と文化会館/または七つの偶然』(93)、『夏物語』(96)など、だんだんと倒錯的な印象は一見瑞々しいタッチで巧妙に隠されていくのだが、しかし根底にはどこかシニカルというか、それをリアリティというのか、ちょっと他所では味わえない独特の味わいがあるのだ。ほろ苦かったり、酸っぱかったり、後から効いてくるタイプの激辛だったり。あの独特の味はぜひもう一度味わってみたいものだ。

冬物語 [DVD]

【ゆきゆきて神軍】

ゆきゆきて、神軍 デジタルリマスター版 Blu-ray通常版

1987年の邦画作品で強烈な印象を残したのは、原一男監督の『ゆきゆきて神軍』(87)だ。第二次大戦中に激戦地ニューギニアへ派兵され、わずかな生き残りのひとりとなった、昭和天皇の戦争責任を追及し、「神軍平等兵」を自称する、奥崎謙三の過激な活動に迫ったドキュメンタリーだ。

実際に戦場で起きていた、隊長が部下を処刑するという事件の真相を追い求めて当時の関係者を強引に訪ね、ときには暴力も行使して証言させようとする。

映画の結末では元上官の家へ奥崎が改造銃を持って押し入り、応対に出た元上官の息子に向けて発砲し、殺人未遂で逮捕されたことが知らされるという、前代未聞の過激な映画だった。奥崎は懲役12年の実刑判決を受けて服役することになる。

出所後、性懲りもなくアナーキストとして過激な活動を続ける奥崎を再び追った、大宮イチ・藤原章監督によるドキュメンタリー『神様の愛い奴』(98)も製作されたが、これは奥崎をアダルトビデオに出演させたりと、彼の強烈なキャラクターを悪用しすぎている作品だった。

奥崎謙三の思想や行動には賛否両論があるだろうし、まあ否のほうが圧倒的だろうが、『ゆきゆきて神軍』は、ドキュメンタリー作品として超一級の傑作であることは間違いない。これももう一度見てみたいものだ。

【ルード・ボーイ】

この年はまた、音楽映画の傑作、リッチー・ヴァレンスの生涯を描いた『ラ・バンバ』と、ザ・クラッシュとそのファンである青年を描いた『ルード・ボーイ』が日本で公開された。

ルード・ボーイ、80年代後半 THE CLASH が日本で愛された理由

『ラ・バンバ』については近年見返しているし、そのときにこのブログの記事として取り上げているので割愛するとして(興味ある方はこちらをクリック)、『ルード・ボーイ』は当時1度見たきりだ。

まあ、あまり出来の良くない映画だったけれど、当時のパンク関連の映画というのはだいたい映像作品としては出来の良くないものが多く、その中では比較的マシなほうだと言える。

夢も希望もないポルノショップのバイトを辞めて、大好きなザ・クラッシュのローディーになろうとするモラトリアムな青年を主人公としたグダグダとしたパッとしない物語は、退屈な日常の中でただクラッシュだけが輝いて希望の灯のように見える状況を、逆にリアリティたっぷりに映し出しているように感じられたものだ。

今見たらどう思うかわからないけれども、クラッシュの出ているシーンは全部良かった記憶もあるので、これももう一度見てみたいものだ。

(goro)

Visited 59 times, 1 visit(s) today