誰よりも”最先端”だったドラマー【追悼】高橋幸宏(1952-2023)

高橋幸宏 information (@yukihiro_info) / Twitter

我が家にステレオコンポがやってきたのはわたしが中学一年生のときだった。周囲の友人たちがいろんなレコードを買って自慢しあってるのをうらやましく思っていたので、念願のことだった。

母親と連れ立って初めてレコードショップに行き、母親はシルヴィ・バルタンのレコードを買い、わたしは発売されたばかりだったイエロー・マジック・オーケストラの『パブリック・プレッシャー』を買ってもらった。

パブリック・プレッシャー

わたしは当時、ラジオで歌謡曲や洋楽ポップスの番組を聴くのを楽しみにしていたが、そんな中で聴いたYMOの音楽の、その圧倒的な斬新さに驚愕し、もっともっと聴きたいと思っていたところだったのだ。『パブリック・プレッシャー』は素晴らしかった。そしてその後、YMOの1stアルバムも購入し、何度も繰り返し聴いた。

YMOは当時、日本のポップスの最先端をいくグループだったが、高橋幸宏はその前のサディスティック・ミカ・バンドの頃からすでに日本では最先端のロックをやっているドラマーだった。

ゴールデン☆ベスト サディスティック・ミカ・バンド (スペシャル・プライス)
そんなずっと最先端の偉大なドラマーが、YMOの初期ではコンピューターのクリック音に合わせてドラムを叩く、機械になることに徹し、本人もそれを快感に思っていたと聞いたことがある。なんだか凄腕のプロフェッショナルが、あえて自分を殺すのがドMみたいで面白いなあと思ったことを憶えている。

YMOではリード・ヴォーカルも取っていた。1stアルバムに収録されていた「中国女」は衝撃的だった。あんな風に歌うヴォーカルを初めて聴いたからだ。ニュー・ウェイヴ風で、カッコ良かった。今聴いてもめちゃカッコいいい。

イエロー・マジック・オーケストラ(US版)(2018年リマスタリング)

また、YMOがオシャレだったのは高橋幸宏のファッションデザインのおかげでもあった。彼は当時から自身でファッションブランドを持つデザイナーでもあり、その世界でも最先端だったのだ。だからクラフトワークなんかよりもずっと幅広い層に愛されたのかもしれない。

2020年に彼が脳腫瘍の摘出手術を行ったと知ったとき、わたしはひどく動揺した。手術は無事に成功したようで、わたしはホッとして、日に日に元気になっていく彼が病室から呟くTwitterをフォローした。わたしがTwitterでフォローしているミュージシャンは、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、そして高橋幸宏の3人だけだ。

だからその彼の公式Twitterから届いた訃報は信じられなかった。まだ71歳だ。

すべての意味において、日本一カッコいい、誰よりも最先端を走り続けたドラマーだった。

『パブリック・プレッシャー』のドラムなんて、ほんとにコンピューターに合わせて叩いてるのかなと思うほど、熱くて、疾走感もあって、力強い、最高のドラムだった。アルバムの冒頭に収録されている代表曲「ライディーン」は彼が作曲したものだ。最初に買ったレコードがこのレコードで本当に良かった、とこのブログでも何度も自慢している。あれから40年も経ったけれども、今でも大好きなレコードだ。

わたしを音楽好きにしてくれて、心から感謝しています。

ありがとうございました。

心からご冥福をお祈りいたします。(Goro)