ストーンズの方向性を決定づけた、突然変異の怪物的大傑作【ストーンズの60年を聴き倒す】#28

Beggars Banquet [Analog]

『べガーズ・バンケット』(1968)

“Beggars Banquet” (1968)
The Rolling Stones

デビュー以来初となる外部プロデューサー、ジミー・ミラーを招聘した起死回生のシングル「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の大ヒットで復活の端緒をつけたストーンズが、その8ヶ月後の1968年12月5日にリリースした、同じくジミー・ミラーがプロデュースしたアルバム『べガーズ・バンケット』は、まさにストーンズの完全復活を遂げた大傑作となった。

いや、復活というよりは”生まれ変わった”といった方がしっくりくるかもしれない。前作までとはまるで別のバンドのようだ。こんなアルバムはストーンズはもちろんのこと、どんなロックバンドも作ったことがなかった。まるで突然変異で生まれた怪物のようなアルバムだった。

ルーツ・ミュージックの深遠な歴史と1968年という燃え上がるようなカウンター・カルチャーの時代を繋ぎ、あえて汚い音で作られた、リアルな凶々しさにヒリヒリする、強烈な匂いを放つ音楽だ。こんな物凄いアルバムは他になかった。

SIDE A
1. 悪魔を憐れむ歌 – Sympathy for the Devil
2. ノー・エクスペクテーションズ – No Expectations
3. ディア・ドクター – Dear Doctor
4. パラシュート・ウーマン – Parachute Woman
5. ジグソー・パズル – Jigsaw Puzzle

SIDE B
1. ストリート・ファイティング・マン – Street Fighting Man
2. 放蕩むすこ – Prodigal Son (ロバート・ウィルキンスのカバー) 
3. ストレイ・キャット・ブルース – Stray Cat Blues
4. ファクトリー・ガール – Factory Girl
5. 地の塩 – Salt of the Earth

ストーンズの数ある名曲の中でもとくに異様な凄味を持つのが冒頭の「悪魔を憐れむ歌」だ。ミックの、紳士的なフリをした悪魔が徐々にその正体を現していくようなヴォーカルが凄い。まるでこの世のものではないなにかにとり憑かれたかのようだ。エンディングで奇声を上げているのはもはやわれわれの知っているミックではない。

そしてキースも、残忍な悪魔が鎌を振り回すように、おそろしく暴力的で切れ味の凄いギターソロを放つ。わたしはこれ以上に凶暴なギターソロを他に知らない。もちろんこのキースも、なにか得体のしれないものに憑かれているかのようだ。

「ストリート・ファイティング・マン」もまた、ストーンズの代表曲のひとつとなった大名曲だ。暴力的で不穏な響きの、危険極まりないロックンロールだ。

キースによれば、この曲にはエレキギターは使われていない。アコギで弾いた音をカセットに録って、最大音量で再生したものをマイクで拾って何度も重ね、「ギターにギターを混ぜてすりつぶして」使ったそうだ。

また、エンディングのミヨーンという音の楽器は、シャハナイというインドの笛だそうだ。
それまでも、いろんな楽器を使って実験的なサウンドを試行錯誤したものの何ひとつ実になったためしがなかったが、ここへきて、すべてがカチッとハマったようだった。これもプロデューサーの力だろうか。

その二つの大名曲は別格として、それ以外でわたしが最も好きな曲をこのアルバムから選ぶとしたら、最後を飾る「地の塩」だ。

重労働者に乾杯

社会の底辺に生まれたことに乾杯

良いことと悪いことのためにグラスを掲げ

「地の塩」に乾杯
(written by Jagger & Richards)

「地の塩」とは、この世で最も大切なものを指す、聖書に出てくる言葉だ。
ここでは、社会の底辺に生まれ、重労働に従事して生きている貧しい人々、この社会を支えている人々のことを指している。

もしかすると社会というものは不公平で間違っているのかもしれないが、それと自分の仕事や人生に誇りを持って生きるのとは別の問題だ。この歌は社会の底辺で、それでも真摯に生きていく人々に対する共感とリスペクトに溢れている。

キースのヨレヨレで、ヘロヘロなヴォーカルがまたいい。それはまさに、貧しき労働者が仕事の愚痴をこぼすための安酒場で、ギターを取り出して歌いだしたかのようだ。

「ノー・エクスペクテーションズ」もまた愛すべき曲だ。それまでのストーンズにはなかった美しく深遠なスロー・ブルースは、やはり彼らの大きな成長を感じさせる。

ミックは「マジで100%打ち込んでるブライアンを見たのは、”ノー・エクスペクテーションズ”が最後だった」と振り返っている。

ブライアンは、その最初の出会いでミックとキースが惚れ込んだ、スライド・ギターを弾いている。
まるで荒れ果てた精神の中で、まだ唯一灯っている風前の炎が、美しく揺らいでいるようにも聴こえる。

「ストレイ・キャット・ブルース」のような陰惨な横顔もこれまでのストーンズは見せたことがなかった。15歳の少女をベッドに誘い「おまえのママは、おまえがこんな声を出すなんて知らないだろうな」と嗤う、完全にアウトな歌詞が、兇悪で血なまぐさいサウンドに乗せて歌われる、禍々しいブルースである。ミックのヴォーカルはまるで、頭のネジの外れたサイコパスのようだ。

前作『サタニック・マジェスティーズ』までのストーンズは迷走に迷走を重ねていた。
それはストーンズだけではなく、多くのブリティッシュ・ビートのバンドも同様だった。ビートルズの成功を後追いし、サイケやコンセプト・アルバムなどの実験的な試みをしながらも、ここからどこへ進めばいいかわからず、迷走していた頃だ。

ストーンズは唯一、逆走するようにしてその迷路から脱出した。米国のブルースやカントリー、フォークといったルーツ・ミュージックへと立ち帰り、それまでのブリティッシュ・ビートのアルバムとはまったく違うものを創りあげたのだ。そもそもブルース・バンドとして登場したストーンズに必要だったのは、”進化”ではなく、”深化”だったのだ。

きっとジミー・ミラーがいなければこんなアルバムにはならなかっただろう。ソングライティングの著しい成長ももちろんだし、ミックのヴォーカルもキースのギターもこれまでにない一面を見せるようになる。いろんな奇跡がいっぺんに舞い降りてきとも言える。キースは自伝でこう語っている。

この時期、なんであんなうまく事が運んだのかはわからない。タイミングかもしれない。自分たちの原点はどこかとか、自分たちに火をつけるのは何かとか、べつだん深く考えていたわけじゃなかった。(中略)やる必要のあることだった。アメリカの黒人音楽と白人音楽のミックスには大いに探求の余地があったしな。(『ライフ』キース・リチャーズ著 棚橋志行訳)

他にもこの時期にカントリーミュージックを取り入れて新しい響きを作り出したバンドはいくつもあったが、結局いちばん成功したのはストーンズではなかったかとわたしは思う。
ストーンズはこのブルースとカントリーのツインエンジンで、70年代もロックシーンのトップを走り続けたのだ。

キースはアルバムについてこうも語っている。

アルバム一枚におけるロックンロールの割合は『べガーズ・バンケットくらいで充分だ。「悪魔を憐む歌」や「ストリート・ファイティング・マン」を別にすれば『べガーズ・バンケット』にロックンロールがあるとは言いがたい。「ストレイ・キャット・ブルース」には多少ファンクなところがあるが、あとはみんなフォークソングだ。
俺たちは注文に合わせて書くなんて芸当はできなかった。ミックはぶつぶつ言いながらも注文に応じようとしたが、純粋なロックンロールなんて、俺たちにしてみりゃ面白くなかったのさ。(中略)「ノー・エクスペクテーションズ」みたいな小粒ながら美しい曲とは対照的にロックンロールはアップテンポの曲をいっそう派手にする。ジミーがプロデュースした一連の作品はガツンと強烈なものだけじゅないってことだ。ヘヴィ・メタルじゃない。まさしく音楽だったんだ。(『ライフ』キース・リチャーズ著 棚橋志行訳)

もしもストーンズがロックンロール一辺倒のバンドだったら、わたしは彼らのファンになることはなかっただろう。そんなバンドならきっと、60年代のどこかでとっくに行き詰まり、終わっていたに違いないのだ。

(Goro)

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