名盤100選 12 アバ『アバ・ゴールド』 1992

アバ・ゴールド

B.U.H.1年、つまりわたしが小学校5年生の1月にTBSのザ・ベストテンが始まった。
わたしは第1回目から見ている。
ピンクレディーの「UFO」が1位で、わたしのお目当てだった沢田研二の「憎みきれないろくでなし」は6位だった。

わたしはこの番組を毎週欠かさず見て、その順位を毎週ノートにつけていた。ついでに自分なりの順位もつけていた。
ノートにつけて、それでどうするというわけでもない。ただつけるだけである。
いや、ただつけてるだけじゃなかったな。
自分でつけた順位を下から順番に発表していくのだった。発表を聞いてくれる相手はとくにいないのだけど。

兄弟が寝静まった後でわたしは勉強机に座ってそのノートを広げ、最新の順位を小声で下から発表しながら、小声で順番に歌いきっていくのである。
「今週の第7位、桜田淳子『しあわせ芝居』…泣きながら電話をかけれーばー、馬鹿なやつだとなだめてくれるー…」なんて。
こんなことをしてるときがわたしの至福の時間だった。

このブログを読みつづけてる方々はわたしを変わったやつだととっくに思ってるだろうから、このぐらいのことでは今更とくにヘンとも思わないだろう。
わたしもとっくに、なにを書いてもべつに恥ずかしいとも思わなくなってきている。

このブログではいまのところ洋楽しか取り扱っていない。
邦楽の取扱いを始めようかどうしようか実はずっと迷ってるのだけど、わたしはどうも邦楽と洋楽を同じようには聴けないんですね。まったく別物と思っている。
いや、似ても似つかない音楽だというのではなく、わたしの側の問題で、聴き方が別になってしまっているので比較が困難なのだ。

邦楽には歌詞がある。だから全然違う。
いや洋楽にだって歌詞はあるが、わたしは中卒なので英語がわからない。だからわたしにとって洋楽はインストゥルメンタルの音楽と同じなのだ。

わたしは邦楽より洋楽のほうを幅広く聴いているが、それは邦楽には歌詞があるがために、逆にハードルが上がるせいかもしれない。
いくら音楽的に良くても、歌詞がくだらないだけで聴く気にならなかったりするからだ。洋楽は歌詞がわからないぶん、音楽的に気に入ればそれでよしだから幅広く聴ける。
でも邦楽は好みの幅はたしかに狭いけど、しかし音楽的にも歌詞的にも好きになった曲は、洋楽の好きな曲よりももっと深く好きだ。

そんなわけで考えがまた変わるまでは洋楽だけの取扱いでいこうと思う。
邦楽はまたべつのブログでも立ち上げるかもしれない。
やるとしたらたぶんアルバム単位ではなくて曲単位で選ぶだろう。泉谷しげるから、パフィー、テレサ・テン、ちあきなおみ、フリッパーズ・ギター、ミスチル…そんな雑多ないろいろのものがごちゃまぜに選ばれるに違いない。

アバの話だった。
久米宏が司会をやっていたそのザ・ベストテンに翌年、わたしが小学校6年生のときだが、「今週のスポットライト」のコーナーにアバが出演したのだ。
「ダンシング・クイーン」を歌ったが、もうすぐ翌日にはわれわれの学級にもアバのファンが発生していた。
あの頃の少年少女たちに対するザ・ベストテンの影響力はもう凄まじかったのである。
わたしも数ヵ月後にはアバのカセットテープを所持していて、繰り返し繰り返し聴いたことを覚えている。

わたしはディスコの音楽はあんまり好きではない。
実用本位みたいで空疎に聴こえる。わたしは生まれつきロマンチストなので実用より、趣味用のふつうの「歌」が好きなのだ。
アバの曲にも実用面を思わず強調しすぎたつまらないものもあるにはあるが、でも「ダンシング・クイーン」などは、実用としても不足はないだろうが、そのまえに完璧な「歌」である。わたしはこの曲を世界最高のポップ・ソングと言い切ってしまってもかまわないとさえ思う。

わたしが初めて出会った記念すべき洋楽の曲がこの「ダンシング・クイーン」であることがわたしには嬉しい。
まるで神様が、「おまえはなまけもので頭の出来も悪いのでろくでもない人生を送るにちがいないが、退屈ぐらいはしのげるように音楽を聴く楽しみを与えておこう」と言って「ダンシング・クイーン」を聴かせたみたいだ。
たしかにわたしはそれ以来、どれほどひどい状況であろうと、退屈だけはしなかった。

マドンナが一昨年のシングル「ハング・アップ」でアバの「ギミー・ギミー・ギミー」のイントロをサンプリングして死ぬほど売れたが、意外なことにアバをサンプリングした曲はあれがほとんど初めてだったらしい。
というのもアバは権利関係にものすごくうるさく、サンプリングも許さないし、歌詞を別の国の言葉に訳して歌うのも許さないということらしいのだ。
なのにマドンナの「ハング・アップ」を許可したのは「曲の出来が素晴らしかったから」とのことらしい。

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コメント

  1. ゴロー より:

    ピクチャー・レコード!?
    コカ・コーラの懸賞にピクチャー・レコードなんてあったんだ。それは知らなかったなあ。アバなんて欲しかったなあ。

    ノーランズは「ダンシング・シスター」と「恋のハッピーデート」が好きでしたね。
    「恋のハッピーデート」は当時石野真子が日本語でカバーしましたが、そんなに売れなかったような。

  2. r-blues より:

    コカ・コーラのピクチャー盤
    >B.U.H.1年、つまりわたしが小学校5年生の1月にTBSのザ・ベストテンが始まった。

    そうですか、てことは「B.U.H.1_GORO=A.D.1977」ですね。
    その数年後(A.U.H.2_r-blues=A.D.1981)わたしは、コカ・コーラの懸賞でピクチャーレコードを当てるのを楽しんでました。
    商品は、ABBA,ドゥービーブラザーズ,クリスタルキング,そしてお目当てNolans!
    …結局、クリキン同じのが2枚当たって終わりでした。
    いや~ABBAもDoobiesも、名曲を知ったのはその随分後でしたが、名前だけは忘れてませんでした。Nolansの安くも強力なフェロモンの前に消えそうでしたが…。