【きょうの余談】わたしのヒーロー、長州力🍙

真説・長州力 1951~2018 (集英社文庫)

長州力はわたしのヒーローなんだなあ、と最近あらためて気づいて、自分でも驚いた。

わたしは30年以上プロレスを見ていないし、だからプロレス・ファンだなんて到底言えない。

わたしが小学生の頃、プロレスは日本で最も人気のあるスポーツのひとつだった。
アントニオ猪木が主宰する新日本プロレスのTV中継『ワールドプロレスリング』は毎週金曜日の20時というゴールデンタイムに放送され、最盛期は視聴率が20%を超えるほどだった。

でも、わたしの家庭ではプロレスを見ることが禁じられていた。
わたしが14歳になったときに、その禁止令は消滅した。禁止令を出していた大人の男が我が家から去ったからだ。

それから、なんでだったかは忘れたけれども、わたしは弟と一緒にテレビでプロレスを見始めた。1981年のことだ。
その年に初代タイガーマスクが登場し、さらにその翌年に海外から凱旋帰国した長州力が反旗を翻し、当時新日の実質ナンバー2だった藤波辰巳に噛みつき、そこから正規軍vs革命軍という日本人同士の抗争が始まったのだった。

それが新日本プロレスの最盛期の始まりだった。

偶然にもそのタイミングでプロレスを見始め、それまでのプロレスショーとは空気が一変した、やけにピリピリとした異様なガチ感にわたしは惹き込まれたのだった。

長州力の魅力は、あの「カブトムシのメスみたいな体型(©武藤敬司)」にも関わらず、ヘビー級にはありえないほどのスピード感と瞬発力、そしてパワーを兼ね備えた身体能力と、表情などの感情の表し方も含めた、レスラーとしてのリアリティだった。

実況の古舘伊知郎によって「名勝負数え唄」と名付けられた、長州vs藤波の試合は当時の親日の目玉カードとして何度か行われ、わたしと弟は毎回、長州の勝利を祈りながらテレビにかじりついたものだった。
長州が初めて藤波に勝ったときは、わたしと弟は抱き合いながらオイオイと嬉し泣きしたものだった。

当時のわたしたち兄弟は、たしかに熱狂的なプロレスファンだったと思う。
しかし1983年に、お家騒動のあげく初代タイガーマスクが突如引退すると、翌年には長州も新日本を離脱し、もうそれでわたしもプロレスに一気に関心を失ってしまった。

その後も一切。

だから、実質3年ほどしかわたしはプロレスを見ていないのだ。

しかしその後もときどき、長州のビデオやDVDをレンタルして見たり、YouTubeの時代になると、たまに思い出したように長州の試合を検索して見ることもあった。
いつも「長州 藤波」で検索するのだけれど、なかなかその2人の名勝負は引っ掛かってこない。

昨年、長州がTwitterを始めると、わたしはすぐにフォローした。その使い慣れない感じの、謎のメッセージが滅法面白かった。
彼がいつも投稿の最後に手紙みたいに自分の名前を書き、その後ろにおにぎりの絵文字を入れたりするのがたまらなく素敵だ。真似したい。

今月は伝記本『真説・長州力』を読んだ。
スマホで電子書籍をなにか探しているときにたまたま見つけた本だったけれど、見つけた途端に「今すぐ購入」をクリックしていた。

もうプロレスなんて30年以上見ていないのに。
あのときのたった3年間の熱い想いが、未だに消えずにチロチロと残り火のように燃え続けていたことに、われながら驚いた。

在日二世として生まれ、レスリングの韓国代表としてオリンピックに出場し、新日本プロレスに入って一時代を築いた後は、新団体を立ち上げては潰しを繰り返した、まさに波瀾の生涯の、そのすべてが興味深いものだった。

千鳥の番組『相席食堂』に長州が出演した回は、番組史上の神回だった。
慣れないひとりロケに不器用ながら奮闘する長州が可笑しく、でも最終的には彼の大らかで温かくて素朴の極みのような人間的な魅力が感じられて、68歳になる現在の長州力にもわたしはあらためて惚れ直した。

最近はYouTubeチャンネルまで開設したので、それもついつい見てしまう。武藤敬司や中邑真輔との対談も楽しかった。
滑舌が悪いし、言葉も出て来ないし、人の話を聞いていないし、内容も薄いけれども、わたしはほのぼのとした気分にさせられる。

昔の長州はもちろんカッコ良かった。
でも、68歳の長州力もすごく素敵だ。カッコいい。

一生のヒーローなんていないと思ってたけど、ちゃんとわたしにもいたのだ。

それが嬉しくて、こんなに長々と書いてしまったことを許したまへ。

プロレスに興味のないみなさん、ごめんなさいね🍙

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