【放送禁止歌の真相】赤い鳥/竹田の子守唄(1971)

竹田の子守唄[赤い鳥][EP盤]

【ニッポンの名曲】
日本民謡 採譜:尾上和彦

今の若い人たちはどうか知らないが、われわれ昭和世代は、当時の歌謡曲やフォーク・ソングなどの中に「放送禁止」とされている曲が数多くあることを知っていた。

歌詞の中に差別的な言葉や猥褻な言葉、非倫理的な内容などが含まれていると「放送禁止」の烙印を押され、決してテレビやラジオで放送してはいけない、とされていると多くの人の共通認識としてあったはずだ。

しかし結論から先に言うと、日本では現在においても過去においても、「放送禁止」という烙印を押された曲など、実は1曲もないのだ。

たしかに、日本民間放送連盟(民放連)という団体が、「要注意歌謡曲」というリストを作成していたことは、あった。
そこに選ばれた歌は、国内外問わず猥褻な表現のあるものが中心で、すべての音楽の内容をチェックできるわけでもない現場の担当者のために、「これらの曲は、時間帯や番組内容などによってはふさわしくない場合があるので、放送する前に内容を確認したほうがいいですよ」という意味の注意喚起であり、あとはそれぞれ現場の判断で、というものに過ぎず、強制力のあるものでもなんでもなかった。

これを各放送局の関係者たちが拡大解釈したのか、あるいは「なにかあると面倒だからとりあえず放送しないでおこう」という事なかれ主義(こっちのほうがありそうだが)によってか、そのままテレビやラジオの現場では絶対的な「放送禁止リスト」として扱われるようになったというのが真相だ。

しかも、その勘違いの元となった「要注意歌謡曲リスト」でさえ、すでに1988年に廃止されている。

さらに、この「竹田の子守唄」などは、巷間では昔から「放送禁止」の烙印を押された歌だと信じられてきたが、この曲に関しては実は「要注意歌謡曲リスト」にすら入っていない。

この曲の原曲となった民謡がもともと被差別部落で歌われていたものであり、4番の歌詞の中に出てくる「在所」という言葉が「被差別部落を指すのではないか」という真偽のわからない噂(実際は違う)が広まり、放送業界では「だから、これを放送すると被差別部落の関係者から抗議を受けるかもしれない」というなんの根拠もない「かもしれないビビり」が生まれ、あらゆる放送局で事なかれ主義的ビビり自粛」が行われたというのが真相である。

赤い鳥「竹田の子守唄」の歌詞はこちら

この歌に限らず、「放送禁止」とされている多くの歌はただ、メディアの事なかれ主義や思い込みによって、勝手に放送を自粛しているだけ、というのが真相なのである。

バカなことだ。

そんなくだらないことで、この「竹田の子守唄」のような超の付く名曲が、人々の耳に届くのを妨げられてしまっていたのである。

「竹田の子守唄」は、被差別部落を舞台にした演劇作品のために尾上和彦が京都市の被差別部落でこの民謡を採譜し、編曲して合唱曲として使ったのが始まりである。
もともとは題名すらない伝承曲で、子守唄というよりは、子守仕事の辛さを歌ったものだ。
そこからフォーク歌手たちに広まり、赤い鳥も歌うようになった。

赤い鳥は、1969年にこの歌を第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストで演奏し、グランプリを受賞、そしてこの曲でレコード・デビューした。

赤い鳥のバージョンは実際の民謡とはメロディやテンポも違い、歌詞も一部違う。メンバーは、当初は被差別部落の歌だとは知らなかったそうだ。

歌詞は、貧しい少女がお金を稼ぐために学校にも行けず、子守の仕事をせざるをえない自らの境遇と仕事の辛さを悲嘆する歌だ。

わたしも初めて聴いたときは、被差別部落の民謡だということは知らなかった。
しかし、少女の過酷な環境や、子守仕事の辛さや哀しみが、郷愁を誘う方言言葉によってリアルに伝わる歌詞、そしてこの物悲しくも美しいメロディを奏でる、赤い鳥の素晴らしい演奏と絶品の歌声に、魂が震えるぐらい感動したものだった。

こんな風に、実にくだらない理由で、なんの根拠もなく放送禁止曲と思い込まれ、人々に知られてこなかった名曲はまだまだたくさんある。

しかもどういうわけか、わたしの好きな歌がやたらと放送禁止の烙印を押されているのがまた由々しき問題である。

今後も、放送禁止の憂き目に遭って来た不遇の名曲の数々を紹介していきたいと思う。

※この本で勉強させていただきました↓

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コメント

  1. 保守ど真ん中じいさん より:

    本当にいい歌です。素晴らしい歌です。
    わざわざ「在所」と言っているのは、こんもり高いところに、これみよがしに住んでいる「素封家」を指すのでしょう。そしてこの女の子の家は貧しく子供も多く、口減らしが必要なのでしょう。
    かわいそうに、、、家を離れてどんなに寂しいことか! お金持ちの赤ん坊をおぶらされて、トボトボ畦道を歩く、、、。赤ん坊はこういう状況が何もわからず不快を感ずれば泣く、、、。
    この守子に幸せが訪れますように。

    • Goro より:

      コメントありがとうございます。

      わたしより数段深く聞き込んでいらっしゃるようで、情景が浮かび、心に刺さりました。

      本当に素晴らしい曲だと思います。

  2. 遠州ヒマ助 より:

    この曲を初めてラジオで聴いたのは中学生か高校生の頃で,しんみりしていい曲だなぁと心を揺さぶられました。放送禁止にしばらくして放送禁止になりましたが,あの頃は歌詞の意味など気にしていなかったのでなんでかなあと思っていました。私の住む地域では「在所」とは実家のことで昔から使っていますけどね・・・・。
    放送禁止と言えば,「ブスにもブスの生き方がある」とかいうとんでもない曲がありました。初めてラジオで聴いたときは,えっ?こんな曲放送していいの?って思いました。さすがにすぐに放送禁止になったみたいです。

    • ゴロー より:

      わたしの地域でも「在所」と言ったら実家のことで、誰でも普通に使っています。

      この歌詞の文脈から言えば、「在所」は実家ではありませんが、被差別部落のことでないのも確かです。被差別部落の女性が働きに来ている、部落外の比較的裕福な家(または地域)のことでしょうね。

      こんな良い曲を、トンチンカンな理由で放送禁止としているメディアが本当に情けないです。