岡林信康/私たちの望むものは(1970)

見るまえに跳べ

【ニッポンの名曲】
作詞・作曲:岡林信康

岡林信康は1968年にデビューすると、その社会派の歌詞やプロテスト・ソングが若者に支持され、「フォークの神様」と神格化されるほど人気絶頂だった時期に、ライヴをすっぽかし、そのまま半年以上も行方をくらましている。マスコミには「岡林蒸発事件」と派手に書きたてられた。
自分が発したメッセージが想像以上に影響力を帯び、神格化されるほどの期待の大きさの重圧に耐えられず、一方でアンチからは猛批判を浴び、精神的に追い詰められて逃げ出したということらしい。

この「私たちの望むものは」はそんな状況で作られ、それまで弾き語り中心だった彼はロックバンドを従えて復帰した。

「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聴いて影響を受けたというから、ボブ・ディランのようなフォーク・ロックを目指したのだろう。
岡林は、はっぴいえんどをバックに従えて、日本語のロックに挑戦する。

「私たちの望むものは」は、岡林信康の2ndアルバム『見るまえに跳べ』に収められた、彼の代表曲だ。この曲は岡林信康の代名詞となった。

この曲は、それまでは外の世界に対して批判の目を向けてきた若者が、あらためて自分の内面に批判の眼差しを向けた曲だ。
そのためメッセージは単純でなくなり、歌詞の前半と後半で、真逆のことが歌われるという、深い意味を持った曲になる。

私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
私たちの望むものは 生きる喜びなのだ
私たちの望むものは あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは あなたと生きることなのだ

(作詞・作曲:岡林信康)

と前半では歌われ、後半ではこれが真逆に変えられて歌われる。

私たちの望むものは 生きる喜びではなく
私たちの望むものは 生きる苦しみなのだ
私たちの望むものは あなたと生きることではなく
私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ

(作詞・作曲:岡林信康)

初期の岡林信康を代表する最も重要なメッセージ・ソングと捉えられてもいると思うけど、わたしはひとりの若者が、正義も悪も、理想も現実も、社会も個人も、ナントカ主義の公式だけで説明できるような、そう単純なものではないということにぶちあたって苦悩している、きわめてパーソナルな歌に聴こえる。「あなたを殺すことなのだ」という部分には狂気も垣間見える。小説や映画で狂気を見せることがあるように、歌で狂気を見せることだってあっていいのだ。

「私たちの望むものは」の歌詞はこちら

しかし当時の反体制運動全盛の状況では、暴力革命を肯定するような歌と解釈した人もいただろうと思う。普通に考えてそんなわけはないのだけど、そう解釈するのもまた自由なわけで、その意味ではいろんな解釈の危険を孕む歌には間違いない。

たかが歌からなにかを学び取ろうとするような人や、歌に簡単に煽られてしまうような真面目な人は近寄らないほうがいい歌かもしれない。それぐらい、危険な歌だ。

現在の岡林信康は、この歌を歌うことはない。
今から20年ほど前、泉谷しげるが岡林に会ったとき、「『私たちの望むものは』って今は歌ってないでしょ。じゃあオレにくれよ」と言ったら、岡林は二つ返事で「いいよ」と言ったという。
それ以来この曲は、泉谷しげるが歌っているそうだ。