グラム・パーソンズ/シー(1972)

Gp [12 inch Analog]

【カントリー・ロックの快楽】
Gram Parsons – She

「グラム・パーソンズ」などという、ただの1曲のヒット曲も有名曲もなく、なんなら一度も売れた事すらないアーティストがロックの歴史においてはわりと太めの文字でその名を刻印されているのは、彼がロックを救った功労者だからだ。

1960年代の終わりごろ、ロックはサイケデリックだのコンセプト・アルバムだの、そしてプログレッシヴ・ロックだのといった複雑化の一途を辿っていった。
もともとはシンプルな楽しさとカッコよさで十代の若者を夢中にした激アツな音楽だったはずのロックンロールが、観客から離れて実験室にこもるようになり、運動不足でデブでよろよろになり、部屋から出られない怪物に変わりつつあったのだ。

そのドアをぶち破ったひとりが、グラム・パーソンズだった。彼はロックンロールがブルースとカントリーの融合であったことを思い出させ、特にカントリー・ミュージックの語法を使って原点回帰しながら、行き詰っていたロックに風穴を開けたのだ。

ローリング・ストーンズが同じ壁にぶち当たっていた時に、それを突破する助けになったのもキース・リチャーズがグラム・パーソンズに出会い、彼からカントリーを習ったことによってだった。キースは自伝でこう書いている。

グラムは新しい取り組み方を示した。カントリーは赤っ首の白人たちの心に訴えるだけの限られた音楽じゃないと。それをたった一人でやったんだ、あいつは。カントリーを愛していたが、カントリー・ビジネスは愛していなかったし、カントリーをナッシュヴィルだけのものにしちゃいけないと思っていた。音楽はもっと大きなものだ、あらゆる人の心を打つべきだ、と。
(キース・リチャーズ自伝『ライフ』棚橋志行訳)

アメリカではザ・バーズやボブ・ディランを起点としたカントリー・ロックは一大勢力となって大きな流れをつくり、70年代アメリカの主流となった。もしもカントリー・ロックという方法論が生まれていなかったら、ロックはイギリスでプログレとヘヴィメタルだけが残り、アメリカでは死に絶えていたかもしれなかった。

わたしはグラム・パーソンズが実は人間ではなく、畸形化した瀕死のロックを救うために、ロックの神様が遣わした天使であったという説を「グリーヴァス・エンジェル」の記事で唱えているが、信じるか信じないかはあなた次第である。

グラム・パーソンズ「グリーヴァス・エンジェル」の過去記事はこちら

しかしもちろん、わたしが彼の音楽を聴くのは、歴史的意義からでもないし、カントリーかどうかということでもなくて、ただただ彼の書く音楽が滅法美しいからである。
彼は歌があんまり上手でないというのはよく言われることで、まあたしかに技術もないし音程もあやしいものだけれど、偽りのない、真に心のこもった歌だから感動を呼ぶのだ。

グラム・パーソンズのソロ第1作として1972年にリリースしたアルバム『GP』はその意味で滅法美しい音楽に溢れたアルバムだ。
インターナショナル・サブマリン・バンド、ザ・バーズ、フライング・ブリトウ・ブラザーズと短期間にバンドを渡り歩いたグラムだったが、やはり彼の真骨頂が聴けるのは2枚のソロ・アルバムだ。

この曲はその『GP』に収録された曲で、カントリーもロックも超越したような、純粋な美しさと熱情に溢れた、胸を打つ名曲だ。

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