【きょうの余談】中卒馬鹿のクラシック

ヘンデル:水上の音楽

【ヒストリー・オブ・ロック】を書きながらロックをあらためて聴きまくったせいか、なんだかロック疲れしてしまい、最近はまたクラシックへと逃避している。

わたしは中卒で、そのうえ馬鹿で、底辺職の肉体労働者なのだが、なぜかクラシック音楽を聴く。

クラシック音楽を聴く人のイメージと言えば、恵まれたお上品な家庭環境で育ち、高学歴、高収入、人生の勝ち組を想像してしまうが、わたしはまったくその逆だ。

母子家庭で県営団地で育ち、最低学歴、最低収入、欲望の赴くままに生きて借金も重ね、自由奔放のつもりで傍若無人に生きてきた、品性下劣な馬鹿である。

なのでまったく似合わないと思うが、クラシック音楽は二十歳のころから好きだ。

その頃から底辺職を渡り歩いてきたわたしだが、現在行き着いたところが自動車工場である。
工場勤務は早番と遅番の週替わりだが、早番の時は朝4時過ぎに起きて、5時過ぎには家を出なければならない。

約25分の車での通勤だが、そんな起きたての朦朧とした寝ぼけ頭では熱いロックはなかなか聴く気になれないものだ。もう少し単純で柔らかめの刺激でいい。クラシックでも、ワーグナーみたいな複雑なやつやベートーヴェンみたいにイキりたったやつじゃなくて、素朴で思想が無くて音だけが透き通るようにきれいなやつがいい。だから選ぶのは自然とバッハやハイドン、ヘンデル、モーツァルトあたりが多くなる。もちろん宗教曲なんかはダメだ。なんの思想もなく、ひたすら意味の無い、シンプル器楽曲がいい。

中卒馬鹿のくせに、なに背伸びしてクラシックなんか聴いてやがる、と思う方もいるだろう。しかし、それはむしろ逆なのだ。

今挙げたようなクラシック音楽は「絶対音楽」と呼ばれる、音楽にまったくなんの思想や意味も込められていない、純粋に音だけを聴いて楽しむものだ。だからむしろ、頭が悪く、教養も理解力もない、中卒馬鹿向きの趣味であるとも言えるのだ。なにしろ、なにも考えなくていいから。そういう意味ではロックのほうがよほど教養や理解力やセンスがいる。

最近は早朝通勤ではヘンデルの組曲《水上の音楽》をよく聴く。ドイツからイギリスへ移住したヘンデルが、これもドイツからイギリスへやってきて国王となったジョージ1世の舟遊びのために書かれた曲だ。国王たち貴族が舟遊びをしているあいだ、側で宮廷楽団がBGMとしてこれを演奏し続けるというものだ。なんとも贅沢な話だ。そのためだけに曲を書かせるというのも凄いが、それが宮廷作曲家の日常なのだ。

わたしがよく聴いているのは80年代に録音されたトレヴァー・ピノック指揮のイングリッシュ・コンサートによる演奏だ。特に個性も主張も感じない中庸の演奏だが、音はひたすら透き通って耳あたりが良い。ヘンデルなんてそれぐらいがちょうどいいのだ。それにこのCDはわたしが初めて買った《水上の音楽》のCDでもある。こればかり繰り返し聴いたので、他の演奏だと少し調子が狂ったりする。

工場の駐車場に着いて、そこからまだ広い駐車場と広い工場の中をさらに15分歩いて持ち場まで行かなければならない。車に繋いでいたスマホを外し、今度はイヤホンで続きを聴きながら、工場内を歩くのだ。耳に聴こえているものと目に見えているもののとてつもないギャップがシュールで楽しい。

それにしても、ジョージ1世の舟遊びのために書いたはずの贅沢で優雅な作品を、300年後に遠い日本の底辺労働者が自動車工場へ出勤するために聴いているとは、ヘンデルもまさか考えもしなかっただろうなあ。

(goro)

記事を書いた人(Goro)

愛知県在住。中学卒業後、無知蒙昧のまま社会にさ迷い出て、底辺職を転々した後、地元の映画館に拾われる。映画館に10年勤めた後、レンタルビデオチェーンのバイヤーを20年勤め、現在は再び底辺職で肉体労働の日々に返り咲く。心に平安が訪れている。生活に不満はなし。音楽にはいろいろと救われている。「映画は映画館で観なきゃダメ派」ではない。

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