忌野清志郎の生々しい「金」と「女」の歌

「金」に対する生々しく複雑なホンネ

忌野清志郎が書いた、初期のRCサクセションの歌詞には「金」にまつわる歌がいくつかある。
1970年のデビュー・シングルからして、こんな感じだ。

宝くじは買わない だって僕は
お金なんかいらないんだ

宝くじは買わない だって僕は
愛してくれる人が いるからさ

どんなにお金があったって
今より幸せになれるはずがない

宝くじは買わない だって僕は
お金で買えないものをもらったんだ

400万円が当たっても
今より幸せになれるはずがない

(宝くじは買わない/作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一)

当時の1等が400万円だったのか、具体的な金額が出てくるところがやや生臭くて良い感じだが、まあごくありふれた、愛は金よりも尊し、という歌だ。

初期のRCサクセション+4

しかし、その2年後にリリースされた1stアルバム『初期のRCサクセション』に収録された金をテーマにした2曲はさらに生臭い本音と強い思いが歌われている。

何よりも大事だなんて
思ったことが おれにもあったさ
でも今じゃバカらしくて
恋人なんか欲しくない

oh, yes oh,yes この世は金さ
この世は金さ

金さえあればこの世のものは
なんでも手に入れられるのさ
幸せだって女だって金で買えないものはない

(この世は金さ/作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一)

いきなり真逆なことを言い始めたのは2年のあいだになにかが変わったのか。「僕の好きな先生」が少しだけ売れたからか。そして続いてこの曲が収録されている。

金もうけのために生まれたんじゃないぜ
金もうけのために働くのは嫌なのさ
金もうけに疲れて死んでいくなんて
悲しいことさ

金もうけのためにしたくない仕事に
金もうけのために一生かけるなんて
それで人間かよ ロボットと同じさ
虚しいことさ

(金もうけのために生まれたんじゃないぜ/作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一)

またまたさっきとは真逆のことを言っているように聴こえる。

この2曲を連続させたのはあえてのことだろうし、「この世は金さ」は反語表現ともとれるけど、清志郎がそんなつまらない手法を使ってありきたりのことを言うとはあまり考えたくないので、「宝くじは買わない」も含めて、矛盾しているようだけれども、3曲ともすべて本気で思っていることを歌ったに違いないとわたしは捉えている。

矛盾した価値観が同時に存在するなんてべつに不思議なことではないし、人の価値観なんてそんなものだと思う。だから人は迷ったり、血迷ったりする。
わたしはそんな、矛盾した価値観や心情をあえてカッコつけずに曝け出す、純粋で正直者で真にロックな忌野清志郎が大好きだ。

◇'7◇RCサクセション「ボスしけてるぜ / キモちE」Kitty Records DKQ 1084 忌野清志郎 仲井戸麗市 -  ディヴァインレコード《中古専門レコード店》買取と販売・名古屋市中区新栄

1980年のシングル「ボスしけてるぜ」は、若い労働者が社長に、少しだけでも給料を上げてほしいと頼むが、すげなく一蹴される歌だ。

ボス、ボス、ボス するとボスがこう言った

ボーズ、おまえのために
ボーズ、おまえのために
おれの会社は潰せねえな ボーズ

ボス、しけてるぜボス
次の日仕事さぼって寝てた

やる気がしねえ やる気がしねえ
だけどボスには腹が痛くてと 電話するおいらさ

ボス、ボス、ボス
まったくしけてるぜ
これじゃあんまりだ 青春がだいなしだ
給料日前にはいつもあんたを恨んでる ボス ボス ボス

(ボスしけてるぜ/作詞・作曲:忌野清志郎)

わたしはこの歌を中二の時に聴いて、たいへん驚いた。愛だの恋だのを歌うのが歌謡曲なのに、いったいなんでこんな給料を上げてくれだの、やる気がしねえだの、そんないやらしい、生臭いことを歌ってるのだろう。もしかしてこれは歌謡曲ではないのだろうか。

歌謡曲ではなくロックだったことに気づくのはもう少し後だったが、でもあらためて考えてみると、労働者の心情や職場の出来事やお金の悩みなんかを歌う歌なんてすごく少ないのはなんでなんだろうと疑問に思ったものだ。

恋をしている人よりも毎日働いている人のほうが圧倒的に多いわけだし、共感するところはたくさんあるはずなのに。とくに今なんて、物価ばかり上がって給料はちっとも上がらない時代なのだから、若い人たちはもっとそんなことを歌ったらいいんじゃないかと思う。
お金のことや、働くことは、愛だの恋だのみたいにロマンチックじゃないからか。カッコ悪いからか。わたしはそうは思わないけれども。「ボスしけてるぜ」はすごくロックで、カッコいい歌だ。

この曲はその昔、銀座有線と荻窪有線では放送禁止になったらしい。地域柄、こんな歌が金持ちの社長さんたちの耳に入ったら大変、とでも思ったのだろうか。バカげてる。狂ってる。

PLEASE+4(SHM-CD)

さらに、アルバム『PLEASE』収録の「いい事ばかりはありゃしない」では、「金が欲しくて働いて、眠るだけ」と、その虚しい日々を歌にしている。

新宿駅のベンチでうとうと
吉祥寺あたりでゲロ吐いて
すっかり酔いも醒めちまった
涙ぐんでも始まらねえ
金が欲しくて働いて 眠るだけ

(いい事ばかりはありゃしない/作詞・作曲:忌野清志郎)

RCサクセションは「ぼくの好きな先生」がオリコンシングルチャート70位に入る小ヒットとなった以外は、デビューから10年、まったく売れず、事務所からも仕事を干されるという、長い長いどん底生活を味わっている。どうにも思うようにならない人生に、金に対する執着や思いはどんどん複雑になっていったことは想像に難くない。

また、同じアルバムに収録されている「あきれて物も言えない」は、自分が死んだとデマを流した奴に激怒しながらも、デマに乗せられて集まってくる香典の金でなにをして遊ぼうかと歌う歌だ。数年間も仕事をさせず、飼い殺しにされていた事務所への激しい恨みつらみの心情も聴こえてくる。

わたしはそんな、執着や欲望や怨念や生臭い本音を曝け出す、清志郎の歌が大好きだ。

女性への蔑視と憎悪

そしてまた、ピュアで美しいラヴソングを多く歌った清志郎は、同時に女性への蔑視や憎悪とも取れる歌も包み隠さずに歌ったものだ。これもまた正直すぎる清志郎の、他のアーティストにはない魅力のひとつだと思っている。

三番目に大事なもの/RC SUCCESSION/RCサクセション|日本のロック|ディスクユニオン・オンラインショップ|diskunion.net

RCの5枚目のシングル「三番目に大事なもの」はこんな歌だ。

いちばん大事なものは自分なのよ
その次に大事なものが勉強で
三番目に大事なものが恋人よ

(中略)

男の子ならだれでも構わないわ
友だちに見せるために恋をするから

(三番目に大事なもの/作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一)

友だちに見せるために恋人を作るという女子高生。しかも三年生になると受験勉強が忙しいからお別れしましょう、高校生活の思い出を作るために、その前に恋をしておくの、と言う。

「3番目ならいいほうじゃないか」と世のお父様方なら言いそうなものだけど、なにしろ、純粋でロマンチックでたぶん童貞の男子高校生のことだ。きっと彼女のことで頭がいっぱいになるほど、熱烈な恋をしていたのだろう。この世でなによりも大切な君。なのに彼女は三番目だの、三年になったらお別れしましょうだの、スーパードライなことを言う。恋人より勉強のほうが大事だなんて、信じられなかったに違いない。

清志郎の怨念が漏れ出ているような歌唱がたまらない。

これは清志郎の実体験なのではないかとわたしは推測している。だって、作り話でわざわざこんな哀しい想いを歌ってもしょうがないし。初期のRCに女性を蔑視、罵倒し、憎悪すら感じる歌詞もあるのは、このときの体験による清志郎の女性不信が根底にあるからではないかとわたしは睨んでいる。それにしてもよくこれをシングルで出そうと思ったものだ。売れるわけないと思う。

RCの1stアルバムにはこんな歌も収められている。

あの娘がダメなときは この娘と寝よう
この娘もダメなときは だれかを探そう
女なんてどれも同じさ
女なんてどうせくだらない奴らさ

(国王ワノン一世の歌/作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一)

今の時代なら大炎上しそうな歌詞だが、これも本気なのに違いない。欲望というよりは、女性への蔑視を強く感じる生々しい言葉に、心がザワつく。そんな歌はなかなか無いものだ。

RC・サクセション – キミかわいいね (1972, Vinyl) - Discogs

RCの4枚目のシングル「キミかわいいね」でも、清志郎は残酷に本音を歌う。

キミかわいいね でもそれだけだね
キミかわいいよ お人形さんみたい それだけさ
キミといっしょにいたら 僕こんなに疲れたよ
酒でも飲まなきゃキミとはいられない
シラフじゃとてもいっしょにいられない
キミかわいいね でもそれだけだね

(キミかわいいね/作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一)

初期のRCのライヴ盤『悲しいことばっかり』に収録された「あそび」という曲でも、優しさやいたわりなど一切感じない、激辛の本音が歌われる。

あの娘とはただの遊び
遊びでやったのさ
あの娘なんか好きじゃない
遊びでやったのさ
僕が悪いと言われたよ
そうかもしれないな
(中略)
大切なものをくれたんだと
あの娘は言いだした
そんなに大事ならなぜ捨てた
捨ててからそう思ったくせに

(あそび/作詞・作曲:忌野清志郎)

このライヴ盤のMCで、この歌を2ndアルバムのためにレコーディングしたものの、これを入れるなら発売禁止にする、と言われてやむを得ず外したと語っている。間接的な表現なら良いが、「遊びでやった」などという直接的な表現がいけない、と言われのだそうだ。それなら歌詞を変えよう、、とならないところが清志郎のステキなところだ。

悲しいことばっかり(オフィシャル・ブートレグ)

どちらの歌も、女性蔑視にもほどがあると怒られそうだが、別にこれの男女が逆の立場の場合だって普通にあるわけで、どちらの立場でも、自分の思ったことを歌えばいいだけだとわたしは思う。

これは金や女とは関係ないが、RCサクセションにはこんな歌もある。

歌もただの作品だ。映画や小説で殺人鬼や異常者が描かれることがあるように、異常なことを言う歌があったって別にいいのだ。それが音楽作品として魅力のあるものであれば、聴きたい人がお金を払って聴くだろう。それを公共の電波に乗せたりすることはまた別の、放送局の担当者の判断による問題だ。

「女」にしろ「金」にしろ、生々しい心情や生臭いホンネが歌われた歌にわたしは魅力を感じる。怒りにまかせた刺々しい言葉もまた、表現としてなら凶々しい魅力になる。清志郎の歌は、愛を歌っても、憎悪を歌っても、いつもリアルで、正直で、真っ直ぐ心にぶっ刺さってきた。

それにしても、今の若い人は物価に比べて給料はすごく少ないし、言動にもずいぶん気を付けなくてはいけない時代で、きゅうきゅうとして、縮こまって、あきらめきって生きているようにさえ見える。可哀そうだ。

もっと清志郎みたいに、あいつが憎い!と生々しい言葉で叫んだり、もっと金をくれ!と生臭い欲望を曝け出すような歌を歌ってもいいのに、と思う時もある。

言葉だけだと聞くに堪えないぐらい不快なことでも、メロディやリズムやサウンドで上手に美しい音楽にすれば作品になり、共感も生まれるかもしれない。

あの素晴らしいロックバンド、RCサクセションのように。(Goro)

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