1990年、軍団が野に放たれる【死ぬまでにもう一度見たい映画を考える】その8

3-4x10月 : 拝啓活動写真様

90年代に突入すると、80年代とは世の中の空気感があきらかに変わってきた。

海外ではベルリンの壁が崩れ、ソ連共産党の独裁に終止符が打たれると、東欧の共産国家も連鎖倒産みたいに廃業する格好となった。冷戦の時代が終わりを告げたことは、世界の隅々にまで影響を及ぼしていたのかもしれない。

元号も平成に変わったところで、日本でも新しい時代が始まっているという実感は当時24歳の若者のわたしにもあった。ただし、悪い意味でも。日本ではバブル経済が崩壊し、まるでタヌキに化かされていたみたいに突然楽しい宴は終わり、人々は財布の中の札束が全部葉っぱに変わっていることを知って、我に返ったのだ。もともとバブルの恩恵なんて受けたこともないわたしにはあまり関係なかったが。でもあれからずっと不景気だ。もう30年以上も。可哀そうな平成生まれの若者たち。すべて、今どきの大人たちが悪いのだ。

80年代にはダンスミュージックやシンセポップに席巻されていた音楽シーンに、俄かにゴリッゴリの殺伐としたロックがシーンに復活し、活況を呈してきた。ロック好きでシンセ嫌いのわたしは俄然いきり立った。

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そして映画も新しい時代に突入しようとしていた。ロックとの関連性があるわけではないけれども、似ているところがあるとすれば、もうオシャレも格好つけるのもやめて、生々しい裸のリアリティを追及しようとしているような傾向のものが次々と生まれてきているように感じた。ていうか、わたしがそういうものを求めていただけなのかもしれないけれども。

北野監督が軍団を野に放った、やりたい放題の傑作

このブログのシリーズの前回の記事、『1989年 邦画新時代の始まり【死ぬまでにもう一度見たい映画を考える】その7』の最後に「革命的な作品を連発して世界的な評価を得ることになるあの監督もこの年にデビュー作が公開された」と書いたが、その作品こそが『その男、凶暴につき』(’89)であり、監督はもちろん、北野武である。

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もともと監督を予定していた深作欣二が急遽降板することとなり、松竹プロデューサーの奥山和由が主演のたけしに監督も任せることにしたのだという。好きなようにやっていいから、と。奥山がこのお笑い芸人の映画監督としての才能を見抜いていたのかどうかはわからないが、結果はその偶然の成り行きに感謝すべき素晴らしい出来となり、多くの評論家が激賞した。

そして、この年公開されたのが、北野監督の第2作『3-4×10月』(’90)だ。タイトルは「サンタイヨンエックスジュウガツ」と読む。野球のスコアのことだ。劇場用ポスターのキャッチコピーは「軍団、野放し!」だった。

前作『その男、…』は、脚本は他人が書いたものであり、凄まじい暴力描写や、よりリアリティを引き立たせる凝ったカメラワークなど、北野監督らしい画期的な部分もあるが、全体的には従来の日本映画の延長上の作品だった。

しかし『3-4×10月』は明らかに違った。画期的どころではない、革命的な作品だった。

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監督自身が書いた脚本は、笑いと暴力と鮮烈な映像が見事なまでに融け合った新しいジャンルとも言えたし、無表情で動きの少ない演技はこれまでの演技の概念を捨て、あり得ないような長い間や、引きの映像の多用、音楽を一切使わないなど、当時の日本映画の常識をことごとく覆すものだった。この映画のすべてのシーンの1分、1秒までが、わたしには血沸き肉躍る、新鮮な驚きと興奮に満ちたものだった。

しかしというか、当然ながらというか、主演が地味極まりない無表情の柳ゆうれいという、これまた映画の常識を覆しすぎた傑作は、興行的には大失敗に終わった。それでも批評家は高く評価し、ヌーヴェル・ヴァーグとの共通性も指摘され、フランスでは熱狂的な支持へと繋がっていく。

映像ソフトなどほとんど買ったことのないわたしだが、北野監督作品のBOXセットだけは持っていて、この映画もそうだが、他の作品もすでに何度か見返している。

ソナチネ [DVD]

中でも最高傑作は4作目の『ソナチネ』(’93)だろう。「死」に引き寄せられ、追い詰められていく破滅的なストーリーが、虚無的な笑いと焦燥感に駆られた暴力、閉塞感は沖縄の海の美しい映像で表現され、ゴダールの『気狂いピエロ』を彷彿とさせた。もちろん、あれ以上の作品だ。

いったいどこからこんなアイデアが湧いて出てくるのだろうと驚嘆するような映像表現が次から次に出てくる。紋切り型の演技や教科書通りの演出やどこかで見たような展開など一切出てこない。ヤクザ映画という古典的なフォーマットを使って、斬新な芸術にまで高めた、日本映画史上に輝く名作である。

北野監督の表現方法や演出はやはり暴力と死臭に満ちた映画と相性が良い。高校の親友同士が、ひとりがプロボクサーに、もうひとりがヤクザへの道を歩む『キッズ・リターン』(’96)もまた超名作だ。

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さらにヴェネツィア国際映画祭でグランプリを獲った『HANA-BI』(’98)、アメリカに殴り込みをかけるヤクザ映画『BROTHER』(’01)もそれに続く傑作だ。

近年のヒットシリーズ『アウトレイジ』(’10)、『アウトレイジ ビヨンド』(’12)、『アウトレイジ 最終章』(’17)はすべて素晴らしいが、初期作品と比べるとかなりエンターテインメント性が高く、一般的な映画として見やすい作りになっている。そのため興行的にも成功した。もちろん映画の質はまったく落ちていない。これもすでにわたしは2周目を見終えたが、しかし年も取って最近は都合の良いことに物忘れも激しいので、どうせすぐにまた見たくなるだろう。

あの夏、いちばん静かな海。 [DVD]

ヤクザ映画以外でも、聾唖の恋人同士を描いた『あの夏、いちばん静かな海』(’91)には泣かされたし、不良中年と小学生の少年のロードムービー『菊次郎の夏』(’99)、北野作品最大のヒット作『座頭市』(’03)などももちろん素晴らしい出来だ。

なにしろ北野武監督はわたしが日本でいちばん好きな映画監督だ。ほっといても死ぬまでに全作品を何度も見返すだろう。

レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ

不思議な偶然なのか、時代の必然なのか、あるいは共時性とでも言うのか、その北野監督と映像表現や演出に多くの類似性を感じるフィンランドのアキ・カウリスマキ監督の『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(’89)が日本公開されたのもこの年だ。

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この長めの間や引きの映像、セリフの少ない無表情な演技など、ジワジワくる笑いに満ちた作品でありながら、芸術性の高い映像作品となっている。音楽的にも楽しい作品で、何度でも見たくなる。続編の『レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う』(’94)も良かった。

マッチ工場の少女 (字幕版)

カウリスマキ監督もすべてが傑作と言っていい監督だが、特に『マッチ工場の少女』(’90)、『浮き雲』(’96)、『過去のない男』(’02)も強い印象を残した。

松坂慶子の怪演

邦画ではもうひとつ、小栗康平監督の『死の棘』(’90)も強烈な印象を残した。

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岸部一徳と松坂慶子が夫婦役を演じ、夫の浮気を知った妻が精神に異常をきたす話だ。

夫が謝罪し、一見平穏に戻った生活の中でも一旦なにかのきっかけでスイッチが入ると妻は人が変わり、気違いじみた言動で怒りを爆発させる。鬼気迫る松坂慶子の演技が素晴らしい。これを見たら浮気だけはすまいと全男性が心に誓うのではないだろうか。それを肝に銘じるためにももう一度見ておきたい傑作だ。島尾敏夫の原作もまた読み応えのある名作だった。

新世代のブラック・ムービー

そしてアメリカにも新たな時代の到来を予感させる映画が登場した。
当時31歳で(もっと若く見えたが)製作・監督・脚本・主演を務めたスパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』(’89)だ。

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黒人、イタリア系、韓国系など様々な人種の坩堝であるNYブルックリンを舞台に、日常的な人種間の対立が、暴動に発展していく様をユーモアや自虐も込めながら描いた作品だ。

一見ポップでありながら、かなりシリアスで繊細なテーマの作品で、こんな風に市井の人々の日常レベルで深く根を張る人種問題を扱った映画はなかったし、パブリック・エネミーなど当時の先鋭的な音楽が使われているのもカッコ良かった。

その後も主に黒人を主人公に据え、人種問題から社会問題、政治やスポーツ、麻薬を取り巻く問題など、一筋縄ではいかない問題に公平な視点で鋭く踏み込みつつ、エンターテインメント性の高い作品をスパイク・リーは生み出していった。そのほとんどが見る価値があり、楽しめる良質な作品だ。

マルコムX [DVD]

デンゼル・ワシントン主演の大作『マルコムX』(’92)は中でも印象深く、もう一度見たい作品だ。同じくデンゼル・ワシントン主演による黒人のバスケットボール選手を取り巻く困難な問題を描いた『ラストゲーム』(’98)や、銀行強盗事件を描いた『インサイド・マン』(’06)なども忘れ難い。

さて、この年に公開された傑作にもうひとつ、マーティン・スコセッシ監督の『グッドフェローズ』(’90)というわたしの大好きな作品があるのだけれども、もうさすがに記事も長すぎるので次回に回し、スコセッシから遡ってアメリカン・ニュー・シネマの中からもう一度見たい映画も考えてみたいと思う。(Goro)

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