名盤100選 01 セックス・ピストルズ『勝手にしやがれ!』 1977

勝手にしやがれ!!

このアルバムが発表された77年、わたしは11歳だった。セックス・ピストルズのことなど知るわけもなく、沢田研二のほうの「勝手にしやがれ」に夢中だった。

わたしが当時最も動揺させられた出来事は、小学5年生のわれわれ男子が校庭でサッカーに夢中になっているあいだ、同級生の女子たちはなにやら黒いカーテンに蔽われた視聴覚室に集められて、謎の授業を受けていたことであった。
女子たちに「なんだったの?」と訊いてもなぜか誰も答えてくれない。その日を境に女子が急に上から目線になった気さえした。
そのうち男子たちの噂でそれはなんとなくオトナになるための重大な秘密を女子だけが知らされたらしいということが徐々にわかってきた。
わたしはまだ子供だったが、女子は一足先に大人の世界に踏み込み、われわれ男子は置いてきぼりを食らった感じだった。
そんな程度だから、海の向こうのイングランドで起こっているパンク・ムーヴメントなど知る由もない。

そう言えばその翌年だったか、学年一喧嘩の強い女がわたしのことを好きになった。森三中の黒沢に容姿が似てて、あれをもっと眼光鋭く筋肉質にした感じだ。ドッジボールで投げる球は誰よりも速く、男子でも受けられる奴はいない。その女がわたしのことを好きだということは人づてに聞いた。
その女がある日わたしにこう聞いた。
「『犯す』って意味わかる?」
「罪を犯すっていうこと?」わたしは無邪気にそう返した。
「女を犯すっていうこと」
「いや、わからない」
わたしは純真だった。わからなくてよかったと思う。

それがわたしにとっての1977年だったけれども、このアルバムを初めて聴いたのはもう二十歳を過ぎていた頃だったと思う。
だからわたしはリアルタイムのパンクムーヴメントの衝撃というものは知らない。ただ、わたしがそれまで聴いていた60年代の英米のロックはあくまで父と母であるブルースとカントリーにこだわっていたのに対し、セックス・ピストルズのアルバムにはそういったしかつめらしい匂いもコンプレクスも一切感じられなかった。わたしはそこに新鮮さを感じた。

そこにはうさん臭いインテリジェンスも、素人を惑わす目くらましの技術もなかった。代わりにあるのはユーモアのセンスとわかりやすいメロディーと小ざっぱりしたサウンド、決して余計なことをしないドラム、エレキギターの透明な轟音と天真爛漫なギャグマンガのようなヴォーカルである。
それらのいさぎよさは美しく、手探りや迷いが一切なかった。

ビジュアルがファッショナブルなのも好感を持ったが、しかし反逆とか不道徳、怒りとか反体制的なイメージに熱狂することはなかった。
それらはすべてブラックユーモアである。
圧倒されるほどテンションが高い音楽ではあるが、どこか醒めている。クールなのだ。

わたしは少年のころマンガが好きだったが、劇画は嫌いだった。
「あしたのジョー」や「巨人の星」「ゴルゴ13」のような暑苦しい劇画が嫌いだった。「天才バカボン」や「がきデカ」のようなギャグマンガが好きだった。
とくに鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」というムチャクチャなマンガを愛したが、セックス・ピストルズはまさにそんなギャグマンガのようにクールだった。

いま、久しぶりに「アナーキー・イン・ザ・UK」「さらばベルリンの陽」を大音量で聴いてみた。
やはり完璧としか言いようのない、奇跡のサウンドである。

わたしはこの20年間に数千のアルバム、数万の楽曲を聴いてきたが、それでもやはりそう思うのである。
いや、20年前に聴いてた頃より今のほうがもっと確信を持って思う。
あらゆる意味において、最も完璧なロック・アルバムである。

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コメント

  1. ごろー より:

    恥ずかしい
    およそ10年前に書いた最初の記事なのでわたしも久しぶりに読みましたが、今読むと余計なことをいっぱい書いてるのが恥ずかしいですね。

    ピストルズはわたしもだいたい同じ認識です。
    だれにも真似できないような超絶クールでユーモアのセンスが図抜けていて、唯一無二のオリジナリティのあったバンドだったと思いますね。

  2. フー太郎 より:

    遅ればせながら
    今にして思えばピストルズってニューヨークドールズのフォロワーに聴こえなくもないです。どちらもマルコムマクラーレンが関わってますし。ただドールズの方が退廃的ないかがわしいグラマラスな雰囲気で、ピストルズはどこか人を食ったというかインテリがあえて馬鹿のフリをして世間をおちょくる文学性と暴力性が同居したある種掴み所がない感じがします。