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Smashing Pumpkins
“Gish” (1991)
スマッシング・パンプキンズの世間一般の評価で、どうにも納得いかないことがある。
それはこの1stアルバムの評価の低さだ。なんだかメロンコリーばっかりがもてはやされ、中には「1979」だけの一発屋だと思ってるやつまでいる始末だ。許せん。
などと興奮する必要もないのだが、わたしにとってはこの1stのインパクトは、それはもう大変な衝撃だったのである。
本作は1991年の5月にリリースされた、スマッシング・パンプキンズの1stアルバムである。
当時このアルバムを聴いたとき「おおっ!90年代のレッド・ツェッペリンだ!」などと興奮したことを思い出す。
いやレッド・ツェッペリンなんて当時のわたしはまだ5曲ぐらいしか知らなかったのだけれど、まあとにかくそう思ったのである。
レッド・ツェッペリンはなんだかちょっと晦渋だけれど、グルーヴ感がいいな、などととわたしは思っていて、でもコシがありすぎてやや固めなので、もうちょっと湯に浸けたほうがいいのではないか、という印象なのだった。
スマッシング・パンプキンズもグルーヴ感がよくてやや固め、でもなんとなくユーモアも軽さもあって、そんなに晦渋な感じはしない。ダーシーがいるおかげで見た目に華があるせいかもしれない。
当時は素人感丸出しの学生あがりみたいなバンドが幅をきかせていて、それはそれで面白かったのだったけど、スマパンは中途採用でいきなり主任、みたいなちょっとだけ大人のバンドみたいで、きっちり仕事ができる感じだった。
フロントマンのビリー・コーガンは音楽以外にはあまり興味がなさそうで、気難しくてストイックでちょっとだけ狂った坊さんのような男である。
スマパン解散後にズワンというバンドを結成したものの、アルバムを1枚出しただけですぐに解散した。ツアーなどでメンバーが酒やら女やらで遊ぶのが気に食わなかっという理由らしい。ビリーは彼らのことを「ペテン師野郎共」と罵倒した。わたしはこういう男に好感を持つ。
若い情熱を迸らせた本作は、ヘヴィなリフ+16ビートの一辺倒ということで、のちの作品に比べるとそこが評判が良くないらしいが、わたしは逆にそれが良かったのである。スマパンはやっぱりこのスマパン・グルーヴが原点なのだ。それ以外のスローテンポの曲はどこかゴスの香りが漂うが、きっとそういうのがビリーの趣味なのだろう。ラストのダーシーのヴォーカル曲もいい。
本作のプロデューサーは、あのブッチ・ヴィグである。
そして同じくブッチ・ヴィグのプロデュースによるニルヴァーナの『ネヴァーマインド』がこの4ヶ月後に発売されてあの大騒ぎになったことで、スマパンはちょっと影が薄くなった感があった。えらく損をしたものだと思う。
もしスマパンをこれから初めて聴くという人がいたら、わたしはまずはこの1stから聴くことをお薦めしたい。わたしもこれでスマパンが好きになったということもあるし、できれば順を追って聴くほうがいいと思うからだ。彼らのわずか数年の、とてつもない成長過程を楽しむことができる。
↓ スマパンのデビュー・シングル「アイ・アム・ワン」。
↓ こちらも初期の典型的なスマパン・グルーヴ「ベリー・ミー」。
(Goro)
コメント
これも91年物です。
いいコメントですねー。
タワーレコードということは、クラブ・クアトロのライヴですね。
「トゥデイ」が出てるならもう完全にブレイクしてた93年頃だと思うけど、その時代にまだスマパンをあの小さいホールで見れるというのは、つくづく名古屋人て得だよなあと思いますね。
ビリーと私と時々イハ
僕には自慢が一つある。初来日のスマパンを観にいった時、本番1時間前くらいなのにタワーレコードでCDを物色しているビリー・コーガンに会ったことだ。
そのころ、まだ剃髪まえの彼は変な柄のシャツを着た気の優しそうなノッポで猫背の青年だった。その柄シャツはそのまんまステージ衣装だった。
ステージでは途中、日本人のファンからの手紙をスタッフらしき日本人女性に日本語と英語で読ませて、「トゥデイは素晴らしい曲ですね」というくだりになるとニコニコと、ニコニコと本当に嬉しそうにはにかんだりしていた。
それが、何時の間にやら憎悪の塊の錯乱した宇宙人みたいな坊主頭になっていて、当時はビックリしたのを覚えている。
きっと仕事にも他人にも自分にも、大変素直で生真面目な人なんだろうな、と思う。
僕の好きなバンドを5つ挙げろ、と言われたら迷う事無く思い浮かぶスマパン。
出来れば好きになってほしいので、僕もこのアルバムから聞いて欲しいと思います。
そうだ、これも91年だったよね。