名盤100選 36 ビッグ・スター『サード/シスター・ラヴァーズ』(1975)

Big Star Third

メンフィス出身のアレックス・チルトン、ミュージシャンの間では神格視する人も多いはずのこのアーティストはしかし不遇な音楽人生を送り続け、たぶん現在に至ってもまだそうである。
その彼が中心となって1970年に結成したバンドがこのビッグ・スターである。75年まで活動してアルバムも3枚出したが、気合の漲るバンド名が冗談に思えるほど、まったく売れなかった。

アレックス・チルトンは60年代にザ・ボックス・トップスというバンドでデビューし、全米NO.1になった「あの娘のレター」などのソウルフルなヒット曲を何曲か飛ばした。当時16歳であった。
ブルー・アイド・ソウルとして売り出されたボックス・トップスも悪くは無いが、当時のストーンズやビートルズなどのビート・バンドに比べれば、いかにも売ることだけを目的にして作られたような、バンドらしさのあまりない作り物臭いサウンドだった。
ボックス・トップス解散後、70年にソロ・アルバムを録音するがお蔵入りとなり、その後結成したビッグ・スターも売れず、70年代後半からはソロとして、皿洗いなどしながらボチボチと音楽活動をして生計を立てている。現在もそんな感じのようである。たぶんまだ生きている。

そんなアレックス・チルトンのビッグ・スターが脚光を浴びたのは90年代初頭のことだったと思う。
当時、やけにいいメロディを書くがサウンドはラウドで、でもパンクやグランジみたいな攻撃性はないし、かと言ってゆるすぎて商業的にもなれない、といったなんだか気合の入らないフリーターみたいなバンドが注目を集め、彼らのサウンドは「パワー・ポップ」と呼ばれるようになった。
ティーンエイジ・ファンクラブ、ヴェルヴェット・クラッシュ、ポウジーズ、ウィーザーなどがそうで、わたしは当時パンクよりもグランジよりも、それらパワー・ポップと呼ばれたバンドを好んだ。
またルックスがヘタレな感じである。要するに彼らは商業的には本来、中途半端なのである。でも90年代にはそれがリアリティとして共感を持たれ、歓迎された。

そのパワー・ポップの祖と呼ばれたのがバッドフィンガーと、このビッグ・スターだった。
このまったく売れなかったビッグ・スターはしかし、その後のロックおたくたちに大きな影響を与えていたことが判明したのだ。
ビッグ・スターのアルバムはファーストやセカンドにも良い曲はあり悪くはないが、このサードは名曲ばかりがずらりと並ぶ奇跡のように美しい名盤である。
バーズのファーストやヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコと同程度の名盤とわたしは認識している。ベスト100ではなく、ベスト10であったとしても、わたしはこのアルバムを選出するかもしれない。

ビッグ・スターはたぶんもうこのアルバムを出したら解散することを決めていたのだろう。
どうせ売れないのだから最後は好きなことだけやろう、といった潔さと、商業性を考えていないための内省的な深みがある。
フリーター君が、今日で仕事やーめた、と思ったらいつになく集中力が高まって最後にものすごく良い仕事をして去って行ったような感じである。

ビッグ・スターは90年代半ばに再結成した。
と言ってもオリジナル・メンバーはアレックス・チルトンとドラマーの2人だけで、あとポウジーズのメンバーが2人参加したらしい。
そのメンバーで来日も果たし名古屋でもライヴをやったらしいが、客入りは少なく、アレックス・チルトンが出てきても誰も気づかず、ポウジーズのメンバーが出てくると歓声が上がったというから、ほんとうにどこまでも不遇な音楽人生を送る男である。

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コメント

  1. ゴロー より:

    しずれぇーか、そうだろうなあ。
    でも頑張って書かせていただきます。
    次も日本ではあまり有名じゃないシンガー・ソング・ライターです。

  2. フェイク・アニ より:

    続 フリーターと私
    70年代後半からずっと皿洗いやってたら、きっと凄いスキルあるんだろうな。
    ウチの店にも是非ほしいですね。

  3. フェイク・アニ より:

    フリーターと私
    うわー、コメントしずれぇー。
    でも安心してくれ、ちゃんと読んでるから。