作詞:阿久悠 作曲:大野克夫 編曲:船山基紀
さあ、いよいよニッポンの音楽について語ろう。
日本人だからあたりまえだけど、わたしも少年の頃はニッポンの歌謡曲で育ったのだ。
何をどう間違ったか、洋楽の方を主に聴くようになって、このブログもずっと洋楽だけをテーマに書いてきたが、わたしの音楽の原点はもちろん、ニッポンの歌謡曲である。思い入れは海よりも深い。
様々な日本文化の中でも、わたしが最も愛するのは「日本語」なので、それによってつくられた音楽を愛さないわけがない。
小学生の頃、深夜まで布団を被ってラジオから流れる音楽に耳を澄まし、『ザ・ベストテン』を第1回から見て、その順位を毎週ノートにつけていた。
わたしはニッポンの歌謡曲を心から愛していたので、ある時期からそれが「J-POP」なぞというくっそダセぇ言葉に呼びかたが変えられたことにすら、怒りを覚えたほどだった。
【ニッポンの名曲】シリーズをこの「勝手にしやがれ」から始めるのは、この曲こそが、わたしがこの地球に生を受け、初めて好きになったポップソングだったからだ。
わたしは小学5年生で、TVで沢田研二が「勝手にしやがれ」を歌うのを見て、初めて音楽を「カッコいい」と思った。
そうしてわたしが最初に好きになったアーティストが、沢田研二だった。
あんなふうになりたい、と願ってきたが、残念ながらまだなれていない。
1980年に描かれた大友克洋の漫画『気分はもう戦争』で、主人公たちのこんなやりとりがある。
「ジョン・レノンがさ、殺されたんだってよ」
「騒ぐな! たかが毛唐の楽団屋じゃねーか。俺たちにはまだ沢田研二がいる!!」
わたしは激しく共感したものだ。
わたしにとっても沢田研二は、ジョン・レノン以上の存在だった。
わたしにとっての、音楽の原点であり、ロックの原点でもある。
この曲は1977年発売なので、セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ』の発売と同じ年ということになる。
沢田研二の「勝手にしやがれ」は5月の発売で、ピストルズのほうは10月なので、沢田研二の方が先だ。
どちらも、1960年のゴダール監督によるハードボイルドでアナーキーなフランス映画『勝手にしやがれ』のイメージから取られているのは明白だが、偶然だとしたら凄い偶然だ。
ピストルズを聴くのはまだ先だったが、とにかく1977年はわたしの人生を変えた2つの『勝手にしやがれ』が誕生した奇跡の年だったのだ。
「メロディが覚えやすくて、親しみやすい」という意味でよく「キャッチーな」という言葉を使うけれども、洋楽の様々なジャンルと比べてみても、ニッポンの歌謡曲ほどキャッチーな音楽は無いと思う。
この「勝手にしやがれ」も、イントロも歌メロもサビも、間奏も、そして歌詞も、ついでにステージアクションも、すべてがもう過剰なくらいにキャッチーだ。
この曲はまさにそうなのだけれど、全体に日本のポップスは、歌謡曲からロックに至るまで、そういう傾向はあると思う。だから日本で売れる洋楽というのも昔からそういう傾向があった。
もしオリンピックに音楽のキャッチーさを競う競技があったら、日本は金メダル取り放題だと思う。
ただし、それが好きだという人もいるし、嫌いだという人もいるだろう。
もちろん、わたしは大好きだ。
「勝手にしやがれ」の作詞は阿久悠である。凄い詞だ。
阿久悠は常に、出来上がったメロディに乗せて詞を書くという方法をとっていたという。
その方法で、こんなに完成度の高い、ドラマチックな歌詞が書けるなんて、信じられない話だ。取ってつけたような、無理に合わせたようなところなんてまったくない。天才である。
わたしは詩を読むという趣味はないが、阿久悠の書いた歌詞はずっと眺めていられるぐらいに面白く、美しい。
こんなに豊かでカッコよくてユニークな言語を持つ、日本という国に生まれたことをあらためて幸福に思う瞬間だ。