名盤100選 19 ジーザス&メリー・チェイン『21シングルズ』 (2002)

衝撃的、という意味ではわたしにとってこれ以上の音はない。
それがこのシングル集の1曲目、彼らのデビューシングルである「アップサイド・ダウン」である。
もしこの曲に、このバンドに出会っていなければ、わたしは90年代以降もロック・ミュージックを聴き続けたとは思えない。
この殺伐とした、この異常に完成度の低いバンドが放射するエネルギーは、わたしに未来のロックミュージックをもっと聴きたいという熱狂的な気分にさせた。

80年代のポップ・ミュージックではエレキギターは影の薄い存在となった。
それよりシンセや打ち込みの音のほうが新鮮だったのだ。
ロックバンドはいちおう決まりとしてエレキギター担当者を置いてはいたが、いかにエレキギターらしい音を出さないか、あるいはいかに弾かないか、ということに注力しているかのようだった。
そこへこれである。
1984年、マドンナが安物の衣装で「ライク・ア・ヴァージン」を歌ってた頃のことだ。

キュイイイーーーーーーンンンピピーーーーキィィィィィキキキキキキーーーガーーーーーーーーーーーーー

最初から最後までエレキギターの耳をつんざくようなフィードバック・ノイズの嵐、その嵐の向こうにかすかにドラムのぽこぽこいう音と歌ってる声らしきものがかろうじて聴こえてくる。
まるでエレキギターを初めてアンプにつなげて、どのつまみを調節していいかわからずにあたふたしているうちに終わってしまったような曲だった。
水圧でコントロールできなくなった消防ホースのようにエレキギターがホワイトノイズを放出しながら跳ね回っている。

エレキギターとは本質的にはノイズを出すための楽器なのだということをあらためて認識した。
そしてなにより衝撃を受けたのは、これが前衛とかそういうものではなく、ちゃんとポップソングとして成立していることである。
メロディそのものは60年代のポップスのようにシンプルでわかりやすい。ただし甘いシュガーコーティングの代わりに、フラストレーションの爆発のようなフィードバックノイズに包まれている。
まあえらく聴きにくいポップソングではあるが、もともとロックなんてものは聴きにくいのがウリの音楽なのだ。

この1曲が後の90年代英米のロックミュージックの方向性を決定付けたと言えるだろう。
エレキギターを抱えた若者たちが一斉にアンプのヴォリュームぐいっと上げたのである。
そこからマイ・ブラッディ・ヴァレンタインやライドやオアシスが生まれ、アメリカにも飛び火してダイナソーJrやピクシーズやニルヴァーナやスマッシング・パンプキンズを生んだ。
若者だけではなくニール・ヤングのようなおっさんにも影響を与え、彼に轟音ギターの弾きかたを思い出させ、復活させることとなった。

ジーザス&メリー・チェインはウィリアムとジムのリード兄弟によるバンドだ。
ドラムにはボビー・ギレスピーがいたが、彼は早々に脱退して自分のバンド、プライマル・スクリームをつくった。なのでセカンド・アルバムからはドラム・マシンで録音されている。
セカンド・アルバムではフィードバック・ノイズは影を潜めて、ゴスっぽい耽美的な音楽に変化する。サードの『オートマティック』ではドラム・マシンによる、異常に無機的でクールな、完成度の低いロックンロールが楽しめる。
そんなふうに彼らはアルバムを出すたびに一風変わった新型ポップミュージックを創造して楽しませてくれた。そのどれもが画期的だった。
たしかに一般的には聴きやすいバンドではないだろうが、それにしても、あまりにも彼らは過小評価されすぎている。

ジーザス&メリー・チェインはいったいどんな引き出しからあんなありえないような音楽を生み出したのか。
パンクとも似ていないし、サイケでもない。過去にまったく似たものがないのだ。
きっと偶然の産物なのだろう。

彼らにはカート・コバーンやビリー・コーガン、ノエル・ギャラガーのような音楽的才能は感じられない。ソニック・ユースのようなインテリジェンスも戦略性も感じられない。
でもリード兄弟にはサブカルチャー方面にやたらと利く「鼻」があるのだ、たぶん。
リード兄弟はロック・ミュージシャンよりはきっとウォーホルやバスキアのようなアーティストに近い、たぶん。
曲のタイトルがやたらとカッコいいのにもそんなセンスを感じる。