【きょうの余談】モーニング・グローリーとわたし

今でこそ轟音ギターなんてインフレで、ああまたか、みたいな感じだけれど、1990年前後はギターの音そのものに渇望感があったというか、ギターがうるさいぐらい鳴ってればそれでよし、みたいなところはあったのだ。

それ以外はまあそんなに期待してないよ、歌メロ全然ダメでもまあいいか、ギターうるさいからOK、みたいなところがあったのだ。
英米のインディーズのバンドなんか大半がそんなバンドでしたね。それはそれで面白かったのだけど。

その中からついに、もう一聴してホンモノの完成度を持った、一般的にも通用するメロディが書けるバンドが登場した。オアシスである。

ジザメリやマイブラの轟音ギター+セックス・ピストルズのパンク・スタイル+ビートルズのメロディと、イギリスのロックの歴史の集大成みたいなバンドが出てきたのである。オアシスである。

逆に、もうこれで終わりだなあ、という気がちょっとしたのも事実だ。もう不足はないわけだから。

このアルバムが発売された1995年、わたしは29歳だった。
あらためて計算してみて、エッ、と思った。もっと若いころかと思ってた。

わたしは当時もう30歳目前なのに、青春真っ只中のようにオアシスを愛聴し、親友ちとバンドを組んで演奏したりしていた。「みんな死ねばいい」と口癖のように言っていたころのことだ。

はっはっは。お恥ずかしい限りである。

今から思えば、あれがわれわれの青春時代の終わりだった。
毎日が夏休みの終わりの夕暮れ時のようだった。
われわれは夕立ちに降られながらもまだなんとなく家に帰るのをためらっている子供のようだった。

オアシスの1stアルバムも他のバンドに比べたら充分に完成度の高いものだった。
しかしそれも『モーニング・グローリー』の前では色褪せて見えるほどだ。
完成度なんて二の次、などと思っていたわたしも、しかしこのアルバムの前ではやはりホンモノは違う、と認めざるを得なかった。

ギターの音がうるさいだけのバンドなんてもう必要なかった。一風変わったアイデアも、このホンモノの歌の前では、ただそれだけのものだ。
このアルバムにはただただ素直に感動した。

29歳といえば、わたしはちょうど10年勤めていた映画館を辞めたところだった。その脱力感極まる会社の将来に不安を感じたからだ。わたしは個人事業主となって、宅配や中距離の配達の仕事をしてみた。

自営業者となったわけだったが、今から思えばそれほど具体的なプランや野望のようなものがあったわけではない。

わたしはただ、逃げたかっただけなのかもしれない。
わたしはただ、競争社会の中でサラリーマンとなって世の立派な社会人たちと競い合うことに自信がなかっただけかもしれない。
自分が地球の中心みたいに考えているイタい男が、実社会ではいかに力のない、目立たない、無知で幼稚な男であるという現実をまともに実感してしまうのが怖かっただけなのかもしれない。

このアルバムはジャケットも素晴らしい。
早朝の写真だ。
写っている人物は顔がわからないが、バンドのメンバーかもしれない。このアルバムの発売日の早朝という設定の写真なのかもしれない、と想像してみる。

あと数時間後にはレコードショップが開いて、もうその瞬間には、写真の男が所属するロックバンドは世界最高のロックバンドとなり、巨万の富と栄光を手にする。その直前を写した写真のようだ。

おれにもいつかそんな瞬間がくるのではないか。わたしはずっとそんなことを夢想していた。
でも夏休みが永遠に続くはずもないこともそろそろわかっていた。
夏休みの宿題もほとんど出来ていないのに、もう夏も終わりを迎えていた。

そんなことだからわたしの個人事業はすぐに失敗に終わった。結構な借金も残った。
わたしは真面目にサラリーマンをやろうと決めた。
わたしはもう30も過ぎていたので、わたしが少しでも即戦力になれるような仕事をしようと考えた。
わたしは映画と音楽に少しは知識があるので、ビデオレンタル店なら役に立つかもしれない、とこれまた単純でまっすぐなことを考えた。

この考えは当時付き合っていた彼女には気に入られなかった。彼女はもっと堅実で収入も多い仕事をしてほしかったようだ。
わたしは学歴もなく、そんなに仕事を選べるわけではないし、わたしは収入よりも、役に立ちたかったのだ。

ノエル・ギャラガーは素晴らしいメロディを書くが歌詞を書くのが苦手らしく、なにを言いたいのかさっぱりわからない。わたしは英語がわからなくてよかった。「ワンダーウォール」や「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」の歌詞が完璧にわかっていたら、わたしはあれほど感動して聴いていなかったかもしれない。

ノエルの書く音楽には他意が無い。ただ本気で良い曲が書きたいだけだ。その本気さが他のアーティストよりももっと、めいっぱい伝わってくる。

わたしの単純でわかりやすくてまっすぐな考えは案外ピント外れでもなかったようだ。
わたしはビデオ・CDレンタルのチェーン店に就職して、仕事に熱中した。わたしは役に立てたようだった。
数か月もすると店長になれたし、数年後には本社で管理職にもしてもらった。わたしにもちゃんとサラリーマンができたのだ。

わたしがレンタル店に入ったばかりの頃、店に『モーニング・グローリー』の在庫がないことにすぐに気づいた。
店の在庫をもっとしっかり揃えなきゃなあと思いながら、本社に『モーニング・グローリー』をオーダーしたことを思い出す。
CDもビデオも、町のレンタル店としてはありえないような品揃えの店をつくれたらたらいいなあとわたしは思った。わたし自身がこの会社で中心的な役割をして、そういう店を立ち上げていけたらなあと本気で夢想した。

それは数年後に実現した。
わたしの会社は、2階建てや3階建てのバカデカくて、気が遠くなるほどの品揃えがあるレンタルショップを立て続けに出店し、わたしはその売り場を描き、在庫を揃える役割を果たした。お客がわんさか来て、とんでもない売り上げを叩き出した。ツタヤやゲオなんて目じゃなかった。

本気というものはまず自分自身を変える。そして次に他人に伝わり、周囲も変える。本気じゃなければなにも伝わらない。

わたしが若い頃、社会の中に入って堂々と競い合い、戦っていく自信がなかったのは、その本気度ですでに自分はみんなに負けていると感じていたからではないかと思う。

現在のわたしの部下たちは、30歳前後で、ビジネスマンとしての器量に欠け、競争に自信が無く、表現の仕方が下手で、一般的な常識にも無知をさらけ出す。

でも彼らは真面目に仕事に打ち込み、なんとか役に立ちたいという気持ちが伝わってくる。
わたしは彼らが大好きで、彼らとこの先もずっと一緒に仕事をしていくことだけがわたしの唯一の望みと言ってもいい。

わたしはロックンロールスターなどにならなくて、本当によかった。

わたしは、サラリーマンになることができて、本当に良かったと思う。

(Goro)