名盤100選 57 トム・ウェイツ『クロージング・タイム』(1973)

トム・ウェイツのことはわたしはそんなによく知らないが、このファーストと初期のベスト盤はよく聴いた。

アメリカの田舎町の退屈と閉塞感に満ちた人生、パッとしない恋愛とうまくいかない結婚生活、貧しい暮らしと慢性的なフラストレーション、わたしは歌詞も知らないのに勝手にそんなイメージの音楽ととらえて、ブルース・スプリングスティーンと同じように、共感をもって聴いていた。

わたしはたまたま今はちゃんと暮らせてるし、仕事もあるが、こんなものは偶然にすぎず、ひとつ間違えばまともな生き方ができなかった可能性のほうがむしろ高いと思っている。
ひどく貧しい暮らしはしていないが、しててもおかしくはない。ひどく絶望的な人生を送ってはいないが、しててもおかしくはない。
そしていつでもすべては、ご破算になる可能性もある。

そういうのは本当に紙一重のことだと思う。なぜそうならなかったのか、むしろ不思議なほどだ。
ある分岐点でちょっと頑張ったとか、あるいはある分岐点でちょっと運が良かったとか、ちょっとやりすぎてしまったとか、そんな程度で人生は大きく変わってしまう。

先月、もう7年だか8年だかいっしょに仕事をしてきた部下が、突然失踪した。
理由もなにもまったくわからず、無断欠勤したまま、とにかく連絡が取れない。
彼のアパートに行ってみても、荷物を持っていった形跡はまったくない。着の身着のままで消えている。
そしてすべて今年の日付で、数社の消費者金融との契約書があったが、それが失踪に関係があるのかすらもわからない。

3週間ほどして家族の方から、彼が実家に戻ってきた、という連絡があった。
3週間のあいだ放浪しながら車中生活し、円形脱毛症がひどく、放心状態でなにも話さないということだった。
わたしは正直言うと、50%の確率で死んでいると思っていたので、正直ホッとした。

でもそれ以上のことはなにもわからない。きっとこのまま、わたしにはわからないままなのだろう。
彼はもう会社に復帰することはありえないし、わたしと二度と顔を合わせることもないだろう。
こんなことが起こるなんて考えたことは一度もなかった。彼の人生にそんなブラックホールが顔をのぞかせているなんて、思ってもみなかった。

彼の車にはいつも同じCDしか積まれていなかった。音楽にはまったくといっていいほど興味がなかったのだろう。「北斗の拳」の主題歌集とビリー・ジョエルのベスト盤しか持っていなかった。
あまりいろんなことに興味を持つやつではなかったが、素朴で実直なところがわたしは好きだった。

われわれはドラマの主人公ではないので平凡な日々を送り続けるが、しかし平凡な日々にも非現実的なほど恐ろしい落とし穴がたくさん口を開いて待っている。平凡なわれわれはその対処の仕方がわからず途方にくれる。
こんなことがなんの前触れもなく起こること、そして何事もなかったかのようにまた新しい日々は過ぎていくこと、それについてこの数週間考え続け、なにに対してかわからないけれど、やりきれない哀しみを感じ続けた。

トム・ウェイツの音楽を昼間に聴くという人はあまりいなさそうだ。わたしも必ず夜に聴く。
苦渋に満ちた声で歌われる美しいバラードを夜中に聴いていると、いろいろなことを考える。

同じ夜のグレープフルーツのような月の下で、平凡な夜を送っている幸せな人々のこと、まだ働いている人々のこと、ベッドで抱き合っている男女、仕事にうんざりしながら孤独に夜を送る人、絶望で泣きながら夜を過ごす人、だれかのことを想い続けて気が狂いそうな人、そしてなにかから逃げようとして車の中で眠る男のこと。
どのような気持ちなのか、わたしは思いをはせる。

考え続けると体は凝固してしまいなにも耳に入らなくなって生産的ではないので、「よし、終わり」と声に出して考えるのをやめなければならない。
わたしはわたしでまだまだ明日からも、平凡な日々を送るために、頑張って仕事をしなくてはならないのだ。