名盤100選 38 ブルース・スプリングスティーン『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(1984)

わたしが初めてスプリングスティーンを聴いたのは17歳のときで『ネブラスカ』というアルバムだった。
暗い、と思った。でもだんだん病みつきになった。きっとわたしも病んでいたのだろう。

それから過去のアルバムに遡って聴いたり、リアルタイムで『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』や当時は5枚組LPだった『LIVE 1975-85』を聴いた。
当時はいちばん好きなアーティストだった。でも87年の『トンネル・オブ・ラヴ』までは聴いたけど、その頃にはロックに新しい波の強力なやつがやってきてわたしはそれに呑まれてしまい、それ以後はスプリングスティーンを聴くこともなくなった。

今年還暦になるスプリングスティーンは相変わらず米国では人気があって、最近のアルバム4作品はすべて全米1位に輝いている。
特に昨年の『マジック』はEストリート・バンドと久しぶりの真剣勝負をした熱いアルバムで、ものすごく高い評価を得ている。わたしも聴いてみたが、良い出来だと思う。

スプリングスティーンを聴いていた頃の昔の自分を思い浮かべると、豊田の駅前をほろほろと徘徊していたり、名古屋の街をらねらねと彷徨していたりする。いずれも徒歩である。わたしはまだ車の免許など持っていなかった。
仕事を探していたり、本やレコードを探していたり、女の子を探していたり、なにか、なんでもいいから楽しいことを探していたり。
見つかるのはたいてい本やレコードだけで、それ以外のものは見つからない。だから、この先どんなふうに生きていくのかも一向に見えてこない。唯一わたしにも手に入れることができる本やレコードだけを頼りにして、無理やりこの先の生き方を見つけ出そうとしている。だからこの後、何回も何回も間違うことになる。
わたしはいつも歩きながら鼻歌を歌っていた。スプリングスティーンの「ハングリー・ハート」を口づさみながら街をぬつぬつと歩く18歳のわたしは、その間違いのためにその後壮大な遠回りをすることにまだ気づいていない頃のわたしである。

スプリングスティーンのアルバムは内省的なものが多い。それはまるでレイモンド・カーヴァーの短編小説のように、ショッピングセンターとダイナーしかないようなアメリカの田舎町で生きるリアルな人々の克服不可能な閉塞感が独特のしわがれ声で歌われる。

このブログのマドンナの回で「ダイナーで働くウェイトレスのような安っぽさとリアリティ」と書いたが、ブルース・スプリングスティーンはそのダイナーに来るブルーカラーの客のようだ。
ネルシャツを着て、黄色いヘルメットを被ったまま、ビールと安い夕食を頼む。ウェイトレスは夫のDVで離婚しひとりで子供を育てている。
客のほうは事故で息子を亡くし、妻はそれ以来鬱病で入退院を繰り返している。ふたりはただ毎日顔を合わせるだけで言葉を多く交わすわけでもないのだが、孤独な者同士にはたったそれだけのことで淡い恋のような感情が生まれてくる。ただし決して結ばれることはない。それでも毎日客はダイナーに通い、ウェイトレスは彼がやってくるのを楽しみにしている。それは何年も何年も続くが、ただそれだけだ。店内のラジオからブルース・スプリングスティーンの”I Wanna Marry You”が静かに流れる。

わたしはこの2日間、スプリングスティーンのアルバムを何枚か聴きなおした。意外と1枚に絞るのが難しかった。
『ボーン・トゥ・ラン』『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』『ザ・リバー』のどれかにしようと思った。

『ボーン・トゥ・ラン』は大名曲が2曲あるものの、それ以外の曲はわたしはそれほど楽しめない。

『ザ・リバー』は長年、ここに入っているものすごく暗くて内省的な曲の数々が魅力だった。今回聴きなおしてみて、この内省的な曲がスプリングスティーンの最大の魅力であるとあらためて思ったものだ。

結局『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』にしたが、このアルバムは曲の出来が素晴らしい。充実した曲が最高のポップ・アルバムだ。ただアレンジ、サウンドに致命的な間違いを犯している。スプリングスティーンの好きな人が好むサウンドではないだろう。
そういう意味でこれはもっともブルース・スプリングスティーンらしくないアルバムである。まるでシンディ・ローパーのアルバムのようだ。
わたしはこの一風変わったアルバムを、スプリングスティーンが好きというのとはまた別の意味で好んでいると思う。スプリングスティーンらしくはないかもしれないけれども、名盤ではある。