名盤100選 59 ビリー・ジョエル『ビリー・ザ・ベスト』(1985)


ビリー・ジョエルの初期、というか絶頂期に発表されたベスト・アルバムである。米国だけで2千万枚以上売り上げたらしい。

ビリー・ジョエルはわたしも中学生の頃から聴いていた。「ガラスのニューヨーク」あたりからリアル・タイムで聴いていた。
アルバムでは『ストレンジャー』(1977)、『ニューヨーク52番街』(1978)、『イノセント・マン』(1983)をとくによく聴いた。
だから好きな曲もたくさんあるのだが、しかしこのビリー・ジョエルというアーティストに対してはなぜかそれほど思い入れがない。

前回のスウェードの項ではコメントで、フェイクアニがスウェードのメンバーなどについて補足的に書いてくれた。あれはラクでいいですね。
今回のビリー・ジョエルも、わたしなんかよりずっとよく知っている人が多いに違いないし、身近な「友人」にもひとりいる。
今回はその「友人」のことを書こう。

彼とは当時よく通った飲み屋で知り合い、ブリティッシュ・ビート・バンドやNYパンクがお互い好きですぐに意気投合した。わたしはただ聴いているだけだったが、彼はギタリストなのでそういった音楽を日常的にバンドで演奏もしているのがまたわたしに尊敬の念を抱かせることになった。

なのにわたしは、持ち前のずうずうしさと寄生獣のような冷酷さで人の好い彼をひどく傷つけた記憶がある。もう20年も前の話だ。
ライヴ・イベント的なことをみんなでやりたいねということを彼が言っていて、わたしも誘ってくれたのだが、あろうことか当時のクソ生意気なわたしは、べつにそんなのやりたくない、ぐらいのことを言ったのである。
当時、本格的にバンド活動をしていてギターの腕前もプロ級の彼が、自作のくだらない歌を下手糞なギターを弾きながら歌っていただけのわたしに対して誘っているにもかかわらず、である。
それはもう、シンプルに言えば、「気が合うね、友達になろう」と言ってきた先輩に対して、「いやべつにいいわ」と答えたようなものだった。
わたしにはそういうところがあった。
うまくいけば生涯の友となるかもしれなかったひとつ年上の友人を、空気の読めない、人間の心を理解しない寄生獣は一瞬で斬り刻み、失ってしまった気がした。
わたしはそれ以後もずっとそのことを後悔し続けている。

わたしはいつも冷静で、世の中を醒めた目で見ていて、あまり人と交わらず、なにか人とは違う考え方で生きている、そんなふうに見られているようだった。
そうではない。
若い頃のわたしはただ、人と話すのが極端にヘタなために無口になりがちなのであり、世の中で一生懸命に生きている人々に対してなぜか劣等感を抱いていたために距離を置いていただけだし、他人からどう思われるかばかりを気にして実際以上に背伸びをし、非常識な自分を肯定したいがために世の中の常識を否定していただけのことだった。

いまのわたしは違う。もう少し成長したつもりだ。40を過ぎてやっと常識を身につけつつある。
まあ、遅きに失している感は否めないけれど。

実は昨夜もその彼と飲んでいたのだ。
昨日はライヴ・イベントの打ち上げをやっていて、出演バンドのメンバーたちが集まって貸切で飲んでいたのだった。
わたしは出演者ではなくただの観客だけれど、わたしはいつものずうずうしさでふつうに「おつかれっす」と入っていって一緒に飲んだのだった。

彼とはいつもはいろいろな音楽の話で盛り上がるのが常で、そんな話はこのブログでもたびたび書いてきたけど、昨夜は音楽とはいっさい関係ない、彼の意外なハンドメイドな趣味について聞き、その写真なども見せてもらった。
本人は「これ見せるとたいていの人はドン引きする」と言って笑うのだけど、いやいやわたしはますます彼のことが好きになった。
わたしは、男子たるものは、他人がドン引きするほどなにかにのめり込むパワーと想像力がなければ人間としてつまらないと思っている。
彼の趣味もわたしは素直に素晴らしいと感じた。

「バンドのメンバー以外でこれを見せたのはゴローちゃんが初めてだよ」と言われたのがまたわたしには嬉しかった。
あの出会った頃のわたしの無礼を水に流してくれたような気がして、彼の優しさに感謝した。
わたしはその趣味に無心で没頭している彼の姿を眺めながら酒を飲みたいなとさえ思った。
たとえ一言もしゃべらなくても、たぶん何時間でも飲んでいられる。

えーっと。
なんだこの回は。