名盤100選 68 アレサ・フランクリン『レディ・ソウル』(1968)

わたしはダンス系のR&Bが苦手だ。
だからマイケル・ジャクソンの良さもまったくわからない。
『スリラー』が大ヒットしたのはわたしが18歳のときで、まさにリアルタイムで絶頂期を知ってる世代なのだけど、当時から、そして今でもまったくわからない。
彼の場合は視覚パフォーマンスの要素が大きなウェイトを占めるのに、わたしがそういうことにあまり興味を持たないというせいもあるだろう。
わたしは基本的に音だけでいいのだ。

でもアレサ・フランクリンのような「ソウル歌手」は好きだ。
このアルバムはまずタイトルが堂々としてていい。
わたしがソウルの女王よ、と宣言しているのだ。なかなか言えることではない。
自ら宣言するだけのことはあって、アレサは当時まだ26歳でありながら、もはや女王の風格充分である。

1968年といえば、60年代のロック&ポップスが成熟のピークに達した頃だ。
ヒットシングルを生産することだけが目的ではなく、アーティストたちはものすごいスピードで次々に音楽の新しい扉をひらいていった。

このアルバムはその成熟のピークに達した新しい時代の音楽の集大成となっている。まったく新しいソウルミュージックであるにも関わらず、非常に完成度が高いアルバムである。
「ピープル・ゲット・レディ」のような社会派のシリアスな歌や、キャロル・キングやヤング・ラスカルズなどの白人の音楽まで、彼女が歌うとこれ以上はない説得力で、見事なソウルミュージックとなる。

このあいだ、30代前半のロック好きの後輩と話をしていたら、CDは何百枚と持っているけど、なぜか女性アーティストのものがほとんどない、と言う。色気のないCDラックですよ、と自虐的に言う。
わたしと同じタイプだなあ、と思った。
わたしも若い頃は、女性アーティストをほとんど聴かなかった。
それは、わたしやその後輩がロックという音楽に求めているのが、鑑賞するというより、共感して聴くという部分が大きいからで、それは主に自分の年齢に近い同性に共感するということなのだう。
女性アーティストには、たとえ音楽は気に入っても、共感とはちょっと違うというところがあるのだ。

ただ、40歳を過ぎたわたしは、あたりまえだが、さすがに現在の20代のアーティストには共感できなくなってきた。
そして、共感を求めて音楽を聴かなくなると、ほぼ鑑賞としてだけ音楽を聴くようになった。
それで最近はよく女性アーティストの音楽を聴く。洋楽も邦楽も合わせて、たぶん7割ぐらいは女性アーティストだ。

オーディオをグレードアップして声が超リアルに聴けるようになり、女性の声の艶っぽさとかを楽しむことが多い。
レディ・ガガやテイラー・スウィフトから、ジュエル、ディキシー・チックス、そして木村カエラや中島みゆきやマイラバや松田聖子や八代亜紀まで、若い頃にはありえなかったほど、「共感」ということにはまったくなにもこだわらずに、女性を抱けるように、じゃなかった、聴けるようになった。
これはわたしの成長の証である。