名盤100選 15 ザ・ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 1967

久しぶりに友人たちに会って飲むと、彼らがこんなブログでもじつに真剣に読んでくれてることを知り、照れくさいやら感激するやらで悪酔いしそうだった。
いや感謝に堪えない。わたしも真剣に書いてきた甲斐があったというものだ。

そしてまたみんなが口をそろえて言うのは、このブログには「コメントの書き込みがしづらい」そうだ(笑)。
たぶんこの尊大で断定的な文体のせいで敷居を高くしてるのだろうと思うが、これはまあ役作りみたいなもので、素顔のわたしは小鹿のように優しい男である。
気になさらずに思ったことを好き勝手に書き込んでほしいと思う。

さてビートルズの長いタイトルのやつだが、わたしは飲みながら調子に乗ってみんなに「次はサージェント・ペパーズだよ」などと言ってたら、豊田のシェリル・クロウと呼ばれているFunny Face女史に「あれは絶対アナログ盤で聴くべきで…」などと、まさにわたしがこの回で言おうと準備していたことを先に言われてしまった。

ほかの切り口を用意してないのでそのまま書くことにするが、わたしがこのアルバムを好きなのは、まず音がいいからである。
線が太くて暖かみがあり、丸みがあってつやのある音は、まさに黒光りするアナログ・レコードでこそ真価を発揮するだろう。
CDのあんなシャカシャカした音ではダメだ。iPodなんかではもはや違う音楽にしか聴こえない。
ヴァイオリンなどの弦楽器と同じように、針とレコードの溝が擦れあう音を増幅した、伸びのあるアナログ盤の音こそがこのアルバムにふさわしい。

それにしても、レコード→CD→デジタルオーディオと、時代が進むにつれ音楽を聴くための装置はたしかに便利にはなっているのだが、肝心の音質はどんどん悪くなっていく。
こうやって人類は本質よりも利便性を優先させ、CO2を盛大に排出して地球を滅ぼしていくのである。エコなんて言っててもそんなものはもう弁解がましいのである。

ビートルズについては語りつくされているし、実はわたしはそんなにビートルズに詳しいわけではない。そんなにあれこれを語れる知識や言葉は持っていない。
でもわたしは、ビートルズがやったことの中で最も重要で画期的なことは、共同作業で音楽を書いたことだと思う。

それまでは基本的に音楽も、絵画や小説と同じように、ひとりで書くひとりのものだったと思う。それをレノン&マッカートニーはふたりで書いてひとつの「ビートルズ」という音楽を創造した。
それはモーツァルトとベートーヴェンが同じバンドのメンバーとして共同で作品を創造するようなものだ。
これは強い。そしていかにも現代的な、20世紀的なやりかたであった。
これはそのままロック・バンドという独特の音楽スタイルの最も強力で魅力的な武器となった。

2人で(あるいは4人で)創造する「ビートルズ」という作品は、ひとりで書くひとりの作者名を持つ音楽作品とは、微妙な違いでありながら本質的で決定的な違いではないかとわたしは思う。
複数のニンゲンの共同作業によって生まれた音楽には、つねに破綻の危険性を内包している。そして同時に、化学反応のマジックを内包している。それこそがロックを他の音楽と違うものにしているとわたしは思う。

しかしビートルズには罪もある。
ビートルズがアルバムを出すたびに違うことをやって成長・進化を遂げたことが、まるでロック・バンドとはかくあらねばならない、みたいな思い込みを世にはびこらせてしまった。
チャック・ベリーのようにあるスタイルを完成させたら生涯それを貫き通す、というようなアーティストは「ワンパターン」などと蔑まれる。

べつにいいじゃないか、ずっと同じスタイルで。

ビートルズやプライマル・スクリームのように変わっていくのもいいけど、チャック・ベリーやCCRやキッスやラモーンズのように十年一日の如くずっと同じスタイルを堅持するのも、それはそれで素晴らしいことだと思う。プロフェッショナルだと思う。

だいいちファンは好きなアーティストにそんなにコロコロ変わってほしくないものだ。彼らのそのスタイルが好きで聴いているのだから。
変化しないことを批判するのはそのアーティストのことを好きでもなんでもない評論家やメディアであって、そんなものは無視してファンのためだけにスタイルを貫き通して音楽をやればいいのである。