モテようとしてないロック 〜 ピクシーズ『ドリトル』(1989)【最強ロック名盤500】#11

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【最強ロック名盤500】#11
Pixies
“Dolittle” (1989)

ロックバンドにとっては、ビジュアルも重要な要素である。
たぶんこのピクシーズは、【最強ロック名盤500】に選出されるロックバンドの中ではビジュアル最下層の部類に入るだろう。

リーダーのブラック・フランシスはハゲでデブで性格の悪い、悪の化身のような男である。
ベースのキム・ディールは可愛らしい声の女子だが、ドッジボールが強そうな筋肉質であり、華やかさはほとんどない。
あとのふたりの、ビルの清掃業者のような男子はもう顔も覚えられないほど存在感が薄い。そしてまたどちらも若い頃からハゲかかっていて、再結成時には男子は全員ハゲだった。それで「ピクシーズ=妖精」などという名前をよくつけたものだと思う。

そんな、見た目から言えば到底世に受け入れられそうにないバンドが、しかし素晴らしい音楽を奏でた。1980年代末から90年代はじめ頃の話である。

彼らの音楽には、ラウドなギターとポップなメロディー、静寂と轟音のメリハリ、爽やかなユーモア、そして顔に似合わぬチャーミングな愛らしさがあった。
そう、音楽だけ聴けば「ピクシーズ=妖精」という名前もあながち悪ふざけでもないように聴こえる。

そしてなによりも、彼らの音楽はまったくカッコつけていない自然体の音楽だった。
自然体の音楽、なんて今だからこそふつうの言葉に聞こえるが、当時、そんなものはわたしには初めて聴くような新鮮な感覚だったのだ。

もう、いわゆるロック的なものにわたしはうんざりしていたのだ。
セックス、ドラッグ&ロックンロールのような、大昔からの定型をなぞってカッコつけて満足している「ロックスター」たちにうんざりしていた。ダセぇ、と思っていた。

ピクシーズにはそれがなかった。
彼らがどんなにカッコつけたってモテるわけもない。そして、初めからモテようなどと思わずにつくったロックというのはやはりちょっと違うのだ。

やけくそのように開き直ったなりふり構わぬパワーというか、こういうものがロックに必要なものだとそれまでわたしはそれまで考えたことがなかったのだった。画期的だった。
逆の例えで言うと、絶対に頭が良さそうに見えない金髪のキャバ嬢が斬新で滅茶苦茶面白い純文学作品を書いたかのようだった。うん、この例えはちょっとわかりにくいけれども。

彼らはモテようとは思わなかっただろうけど、ウケようとは思ったかもしれない。
わたしは大いにウケた。

わたし以外にも大いにウケたらしく、1989年4月にリリースされた2ndアルバム『ドリトル』を出したころにはインディ好き界隈では人気が急上昇していった。
ニルヴァーナの登場する前、あの革命前夜に、あの界隈で最も熱烈に支持されていたバンドは間違いなくピクシーズだった。

ピクシーズ以降、カッコつけてるアーティストは不細工なアーティストよりもカッコ悪い、という真理が確立したのである。
90年代以降、ヘアスプレー系ライト・メタル・バンドたちが急速に表舞台から姿を消していったのは、ピクシーズが扉を開き、ニルヴァーナがとどめを刺したせいである。

本作は全英チャート8位まで上昇するヒットとなった。先行シングル「モンキー・ゴーズ・トゥ・ヘヴン」は米オルタナティヴ・チャートの5位まで上がる、初のシングル・ヒットとなった。

わたしは本作が、ピクシーズのアルバムでは一番好きだ。

※本記事は、2009年1月に公開した記事を大幅に加筆修正したものです。
現在ではタブーとなりつつあるルッキズムに関わる表現が含まれていますが、あえて残しました。ご了承ください。

(Goro)