生涯忘れられない凶報〜ニルヴァーナ/オール・アポロジーズ (1993)【’90s Rock Masterpiece】

Nirvana
All Apologies (1993)

あの日の記憶はいまだに残っている。
1994年4月10日のことだ。

当時、江戸時代の長屋みたいなボロアパートに住み、近くの映画館で働いていたわたしは、遅番の勤務のため昼頃にのろのろと起き出して仕事に行く用意をしていると、TVのニュースが「アメリカのロックグループ、ニルヴァーナのカート・コバーンさんが死去しました。27歳でした。死因は自殺とみられています」と伝えた。

その時に流れたのが、MTVアンプラグドに出演して「オール・アポロジーズ」を歌っている映像だった。

わたしはそれまで聞いたどんなウソよりも信じがたい気持ちで、口をぽかんとあけて座り込んだまま、動けなくなった。仕事に行かなければならないが、立ち上がる気力も湧いて来なかった。感情がごっそり抜け落ちたように、泣くことすらできなかった。

そのアナウンサーは続けて、「これでニルヴァーナは終わり、オルタナブームも終わり、そして1950年代から始まったロックの歴史も、本日をもって幕を下ろすことになるでしょう」と言ったような気がしたのだけど、それはもしかするとわたしの妄想だったのかもしれない。

幸いまだ一親等以内の家族を一人も失ったことのないわたしにとって、人の死で最も大きな衝撃を受けたのは未だにこのときだと思う。

カートは、死の1ヶ月前にもローマで自殺未遂をしている。
ベーシストのクリス・ノヴォセリックは次のように語っている。

「ローマでの自殺未遂のあと、彼は本当に普通じゃなかった。何ていうか、黙りこくって」「あの最後の日々は覚えてるけど、彼は完全にヘロイン漬けだった。自殺を図った時は、まともにものを考えられるような状態じゃなかったんだ」(NME 2015.9.11)

カートはリハビリ施設から脱走し、シアトルの自宅の地下室でショットガンで頭を撃ち抜いた。

遺体は3日後に、照明の工事に来た電気技師によって発見された。植木鉢から発見された遺書には、ニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞「It’s better to burn out than to fade away(だんだん消えていくよりも燃え尽きる方がいい)」が引用されていた。オーディオからはR.E.M.のアルバム『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』が流れっぱなしになっていたという。

27歳で死んだアーティストはなぜか多い。
ロバート・ジョンソン、ジミ・ヘンドリックス、ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン、エイミー・ワインハウス、バッドフィンガーのピート、マニックスのリッチー、などなど。

《27クラブ》などとも呼ばれていて、有名ではないアーティストも入れると50人を超える人数になるらしい。

カートの母は「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」と嘆いたと伝えられている。

カートは胃の持病と躁鬱病という心身の病を抱えていて、合法・違法の薬物に依存し、ヘロイン中毒でもあった。カートの母が「愚か者」と言ったのは、この麻薬への依存のことだろう。

最高のロックアーティストは、愚か者ばかりだ。
60年代から、いつまで経っても、変わらない。

わたしは娘には、自分のやりたいことをやって生きていくように薦めているが、ただし彼女が小学生の頃から「親友が勧めようと、合法だと言われようと、ドラッグだけは絶対にやってはいけない。やったら殺す」と何度も言ったものだった。考えてみると、それがわたしがロックから学んだ、最も重要なことだったのかもしれない。

「オール・アポロジーズ」はニルヴァーナの3rdアルバム『イン・ユーテロ』の最後に収録された曲で、穏やかなメロディにのせて「全部おれが悪かったんだ」と謝る歌だ。

『MTVアンプラグド・イン・ニューヨーク』での静かなアコースティック・アレンジが特に印象的だった。

これがおれなんだ
他にできることもないし
謝るしかないんだ
おれがおまえみたいだったらよかったのに
はしゃいで気休めをさがすんだ
でもぜんぶおれの責任、おれが悪いんだ

太陽の下なら、ひとつになれる
明るい陽の光を浴びて
ひとつになったように感じて
そして結婚して
埋葬されるんだ
(written by Kurt Cobain)

謝らなくてもいいから、ただただ、生き続けてほしかった。

※この記事は2017年10月に公開した記事を基に、大幅に加筆・修正したものです。

(Goro)