No.459 グレン・キャンベル/ラインストーン・カウボーイ (1975)

Capitol Years 1965-77

≪オールタイム・グレイテスト・ソング 500≫ その459
Glen Campbell Rhinestone Cowboy

アーカンソー州の農家に生まれたグレン・キャンベルの少年時代はラバと農作業をする毎日だったが、音楽好きだった彼は、あるとき鋤よりギターのほうが軽くて楽だということに気づいて、15歳でテキサスへ行き、ナイトクラブを回るバンドに加わった。

22歳でカリフォルニアに移り、当初は訛りもある田舎者の彼は都会の生活になじめなかったが、しばらくするとスタジオの仕事をもらうようになる。
「ミュージシャンというのは、出身がどこかとか、肌の色がどうとか、一切気にしない。どれだけの才能を持っているかがすべてなんだ」と彼は語っている。

世界共通で通用する音楽の才能を持っていた彼はスタジオ・ミュージシャンとして、エルヴィスやシナトラ、レイ・チャールズ、マール・ハガード、モンキーズなど、錚々たるスターたちのレコーディングに呼ばれるようになり、1965年には一時的にビーチ・ボーイズに加入し、ブライアン・ウィルソンの代わりを務めたこともあった。

そしてソロ・シンガーとして1967年にデビューし、カントリー・チャートにも、ポップ・チャートにも多くのヒット曲を送り込み、TV番組の司会などでも活躍した。

その彼の最大のヒット曲が1975年のこの「ラインストーン・カウボーイ」だ。
カントリー・チャートと全米チャートの両方でナンバーワンとなる大ヒットとなった。

2011年に彼は、アルツハイマー病を患っていることを発表する。
2014年には彼の闘病生活のドキュメンタリー映画も公開され、アルツハイマー病の認知度向上に努めたとして称賛された。

そして残念ながら今年の8月に、81歳で死去した。
彼は70枚以上ものアルバムをリリースし、世界中で5,000万枚以上を販売している。グラミー賞は6回受賞した。
R.I.P.

現在のカントリー・ロック界を代表するアーティスト、ブラッド・ペイズリーが自身のインスタグラムで、キャンベルのCDの写真とともに次のように追悼文を投稿している。
「ありがとう、グレン・キャンベル。芸術性、優雅さ、気品、これらをあなたはカントリー音楽に取り入れてくれたのです。本当に多くの意味で、あなたは光り輝く存在だったのです」

記事を書いた人(Goro)

愛知県在住。中学卒業後、無知蒙昧のまま社会にさ迷い出て、底辺職を転々した後、地元の映画館に拾われる。映画館に10年勤めた後、レンタルビデオチェーンのバイヤーを20年勤め、現在は再び底辺職で肉体労働の日々に返り咲く。心に平安が訪れている。生活に不満はなし。音楽にはいろいろと救われている。「映画は映画館で観なきゃダメ派」ではない。

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コメント

  1. ごろー より:

    神童みたいな
    グレンさんは腕の立つスタジオミュージシャンみたいな、職人タイプの天才だったんだと思います。
    そのうえ曲も書けたし、カントリー界のプリンスみたいな人だったのかもしれませんね。
    R.E.M.なんかはよほどリスペクトしていたのか、彼の曲を4曲もカバーしているようです。

  2. フー太郎 より:

    お久しぶりです
    グレンさんは自分の中ではカントリー畑のカントリー野郎中のカントリー野郎だと思いきや、ソウルのレイチャールズや、サーフやサイケの要素を含むビーチボーイズに在籍していたり、一緒に仕事したりとかなり以外でした。