特別篇 追悼:黒田恭一

一昨日は日曜日だったけど、会社で仕事をしなくてはならなかった。
昼飯はコンビニで買ってきて、食べながら、会社で定期購読している音楽雑誌を読んだ。
オーディオ評論家で文章が面白い傳信幸のコラムがあって、村上春樹と黒田恭一の3人で朝まで飲み、音楽をきき、語り明かした話を書いていたので、へえ、そんな交友関係があったのかあ、などと思いながら興味深く読んでいると、最後に「黒田恭一さんのご冥福をお祈りします」などと書いてあり、わたしはまったく思いがけない訃報に衝撃を受け、思わず「あっ」と小さく叫んでしまった。会社であんかけスパゲッティを食べながら泣くところだった。あぶないあぶない。

黒田恭一氏はクラシックの音楽評論家で、今年の5月に亡くなっている。享年72歳。
わたしがこの人のことを知ったのはほんの偶然のことにすぎない。
わたしは21歳のときに、講談社現代新書の『はじめてのクラシック』という本を買って読んだのがきっかけでクラシック音楽をきくようになった。その本の著者が黒田恭一氏だった。

なぜその本を読むことにしたのか、今ではよく思い出せない。
黒田恭一という名前はもちろん知らなかったし、それまでクラシック音楽をまともにきいたことは一度もなかった。わたしはローリング・ストーンズやブルース・スプリングスティーンや泉谷しげるが好きだったのだ。

ただ、わたしは当時本ばかり読んでいて、好きな作家の本ももちろん読むけど、ちょっと無理して自分のまったく興味のない世界の本にチャレンジすることもあった。わたしは学校に行ってなかったのでいろいろ知りたかったのだろう、旧約聖書を読破したのもその頃だったし、精神分析学者のフロイトの全集も読み、あるいは『金融入門』などという大冊を読んだこともあったので、なんの興味もなかったクラシック音楽の入門書をとくに理由もなく読むことは当時のわたしならそんなに不思議でもない。

『はじめてのクラシック』は、クラシックを敷居が高いものと思っている人々に対して、「そうではないですよ、クラシックもロックや歌謡曲と同じようにただの音楽なんですから」とできるかぎり平易に書きながら、それと同時に、クラシックならではややこしさや深さなども、クラシックならではの面白さとして理解させてくれるような本でもあった。著者が一生懸命に心をこめて書いていることが伝わってくる名著だった。

わたしはすぐにクラシックがききたくなり、サンテラス元町店内のレコード店(新星堂だっけ?)で4枚のLPを購入した。
そのうちの1枚が上の画像で、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイツ演奏による、バッハの管弦楽組曲第2,3番である。画像はわたしが持っているLPをデジカメで撮ったものだ。これは『はじめてのクラシック』の巻末で推薦盤として黒田恭一氏が挙げていたものの1枚だった。

家に帰ってきてこのレコードをプレーヤーにかけると、異様に美しい音が鳴り響いた。わたしはこのときの音をそのまま、いまだに記憶している。それまでにも、良い歌に感動したりということはいくらでもあったけど、音そのものを、美しい、と感じて魅了されたのは初めての経験だったように思う。
わたしはその日から(もう22年にもなるけど)今日までずっとクラシック音楽をきき続けている。

アンプを買い換えてオーディオの音が格段に良くなったので、まずきいてみたいと思ったのがこのアルバムだった。あのいまだに記憶している美しい音をもう一度ききたいと思ったのだ。
でもLPはあっても、レコード・プレーヤーが壊れてて使えないため、CDで買いなおした。それが先月のことである。
久しぶりに聴いたガーディナーのバッハはやっぱりものすごく美しい音で鳴ってくれた。そしてききながら、初めてこのLPを買ったときのことや、『はじめてのクラシック』を読んだことなどを思い出していた。

この本がわたしに与えた影響ははかりしれない。
『はじめてのクラシック』で黒田恭一氏が教えてくれたことは、クラシック音楽がどうとかいうことではなく、クラシックでもロックでも演歌でも民族音楽でも、どんな音楽でも同じようにきけるのだ、ということだった。

面白い音楽もつまらない音楽も世の中にはあるけど、それは面白いジャンルやつまらないジャンルがあるわけではない。どんなジャンルにも面白い作品、つまらない作品があるだけだ。
わたしは音楽のかたちにこだわらず、またそれがなにを意味しているかにもこだわらない。美しい音響かそうでないか、だけをきくようになった。純粋に音をきいて楽しめれば、そこにはおのずと自分にとってのその音楽の意味も生まれてくる。
わたしにとってはバッハもセックス・ピストルズも同じく、美しい音響としてきこえている。
それがこの本がわたしに与えた最も大きな影響だ。
それはわたしの考え方や感じ方に大きな影響を与え、わたしの生活や仕事にも影響を与え、わたしの人生を幸福なものにした。

黒田恭一氏についてそれ以上のことはなにも知らない。彼の著作もそれほど読んでいない。
でもわたしは、偶然のきっかけにせよ、どれだけお礼を言っても足りないほどのものを彼にもらったと思っている。
わたしには心の恩師のような存在なのだけど、でもわたしは知り合いでもないのでそのような感謝の気持ちを伝えることすら出来ない。そしてそんなことを知る由もないまま、心の恩師は逝ってしまう。わたしはそういうことを無性に哀しく思う。
わたしは幽霊を信じたことなどないけど、こういうときだけは、この机の横に黒田さんの幽霊が立っていて、わたしの拙い文章を見ながら微笑んでくれているといいな、などと思ったりする。

黒田さん、あなたは漢字で「聴く」とは決して書かず、いつも「きく」と書いていました。それは音楽をきくことに対して謙虚な気持ちをつねに意識するためのこだわりとのことでした。わたしも今回はそれを真似させていただきました。
黒田さん、おかげさまでとても楽しい人生を過ごしています。
どうもありがとうございました。

記事を書いた人(Goro)

愛知県在住。中学卒業後、無知蒙昧のまま社会にさ迷い出て、底辺職を転々した後、地元の映画館に拾われる。映画館に10年勤めた後、レンタルビデオチェーンのバイヤーを20年勤め、現在は再び底辺職で肉体労働の日々に返り咲く。心に平安が訪れている。生活に不満はなし。音楽にはいろいろと救われている。「映画は映画館で観なきゃダメ派」ではない。

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