みなさん、あけましておめでとうございます。
このブログもあとちょっとで終わりですが、今年もよろしくお願いします。
ひさしぶりの91年組は、当時のイギリスで間違いなく頂上に立っていた、ジーザス・ジョーンズだ。
80年代後半に誕生したハウスやデジタルサウンド、ヒップホップなどを全部あつめてロックのかたちにまとめるという、天才的な荒業で画期的なサウンドを創造した、フロントマンのマイク・エドワーズ率いるスケーターファッションの連中である。
初めて聴いたときは驚愕し、独創的でありながらも、華のあるわかりやすさに「これは売れる!」などと思ったことを覚えている。すでに米国でもビルボードで2位になるなど、とんでもなく売れていたのだったが。
でももうその3年後にはシーンからほぼ姿を消していた。
「一発屋」だの「時代のあだ花」だのというひどい言葉で語られることも少なくない。「あだ花」とは、「実を結ぶことなく、はかなく散り去る花」という意味である。
彼らがなにを残したとか、なにを成し遂げたとかは、どうでもいいことだ。
たしかなのは、あの時代にたしかにジーザス・ジョーンズの音楽が鳴り響き、われわれはあのとき、その音楽を日々心に響かせて生きていたという事実、「流行歌」の存在意義とはそれだけで充分であり、音楽の存在意義としても、それに勝るものはないとわたしは思う。
昨夜は何年ぶりかに日本レコード大賞なる番組を見た。今年で53回目だそうだ。
わたしは1975年、第17回の日本レコード大賞を、両親や親類など大人たちが見ている輪に入って、布施明が「シクラメンのかほり」で大賞を獲ったのをリアルタイムで見たかすかな記憶がある。9歳の頃である。まだ日本中の人々が、だいたい同じような音楽を聴いていた、幸福な時代の話である。
その2年後の1977年には、わたしは沢田研二を応援しながら見ていた。もう「大人の輪に交じって」ではなく、自らテレビの前を独占して、である。
そして沢田研二は「勝手にしやがれ」で大賞を受賞した。わたしは大喜びだった。
その次の年も沢田研二が受賞候補にノミネートされていたが、残念ながら受賞はならなかった。
その年日本中の大人たち、そして子供たちのあいだで大旋風を巻き起こしたピンクレディーが、「UFO」で受賞したのだ。
今年はAKB48が「フライングゲット」で大賞を受賞した。
もうお風呂が沸いていたけど、わたしはお風呂なんて後回しにして、大賞の発表を待っていた。
誰もが納得の、当然の受賞だ。発表の瞬間に思わずわたしは拍手をした。娘も拍手していた。まるでピンクレディーのときのようだ、と思った。時代が35年も前に戻ったような気がした。
AKB48は子供たちにも大人気だが、わたしの同僚にも、いい年をしながらAKBファンを公言している者が何人もいる。なかにはビートルズマニアを「卒業」して、AKBファンになった者もいる。
わたしはファンといえるほどはまだよく知らないが、とりあえずシングル曲はほぼすべて聴いているし、彼女たちがTVに出ていれば、とりあえず歌い終わるまでは見てしまう。
夜中にYoutubeで「River」や「ヘビーローテーション」のPVを見て、その出来の良さに感心した覚えもある。
大人から子供まで、世代を超えて幅広く支持を得る「国民的アイドル」。そんなものが今どき成立するなんて夢にも思わなかった。
世代間の断絶や、人と違うことが賞賛され、共通項をどんどん失って孤立して生きていくのがあたりまえになっていた日本人に、なにか残された共通項を「つながり」として見直すことが、照れくさいながらも、おこなわれているような気もする。
震災や、不景気など、共通の哀しみや苦しみのなかで、自意識過剰にバラバラに生きていることを誇っていてもしょうがない、「まあだいたいで言えば、思いは同じなんだ」という共通の想いを重視する時代になったのかもしれない。
ジーザス・ジョーンズは90年代初頭のその瞬間、ロックシーンの頂上に立ち、遠くは布袋寅泰や小室哲哉にまで影響を与えている。
いまあらためて聴いてみるとさすがに聞き飽きたようなサウンドにしか聴こえないが、それはその後いかにフォロワーが多く、影響力が大きかったかという証拠でもある。
フロントマンのマイク・エドワーズは、当時の『クロスビート』誌に連載コラムを持っていた。毎月のニューシングルを批評するコラムである。
ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」が出たとき、「いま、この曲が街中のいたるところで流れている。こんな時代が本当にやってくるなんてまさに夢のようだ」という意味のことを書いていてわたしも大いに共感した覚えがある。しかしニルヴァーナのような生々しいアナログ・ロックの台頭で、ジーザス・ジョーンズのような80年代風のデジタル・ロックは影を薄くしていったのも事実である。
彼ら自身にしてみれば数年でシーンの前線から退いてしまったことを悔しく思っているのかもしれないが、時代を彩る主人公や「流行歌」が次々に移り変わるのはあたりまえのことで、だから世の中は素晴らしい、と言える。生まれてから死ぬまで、ずっと同じ音楽しか流行っていないとしたら、そんなつまらない世の中もない。
ローリング・ストーンズやU2のように長くシーンの最前線で活躍できなかったかもしれないが、だからと言って、それがホンモノとニセモノの違いであるとはわたしは思わない。
ジーザス・ジョーンズであろうが、AKB48であろうが、沢田研二であろうが、たとえそれが短い命であろうと、たとえそれが幼稚に見えようと、たとえそれがある種のビジネスのために行われていたものであろうと、その時代に生きる人の心に響いたものはすべてホンモノであるとわたしは思う。
AKB48ももしかすると数年後にはいなくなっているかもしれないが、この2011年が彼女たちの快進撃で彩られたことは永久に忘れられることはないだろう。
ジーザス・ジョーンズのあの一瞬の大ブレイクもまた、オリンピックで金メダルを獲得した一瞬の頂点と同じく、われわれにとっては永遠に記憶に残る瞬間でもあるのだ。
Jesus Jones’ Fabulous 5 Songs
1. International Bright Young Thing (1991)
2. Right Here, Right Now (1991)
3. Never Enough (1989)
4. The Devil You Know (1993)
5. All The Answers (1989)
コメント
我が青春の
ジーザス・ジョーンズ。
愛してやまない、確実に僕の心に引掻き傷を残したバンドです。
改めて聞いて思うのはマイク・エドワースの魅力的な「声」。
そして、ひしひしと感じられる「野心」。
考えてみたら、それはまるで全盛期のジュリー。
ギラギラ感。
ノリとタイミング。
プロフェッショナルな仕事。
たまらんな!
Unknown
アイドルはみんな若い頃からの成長過程を視聴者が一緒に見届けるのが第一条件だったりすると思ぅ。
AKB48も”10年”と言う決まりで立ち上げたと聞いて、秋元康もやるなぁ・・と思ってしまった。
総選挙なんて言ぅ、とっても恐ろしぃ現実を叩き付けて後々までこの世界で生き残って行けるよぅに、強ぃ存在を作り上げるのも子供を育ててる親そのものの優しさが感じられるょね。
やっぱり、子供の成長にはアイドルの存在が必要不可欠なんだと実感させられる。
あと4,5年か??? どこまで行くか楽しみダね♪
ちなみに・・一発屋の世に出した曲は大好き♡
ゴローさん、今度アルバム作って来て~☆
おっ!お久しぶり!
社会人生活頑張ってますか、そりゃ良かったです。
これを書きながら、やっぱりロック好きの方が読んでると思うので、「なに?AKBだ?ゴローは頭どうかしちまったのかよ」なんて声が聞こえてきそうで、これって伝わるかなあと心配でしたが、完璧に理解してくださったようで安心しました。
ちょうど昨夜も『金スマ』の2時間SPでAKBの出世物語をやってましたが、この彼女たちの真剣さと剥き出しのガッツを、いまの子供たちがお手本にしていくとしたら、素晴らしい社会人になっていくかもなあ、などとあらためて思ったところでした。
コメントありがとう。ほんとうに励みになります。
今回もいいですね。
あけましておめでとうございます!
10月に突如ファン宣言をした者です。社会人生活なんとか頑張ってます。
今回の記事もまた素晴らしい出来でした。個性や自由が昔ほどやかましく言われなくなって、AKBが普通に流行って普通に誰でも知っている時代がまた来たというのは、なんだか嬉しいですね。ジーザス・ジョーンズも実は全然知らないバンドだったのですが、ぜひ今度聞いてみたいです。
「みんな死んでしまえ」を標榜するほどではありませんが私も昔はひねくれていたため、中学生の頃は世間のモーニング娘。への白熱ぶりを「アイドルには中身がない」と心の底から見下していたりしました。しかしそんな私も今ではすっかり丸くなり、カラオケで『ポニーテールとシュシュ』を歌って場を温めるのに貢献しています。多愛がなく中身もない、そして実にいい曲だと思います。私は大好きです。
まぁ、その次にマイクが回ってきたら、今度はキング・クリムゾンで場を凍らせるんですけどね。