不正出の天才ソウルシンガー 〜サム・クック『ザ・ベスト・オブ・サム・クック』(1962)【最強ロック名盤500】#74

THE BEST OF [LP]
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

【最強ロック名盤500】#74
Sam Cooke
“The Best Of Sam Cooke” (1962)

「いちばん好きなソウル歌手は?」と訊かれたら、わたしは「サム・クック」と即答するだろう。

サム・クックはその表現力豊かでキレの良い、端正な声に尽きる。わたしはこれ以上のソウル・ヴォーカルを聴いたことがない。
甘い歌もベタベタせず、楽しい歌は無邪気なほどに、シリアスな歌は魂を揺さぶる。
もともとはゴスペル歌手なのだが、ポップスを歌っても、ブルースを歌っても絶品だ。

米ミシシッピ州出身のサム・クックは、ソウル・ミュージックの先駆者であり、彼の音楽性は後にオーティス・レディングなどに引き継がれ、サザン・ソウル、もしくはディープ・ソウルと呼ばれることになる。わたしは、ディープ・ソウルという言い方のほうが、その魂の奥深いところへと到達するようなその音楽性をよく表していると思うので、このブログではいつもディープ・ソウルという言葉を使う。

70年代になると、ソウルは商売熱心なあまりにダンスの方向へ行き過ぎ、ある時期から「魂」のない空虚な音楽へと変化したようにわたしには思える。

しかしサム・クックやオーティス・レディングの時代には、まだソウルにはホンモノの魂があった。黒人だけでなく、ロック好きの白人の若者たちも思わず正座して聴いてしまうような、これがホンモノだぞ、という説得力のある歌があったのだ。

サム・クックは1950年、19歳で、ソウル・スターラーズというゴスペル・グループの一員としてデビューし、そして1957年に「ユー・センド・ミー」でソロ・デビューした。

本作はそのソロデビューから1962年までのヒット曲を網羅した、1962年にリリースされたベスト・アルバムである。入門用にも最適な、完璧な選曲になっている。カッコ内は全米シングルチャートの最高順位。

SIDE A

1 ユー・センド・ミー (1位)
2 彼女はやっと16才 (28位)
3 皆でチャチャチャを (31位)
4 センチメンタル・リーズン (17位)
5 ワンダフル・ワールド (12位)
6 サマータイム (A1のB面)

SIDE B

1 チェイン・ギャング (2位)
2 キューピットよ、あの娘をねらえ (17位)
3 ツイストで踊りあかそう (9位)
4 悲しみの気分に (29位)
5 パーティを開こう (17位)
6 ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー (13位)

ソロ・デビューシングルのA1「ユー・センド・ミー」はいきなりR&Bチャート1位、そして全米ポップチャートでも1位という快挙を成し遂げた。サム・クックが黒人はもちろん、白人からも支持されたことの証だろう。

シンプルな歌詞がそれにふさわしい、シンプルな故に魅力的なメロディにのせられている。彼はソウルシンガーとして最高のヴォーカリストであるだけでなく、ソングライターとしても素晴らしい才能の持ち主なのだ。

A5「ワンダフル・ワールド」やB1「チェイン・ギャング」も特に好きな曲だ。
しかしサム・クックの中でわたしが一番好きな曲は、B6「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」である。

去っていった恋人に、おれのところに戻ってきてくれ~と切々と歌うラブソングだが、哀愁たっぷりのメロディやストリングスがまた泣かせる。

また最初から最後までバックヴォーカルのルー・ロウルズと二人で歌っているスタイルがまたグッとくる。レコーディング中にたまたま思いついたアイデアだったと言うが、あえてきれいにぴったり合わせて歌っているわけではないのがまたいい。

どれもシンプルな曲ばかりだが、わたしはその名状し難い魅力に惹かれる。
シンプルだからこそ、その価値も魅力も変わりにくい、永久不滅の名曲なのだと思う。

それまでのブラック・ミュージックの概念を変えた音楽性は黒人からも白人からも支持され、また、マルコムXやモハメド・アリとも親交があり、公民権運動にも積極的に関わるなど、多方面で活躍したが、しかしその死は悲惨なものであった。

1964年12月11日、ハリウッドの酒場で泥酔したクックは、その場で知り合った女性に、別の店に行こうと誘い、高級スポーツカーでそのままモーテルへと連れ込んだ。そんなつもりではなかった女性は、クックがシャワーを浴びている間に彼の服を隠して、部屋から逃げ出した。シャワーから出たクックは、服が見当たらず、女性もいないことに気づき、全裸にジャケットと靴だけの格好でモーテルの管理人室へ激しい剣幕で押しかけた。身の危険を感じた管理人の女性が発砲し、クックは胸に銃弾を受けて死亡した。33歳だった。

1週間後にシカゴで行われた葬儀には、彼の遺体を一目見ようと、20万人以上のファンが列を作ったという。


↓ デビュー・シングルでいきなり全米1位を獲得した代表曲「ユー・センド・ミー」。

↓ 全米13位のヒットとなった「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」。わたしが一番好きな曲だ。

(Goro)

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