作詞・作曲・編曲:奥田民生
1996年に奥田民生のプロデュースでデビューしたPUFFYの2ndシングル。
資生堂のシャンプーのタイアップだったことから、タイトルの漢字だけを読むと「私生道」となる。
ほぼ洋楽しか聴いていなかった20代の頃のわたしを、ニッポンのポップスに引き戻してくれたきっかけは1994年に始まったダウンタウンMCの音楽バラエティ『HEY! HEY! HEY!』が放送されたことによる。
ダウンタウンの番組はすべてチェックしていた頃なので、そもそもの目的は音楽よりもダウンタウンだったけれど、それでも『HEY! HEY! HEY!』で見たきっかけで好きになるアーティストも次第に増えていった。
このPUFFYもそうだ。
見た目は抜群に可愛いにも関わらず、アイドルらしからぬ自然体の脱力感や、トレーナーにデニムという普段着のような衣裳が、それまでのアイドル歌手にはなかったタイプだった。
そのうえ、奥田民生や井上陽水、草野正宗らを起用した楽曲のクオリティーも高く、なんとなく全体的にロック・テイストのアイドルだった。
可愛いうえにカッコ良かったのだ、彼女たちは。
特にこの、ビートルズを想起させる要素をあからさまに盛り込んだ「これが私の生きる道」は彼女たちのキャラクター・イメージを決定づけた。
もしも誰かが不安だったら
助けてあげられなくはない
うまくいっても ダメになっても
それがあなたの生きる道
燃えてる私達はいい感じ
生きている証だね
世の中が少し見えたね(これが私の生きる道/作詞・作曲:奥田民生)
当時のあからさまに「プロデューサーに抱かれてます!」的なアイドルや、現在の「CDを買った枚数に応じた時間、アイドルとねちゃねちゃ握手できます!」といういかにもスケベで金持ちのオッサンが考えそうなキャバクラ商法のアイドルなどとはまさに真逆の、聴き手とも金持ちのオッサンたちとも距離感の取り方にウソの無いPUFFYのクールなキャラクター・イメージは好感を持たれ、男子からも女子からも支持され、ヒット曲を連発していった。
もちろんこれはプロデュースを担当した、奥田民生の功績にちがいない。