特別編 追悼:加藤和彦

ハレンチ

忌野清志郎の訃報とはまたちがった意味で、気の滅入るような訃報だ。

鬱病という病気は、人を死へと追い込むそうだ。
しかし、この日本のフォーク~ロックという文化に最も大きな貢献をした英雄のひとりを殺したのがその鬱病だとしたら、われわれはこのやり場のない怒りのような哀しみの矛先を、いったいどこへ向ければいいのかわからない。
そのことに対して、やりきれない思いで、気が滅入るのだ。

加藤和彦は大学生であった1965年に、フォーク・クルセダースというグループを結成し、アマチュアとして活動する。
グループは2年間の活動後に解散を決めるが、その記念として自主制作されたレコードが上の画像である『ハレンチ』である。
日本におけるフォーク~ロックの歴史において、このアルバムがすべての始まりだったと言っても過言ではない。

『ハレンチ』制作後に、収録曲の「帰ってきたヨッパライ」などがラジオで話題となり、レコード会社にプロとしてデビューを誘われるが、加藤和彦は難色を示す。結局、他のメンバーに説得もされて、1年間のみの活動という条件で、プロとしてデビューすることになる。
そり1年間のあいだに、「帰ってきたヨッパライ」は史上初のミリオンセラー・シングルとなり、「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」など、次々とシングル・ヒットを出しが、予定通り、1年後に解散してしまう。

フォーク・クルセダースは70年代のフォーク・ブームに先駆けて誕生した、日本で最も初期のフォーク・グループである。
世間でフォークと言えば、アコギを爪弾きながら、なよなよした女言葉で、ですます調で歌うのが本来のフォークと思われてるのかもしれないが、そうではない。「フォーク」というのはもともと「民謡」のことである。
自主制作アルバム『ハレンチ』には民謡が多く収録されている。「ラ・バンバ」「こきりこ節」「ソーラン節」など。そういう意味でフォーク・クルセダースは、本来の意味での、「フォーク」を出発点とした、正しきフォーク・グループである。

加藤和彦の訃報報道でニュースやワイドショーなどがきまって代表曲に「帰ってきたヨッパライ」を挙げるのがまたやりきれない。
たしかにミリオンセラーになった曲だが、加藤和彦の仕事を代表させる看板にするにはあまりにもショボい曲だ。せめて「悲しくてやりきれない」や「タイムマシンにお願い」などの超がつく名曲を挙げてほしいものだ。

わたしが加藤和彦の名前を最初に意識したのは、泉谷しげるがフォークからロックへと転向したアルバム『80のバラッド』(1979)、『都会のランナー』(1980)のプロデューサー兼アレンジャーとしてだった。「翼なき野郎ども」「デトロイト・ポーカー」「褐色のセールスマン」「俺の女」など数々の名曲を生み、あの独特の乾いたロック・サウンドを作り出したのが加藤和彦だった。わたしはこの頃の泉谷しげるがいちばん好きだ。

順序が逆ではあるが、その次にわたしが知ったのがサディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシーンにお願い」である。
この曲を聴いたとき、わたしは心底ブッ飛んだ。74年でこんなニューウェイヴみたいな曲を書いたなんて考えられないと思った。日本ではもちろん早すぎるし、イギリスと比べたってまだ早い。イギリスだってやっとロキシー・ミュージックが出てきた頃のことなのだ。いま聴いてもこの曲は凄いと思う。

そしてわたしがフォーク・クルセダースを意識したのは、井筒監督の『パッチギ!』という映画で「イムジン河」を聴いたことによる。
「イムジン河」というタイトルは知っていたものの、実際に聴くのは初めてだった。
68年にフォーク・クルセダースの2枚目のシングルとして発表される予定だった「イムジン河」は、北朝鮮と韓国の南北分断について歌われた歌だ。レコード会社や放送局は両国の顔色をうかがい、おそれをなして発売自粛、放送自粛となった。
わたしは『パッチギ!』でこの曲を聴き、感動した。美しい歌詞、素晴らしいメロディーの曲だと思った。それ以来わたしはカラオケでよく歌う。

レコード会社や放送局のこういう体質は今でも変わらない。いや、それどころかますますひどくなっている。
74年発表の吉田拓郎の名盤『今はまだ人生を語らず』は、彼のアルバムで現在唯一廃盤となっているもので、その理由が、収録曲の歌詞に「つんぼ桟敷」という言葉が出てくるからということだ。
言うまでもないが、「つんぼ桟敷」という言葉は差別的な意味で使われる言葉ではない。ふつうの日本語である。
レコード会社や放送局はとにかく抗議やクレームが来ることを猛烈に恐れる。ちょっとでも抗議やクレームにつながりそうな部分を見つけたら、あわてて発売や放送をやめようとするのだ。

バカなことだ。あまりにもくだらなくて反吐が出そうだ。
そんなくだらないことですぐに腰が引けるようなレコード会社や放送局はつぶれてしまえばいい。

68年にフォーク・クルセダースが発表した『悲しくてやりきれない』は加藤和彦の作品の中でもわたしがとくに愛する歌だ。

胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに 告げようか
(悲しくてやりきれない/作詞:サトウハチロー 作曲:加藤和彦)

加藤和彦の遺書は、次のように書かれていたという。
「これまでに自分は数多くの音楽作品を残してきた。だが、今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか? 死にたいというより、生きていたくない、消えたい」
わたしにはその真意を理解することが出来ないが、日本の音楽シーンにフォーク~ロックを確立させた偉大な立役者としてはあまりにも悲しく、やりきれない思いを強く感じる言葉と言わざるを得ない。

記事を書いた人(Goro)

愛知県在住。中学卒業後、無知蒙昧のまま社会にさ迷い出て、底辺職を転々した後、地元の映画館に拾われる。映画館に10年勤めた後、レンタルビデオチェーンのバイヤーを20年勤め、現在は再び底辺職で肉体労働の日々に返り咲く。心に平安が訪れている。生活に不満はなし。音楽にはいろいろと救われている。「映画は映画館で観なきゃダメ派」ではない。

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コメント

  1. ゴロー より:

    もっとおかしいのは
    過去には出して良かったのに、今はダメということ。
    それがなにか法に触れてるとか、誰かを傷つけてるとかならともかく、たんなる大企業の腰抜けがクレームを恐れてという、馬鹿馬鹿しいこと極まりない理由で歴史的名盤をまるごと闇に葬るというのがわたしには許せないですね。

  2. まーこ より:

    鬱とは何とも遣り切れなぃ。
    「今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか?」

    確かに私も今の音楽シーンが非常に薄っぺらでつまらなぃ!!と思っている位だから、素晴らしぃ音楽を作り続けて来た人達が思ぅ悲しみは計り知れなぃものなんだろぅ。。。

    ちなみに・・イムジン河のシングルCDが発禁が解けて発売になった時に、某早野氏に誘われて予約購入しました。
    私がその曲を聴いたのはそれが初めてだった。
    過去に禁止された曲を今なら出してもいぃって言うのも何だか可笑しなもんだね。。。