山口百恵/横須賀ストーリー(1976)

横須賀ストーリー

【ニッポンの名曲】
作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 編曲:萩田光雄

山口百恵は1973年に14歳でデビューした。デビュー・シングルは「としごろ」だ。

2ndシングル「青い果実」で「あなたが望むなら、わたし何をされてもいいわ。いけない娘だと噂されてもいい」と歌って世間をザワつかせ、大ブレイクする。

3rdシングル「禁じられた遊び」では「怖くない、アアッアン、怖くない、あなたとだったらなんでもできる」と歌い、そして5thシングル「ひと夏の経験」では「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」と歌って世の男子をノックアウトし、PTAから猛烈な敵意を浴びた。

今の感覚からすると、中学生の少女にこんな歌ばっかり歌わせる周りの大人ってどうなんだという気もするが、それまでになかったリアルで影のある新時代のアイドルの登場はかなり衝撃的だったのではないかと想像できる。

しかしそのイメージが固定して、同じような歌ばかり歌わされるのはさすがに本人も嫌気がさしていたようだ。

1976年、17歳の山口百恵は前年に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で大ブレイクしたソングライターコンビ、阿木耀子と宇崎竜童を自ら指名して、新曲を書かせる。それが「横須賀ストーリー」だった。そしてこの曲は、オリコンチャート1位の大ヒットとなった。

この曲が山口百恵の転機となったが、同時に日本の歌謡曲にとってもエポック・メイキングな歌だったと思う。

阿木耀子の描く女性像はそれまでに描かれてきた日本人女性のイメージを塗り替え、より強い意志と冷静な視線を持った、自立した女性像が魅力的に描かれていたし、宇崎竜童の曲はロックの感覚が滲む、新しい歌謡曲だった。

それにしても17歳でこのプロフェッショナルぶりには恐れ入る。
きっと阿木・宇崎が作る楽曲と自分の声の化学反応をある程度予見したのだろうし、そうじゃなければ、大勢の大人たちを動かして曲を書かせるなどということはなかなかできるものじゃない。
彼女のそういうところが唯一無比の個性を創り上げ、21歳で引退してから40年が経っても尚聴き継がれる、伝説的な歌手となっているのだろう。

わたしは小学校高学年の頃からテレビやラジオで音楽を聴き始めたが、女性アイドルで最初に好きになったのが山口百恵だった。美しい容姿ももちろんだが、歌謡曲としての新しさが群を抜いていた。また、普段は笑顔の可愛いあどけない少女が、歌い始めると突然10歳も年取ったような大人の女に見えるのに驚かされた。

ダウンタウンの松本人志が以前、好きだったアイドルを訊かれたときに「やっぱり山口百恵だけは特別で、今でも音楽を聴いたり、映像を見たりします」と話すのを聞いた。

同世代としてその「特別」という言葉に強く共感した。
わたしにとっても、後にも先にも、あんなに特別なアイドルはいない。

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