【追悼・筒美京平】堺正章/さらば恋人(1971)

さらば恋人

【ニッポンの名曲】
作詞:北山修 作曲・編曲:筒美京平

わたしが子供から少年になっていった昭和の時代、テレビからもラジオからも毎日、筒美京平のメロディが流れて来た。

居間にも、台所にも、子供部屋にも、友達の家にも、親戚の家にも、町の食堂にも、ショッピングセンターにも、銭湯にも、ボーリング場にも、夜の盛り場にも、筒美京平のメロディが溢れていた。

歌番組で歌手たちが歌い始めると、タイトルのテロップの右下には「作曲:筒美京平」とあるのがあたりまえで、きっと日本の歌謡曲は全部この人がひとりで作っているのだろうと思うほどだった。

筒美京平の顔なんて誰も見たことなかったけど、彼はこの国でいちばんたくさんのレコードを売った作曲家だ。

日本人は、筒美京平のメロディが大好きだったのだ。

でも、みんな筒美京平が作った歌だとはきっと知らずに聴いていたし、知らずに口ずさんでいた。わたしもそうだった。

好きな曲は数えきれないほどある。比較するのも失礼かもしれないが、レノン&マッカートニー程度では太刀打ちできないほど、たくさんある。

日本の歌謡曲が素晴らしく充実したものになったのは、きっと彼のおかげだろう。

このマチャアキの「さらば恋人」も子供の頃にテレビなどでよく聴いたのを憶えている。
わたしが5歳のときに発売された曲だけれども。
後年、すっかり大人になってから聴き直して、あらためていい曲だなあと惚れ直したものだ。マチャアキの独特の歌声もすごくいい。

わたしはまだ意識していなかったけれど、わたしの音楽好きの礎をつくったのは、もしかすると筒美京平なのかもしれない。

「歌謡曲」という言葉がわたしは好きだ。「ポップス」というと洋楽の真似みたいに思えるし、「J-POP」なんてゲロが出るほど嫌いだ。

「歌謡曲」は、いかにも日本独自の大衆音楽という感じがしていい。

昭和の時代は、5歳の子供から、その両親、祖父母まで、みんなが「歌謡曲」を好きだった。

筒美京平は、日本の大衆音楽「歌謡曲」の発展における最大の功労者だった。
わたしは彼を最も偉大な日本の作曲家として永久にリスペクトし、死ぬまで彼の歌謡曲を楽しむだろう。

筒美京平先生のご冥福を心からお祈りします。

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