黄金時代は終わりを告げ、窓の外には暴風雨が近づく【ストーンズの60年を聴き倒す】#41

イッツ・オンリー・ロックン・ロール(SHM-CD)

『イッツ・オンリー・ロックンロール』(1974)

“It’s Only Rock’n Roll” (1974)
The Rolling Stones

アルバムのタイトル曲「イッツ・オンリー・ロックンロール」は、作者のクレジットに”Inspiration by Ronnie Wood”と、当時はフェイセズに在籍していたロン・ウッドが協力者として記されている。

彼の家の地下にはスタジオがあり、ロッド・スチュワートなどフェイセズの面々の他にも、ミックやキースやテイラー、ジョージ・ハリスンにデヴィッド・ボウイなど、様々なミュージシャンたちが遊びに来てはセッションを楽しんだという。

キースはこう語っている。

初めて「イッツ・オンリー・ロックンロール」を聴いたのは、あの時、ロニーのスタジオでだった。ミックの曲で、ダブ・バージョンとしてデヴィッド・ボウイと録音していた。ミックが思いついて、あの二人で存分に楽しんだんだ。これがすごくいいんだ。ちきしょう、ミック、お前、なんでボウイとやるんだよ? とにかく、このすげえのは取り返さなくちゃな。あのタイトル自体が素晴らしくシンプルでシビレたぜ。(『ライフ』キース・リチャーズ著 棚橋志行訳)

わたしにはなんとなく、この曲が前年まで英国で吹き荒れていたグラム・ロックへのアンサー・ソングにも聴こえる。

グラム・ロックは、天才ボウイを除けば、それ以外はストーンズの下手なモノマネみたいなものだったとわたしは思う。

ストーンズになりたくてしょうがない彼らに対して、まさにグラム・ロックそのもののような曲調で「たかがロックンロールじゃないか、でも大好きだけどな」と元祖グラム・ロックが歌っているように聴こえるのだ。

この曲を中心に据えた本作は、1974年10月18日にリリースされた。『スティッキー・フィンガーズ』以来重要な役割を果たしてきたホーン・セクションを本作はまったく使わず、それによってR&B色が薄まり、シンプルなロックンロールとややセンチなバラードなどを中心に構成されている。

プロデュースは”グリマー・ツインズ”と名乗るミックとキースであり、彼らによる初のプロデュース作だった。

1974年という時代は、グラム・ロックが沈静化して、パブ・ロックが秘密裏に活動を活発化し、もうすぐパンク革命前夜という頃だった。グラム・ロックは新しい世代の少年少女たちを新たなロックリスナーに育て、わかりやすいシンプルなロックンロールへの需要を掘り起こした。時代の流れに敏感なストーンズもこの流れを察知したように本作でロックンロールに回帰したのかもしれない。

SIDE A

  1. イフ・ユー・キャント・ロック・ミー – If You Can’t Rock Me
  2. エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ – Ain’t Too Proud to Beg (ザ・テンプテーションズのカバー) 
  3. イッツ・オンリー・ロックン・ロール – It’s Only Rock’n Roll (But I Like It)
  4. ティル・ザ・ネクスト・グッドバイ – Till The Next Goodbye
  5. タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン – Time Waits for No One

SIDE B

  1. 快楽の奴隷 – Luxury
  2. ダンス・リトル・シスター – Dance Little Sister
  3. マイ・フレンド – If You Really Want to Be My Friend
  4. ショート・アンド・カーリーズ – Short and Curlies
  5. フィンガープリント・ファイル – Fingerprint File

1曲目の「イフ・ユー・キャント・ロック・ミー」の、ロックンロールやるぞーい! と言わんばかりのイントロからもう最高だ。シンプルな曲調、ラフなヴォーカル、パワフルでキレのいいギター、たぶん当時の英米のグラム・ロックの連中がよだれを垂らして憧れたスタイルの、ストーンズ流ロックンロールだ。途中、やけにガサガサしたベースのソロもあるけれど、これはキースが弾いているそうだ。

「エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベック」はテンプテーションズのヒット曲だが、これもR&B色を消し去って強引にロックンロールに仕立てている。

「タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン」は「時は誰のことも待ってくれない」と歌う歌だが、タイトル曲と並んで、このアルバムのハイライトと言っていい名曲だ。ミック・テイラーが抒情的で素晴らしいギターソロを長々と弾いているが、このアルバムを最後に脱退してしまった彼の、惜別のプレイのようにも聴こえてしまう。

「快楽の奴隷」は好きな曲だ。ストーンズが初めてレゲエの要素を取り入れた曲でもある。貧しい労働者が「世の中はいろいろ不公平だけど、女房・子供に贅沢させるためにおれは働くんだ!」と言ってる歌だ。素晴らしい。泣ける。好きだ。

「ダンス・リトル・シスター」のキースのギターはまるで岩でも削る機械のように、重くて固いゴツゴツしたリフで突進するロックンロールだ。欲望にムラムラとした獣がギャンギャンと吠え立てるみたいな、あまり中身がなさそうな軽快さと勢いが清々しいほどである。ひととき、身も心も原始人に還ったような気持ちになれる、癒しのロックンロールである。

ラストの「フィンガープリント・ファイル」は新境地、ストーンズ流ファンク・ロックだ。
キレのいいキースのギターリフが意外にゆっくりとリズムを刻むのが悪質である。IQが異常に高いサイコパスみたいなベースは、ミック・テイラーが弾いているそうだ。そしてこのファンク・ロックは次のアルバム、『ブラック・アンド・ブルー』のオープニング、「ホット・スタッフ」へとつながっていく。

本作リリースから2ヶ月後に、ミック・テイラーが脱退を表明した。本作は彼の参加した最後の作品となった。

脱退の理由は本人も明確にしていないが、この時期はキースのヘロインへの耽溺が激しくなって仕事にも支障が出始めていたということもあり、そんな状況に嫌気がさしたとも考えられる。実際、ミックは「(テイラーの脱退は)キースとやっていくのが難しかったということだと思う」と発言している。

キースは「なんであいつが辞めたのかわからない。本人に聞いてもよくわからないと言うんだ」と自伝で語っているが、そりゃあ後輩のテイラーは「あなたのせいです」とは言わんだろうなあとは思う。
それ以外にも、テイラーが曲作りに参加した楽曲もあるにも関わらず作者として名前がクレジットされることがなかったという不満などもあったようで、まあ脱退の理由はひとつやふたつではなかっただろう。

そして前作までストーンズの黄金時代を支えたプロデューサーのジミー・ミラーは、本作もプロデュースを務める予定だったが、途中で降板している。彼についてキースは次のように語っている。

俺たちのせいでジミー・ミラーは疲れ果て、ゆっくり薬物に溺れていって、ストーンズとあいつの最後の共同作品になる『山羊の頭のスープ』に取り組んでいるあいだに、ミキシングボードに鉤十字を刻みつけるまでになっちまった。(『ライフ』キース・リチャーズ著 棚橋志行訳)

ミラーもまた当時ヘロインに耽溺し、精神的にも肉体的にも病み、そのため本作の制作途中で解雇されたという。
彼は1994年に52年の短い生涯を終えている。キースは以下のようにも語っている。

ジミー・ミラーの名前は、ロックンロールの天国に黄金の文字で刻まれている。最悪な状況下で仕事をこなし、ロクでなしどもを見事に手なずけてみせた。ジミーは最高さ。(『アコーディング・トゥ・ザ・ローリング・ストーンズ』ぴあ出版)

本作は全英2位、全米1位を記録したが、『スティッキー・フィンガーズ』から3作連続で続いていた英米1位の記録はここで途切れた。

シングル・カットされたのは「イッツ・オンリー・ロックンロール/スルー・ザ・ロンリー・ナイツ(アルバム未収録)」と、米国のみの「エイント・トゥー・プラウド・トゥ・ベッグ/ダンス・リトル・シスター」だった。前者は英10位・米16位、後者は米15位と、もうひとつ伸びなかった。

ストーンズの黄金時代を支えたミック・テイラーとジミー・ミラーが去り、商業的にもやや翳りが見え始めたストーンズは、キャリアの転換点を迎えていた。

そして窓の外ではやがて来る、パンク・ロック・ムーヴメントという暴風雨が近づきつつあった。

(Goro)

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