圧倒的多数派の支持を得た陽キャロック〜ボン・ジョヴィ『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』 (1986)【食わず嫌いロック】#34

ワイルド・イン・ザ・ストリーツ

Bon Jovi
“Slippery When Wet” (1986)

1986年と言えば、わたしが20才の年だ。
この20才からの3年ほどが、わたしがロックをまったく聴いていない「ロック空白期間」だった。
ひょんなことからクラシック音楽をひと齧りしてみたら、そっちにのめり込んでしまった期間ということなのだけれども、リアルタイムのロックに聴きたいものがないという理由もあった。

当時は今みたいにインターネットもなく、テレビも洋楽番組なんてほぼ無いので、リアルタイムのロックシーンの情報なんてよほど積極的にロック雑誌でも定期購読していなければ知ることもなかった。そもそもそれほど興味を惹かれるものがないのに積極的になれるわけもなく、ほとんど何も知らなかったと言っていい。

それでもボン・ジョヴィの名前は耳に入ってきた。数少ない深夜の洋楽番組で見たこともあった。当時はそんな言葉はなかったが、ものすごい「陽キャ」のロックバンドだと思った。まるでクラスの1軍トップグループのモテ男たちが集まって結成したロックバンドみたいな。わたしがそれまで思い込んでいた、ロックバンドなんて落ちこぼれやはみ出し者や半分病気みたいな「陰キャ」の集まりというイメージを根底から覆すものだった。

この3rd『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』は全世界で3千万枚を売る大ブレイク作となった。日本でもオリコン10位のヒットとなり、ボン・ジョヴィ人気に火がついた。それはもう明らかに、洋楽ロックの域を超えた人気だった。当時のわたしのバイト仲間には、基本邦楽しか聴かないけど、ボン・ジョヴィだけは聴く、という男もいたぐらいだ。

ボン・ジョヴィもしかし、最初から売れたわけではなのだ。
最初の2枚は鳴かず飛ばずで、この3枚目でプロデューサーにブルース・フェアバーンを迎え、ソングライターにデズモンド・チャイルドが参加したことで大きく飛躍した。

アルバム製作に当たっては30曲ほどの曲を用意し、スタジオの向かいにあるピザ屋に集まる10代の少年たちに曲を聴かせて選曲の参考にしたという。プロフェッショナルが脇を固め、マーケティングらしきこともした上で製作された戦略的な商品だったわけた。ロックリスナーという少数派が求めるものではなく、ロックリスナー以外という多数派が求めるものを追求したのだろう。その戦略は見事に大当たりした。

それにしてもつくづく思う。なんだってわたしはいつもいつも少数派の側なのかと。
音楽に限らず、すべてにおいて多数派の側に立ったことがない気がする。まるでテロリストの育ち方みたいだが、わたしはそんなものに共感を寄せたことはない。

しかしリリースから37年が経過した今聴いてみると、なんとも懐かしいシンセやギターの音がする80年代サウンドは、子供の頃に食べた懐かしい駄菓子を久しぶりに食べたような気分になる。決して美味いものではないはずだが、あの時代の空気や匂いが蘇るような懐かしさを感じる。ピーター・フランプトン以来となるトーキング・モジュレーターを効果的に使った代表曲「リヴィング・オン・プレイヤー」はそのアレンジこそ時代を感じる派手な衣装を纏っているものの、楽曲としては完璧な名曲に違いない。

ボン・ジョヴィは当時から、ロックガチ勢からは批判的に語られることが多かったが、しかし彼らがメタルの裾野を広げ、女性ファンも呼び込んだことは大きな功績だろう。メタルのフェスに女性の観客が増えて、きっとメタル野郎どもは大いに喜んだに違いないのだ。

そうかと言って、ではこれを今の若者にロックの名盤として薦めるかというと、そんなことはしないが。これよりもっと素晴らしいロックの名盤はいくらでもあるからだ。

陽キャたちのパーティーには一生参加することができなかったわたしだけれども、そんな陽キャの若者たちや、イケてる美女たちも、今はもうわたしと同じただのくたびれたおじさんやおばさんに過ぎない。50も過ぎれば陰キャも陽キャもないものだ。

だから今はようやく圧倒的多数派の「ただのおじさん」に属している幸福を感じながら、日々を平々凡々に過ごしている。

尚、本作のジャケットはもともと上に掲げたもので、日本ではそのまま流通したが、メンバーが「ピンクの枠が気に入らない」と苦言を呈したそうで(そこなのか)、海外では下の地味なジャケットが一般的らしい。現在の国内盤はどちらなのかわたしは知らない。もし、当時から下のジャケットだったら、わたしも少しは聴いてみようかと思ったかもしれない。

Slippery When Wet

(Goro)

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