≪オールタイム・グレイテスト・ソング 500≫ その11
Bob Dylan – Blowing In The Wind
超有名曲だから選ばないといけない、というブログでもないし、ディランの名曲なんてほかにも山ほどあるのにわざわざこんな初期の曲を選ばなくても、と思わなくもないが、でもこの曲には今あらためて聴いても、やはり特別ななにかがある。
世界中で愛され、歌われるのはやはりそれなりのものをもってるのだ。
どれだけ歩けば立派な男になれるのか
どれだけ海を越えれば白い鳩は陸にたどり着けるのか
どれだけ砲弾を撃ち合えば終わるのか
友よ、その答えは風に吹かれている
答えは風に吹かれている(written by Bob Dylan)
とまあそんな歌詞だけど、詩的で抽象的なイメージと、「砲弾」のようなドキッとする現実的な言葉が混ざり、哲学的な問いかけと現実的な社会への問いかけが同居したものになっている。
そしてその大事な答えを人々は手にすることなく、風に吹かれて舞っているというイメージは美しく、皮肉っぽくもあるが、虚無的な感じもする。
まだ少年の面影が残るたった21歳の詩人が書いたものとは思えないほど、いろいろな想いと深い思索を喚起させる歌だ。
また、無垢な青年らしい、世界に対する「理解に苦しむ」問いかけは多くの人が共感しやすい問いかけでもある。
ただ、この曲が反戦集会や平和運動のテーマ曲みたいに地球上のあらゆる場所で勝手に使われまくったことに対して、ディランはどんな気分だったのかなあ、と思わざるを得ない。
「反戦」や「平和」それ自体は正しいことだとしても、それを旗印とする運動や団体のすべてが良心的な手段や目的で行われているとは限らない。
決して誇らしい気分ではなかったと思う。
すごく美しく力強い歌だし、だれもが好きになるのはよくわかるけど、音楽的な意義とは離れたところで「歌」が正義のシンボルのように安易に使われ出すと、あまり共感する気分にはわたしはならない。
なんだかディランが気の毒だ。