このアルバムを聴いたとき、おおっ!90年代のレッド・ツェッペリンだ!などと思って興奮したことを思い出す。
いやレッド・ツェッペリンなんてわたしは5曲ぐらいしか知らなかったのだけど、まあとにかくそう思ったのである。
レッド・ツェッペリンはなんだかちょっと難しいけどグルーヴ感がよろしい、とわたしは思っていて、でも腰がありすぎてやや堅めなので、もうちょっと湯に浸けたほうがいいのではないか、という印象なのだった。
スマッシング・パンプキンズもグルーヴ感がよろしくてやや堅め、でもユーモアもあって、そんなに難しくない。ジェームズ・イハのせいかな。それにダーシーはものすごくいい匂いがしそうな女子だった。
また、当時は素人っぽいこどもバンドが幅をきかせてそれはそれで面白かったのだったけど、スマパンは中途採用でいきなり主任、みたいな、ちょっとだけ大人のバンドのような、きっちり仕事ができる感じだった。
フロントマンのビリー・コーガンは音楽以外にはあまり興味がなさそうで、気難しくてストイックでちょっとだけ狂った坊さんのような男である。
スマパン解散後にズワンというバンドを結成したけど、アルバムを1枚出しただけですぐに解散した。ツアーなどでメンバーが酒やら女やらで遊ぶのが気に食わなかっという理由らしい。ビリーは彼らのことを「ペテン師野郎共」と罵倒した。わたしはこういう男に好感を持つ。
スマパンの作品はどれも練りに練られた芸術作品のように完成度が高い。
楽曲もそうだし、アルバムも1作ごとにはっきりしたコンセプトを持って制作しているかのようだ。
ビリーはまるでルネッサンス期の巨匠のように、1作目はキャンバスに若い情熱を迸らせ、2作目は熟練した技術で天井画を描き、3作目はその集大成としてゴシック様式の大聖堂を建築したかのようだった。そして『アドア』でまた版画に戻ったりもする。
結局1作目の『ギッシュ』を選ぶことにしたのは、わたしもこれでスマパンが好きになったこともあるし、もしこれからスマパンを初めて聴くなら、できれば順を追って聴くほうがいいと思ったからだ。このアルバムが気に入らなかったらたぶん全部気に入らないだろう。
4作目の『アドア』は美しいアルバムではあるけど、残念ながらここにはドラムスのジミーがいない。スマパンはビリー・コーガンとジミー・チェンバレンの2人がいないとスマパンにはならないのだ。
ちなみにわたしは、スマッシング・パンプキンズのライヴは見たことはないけれども、ビリー・コーガンとニアミスはしたことがある。
海外ジャーナリストによって「世界最強のラインナップ」と国際的に報道された、2001年のフジ・ロック・フェスティバルにビリー・コーガンはニュー・オーダーのサポート・メンバーとして登場したのだった。
わたしはそのフェスティバルに行ったのだが、同時刻の別のステージでニール・ヤング&クレイジー・ホースを見ていた。ニール・ヤングも素晴らしかったが、ニュー・オーダーのほうもすごい盛り上がりようだったらしい。
また行きたいなあ、フジ・ロック。
コメント
これも91年物です。
いいコメントですねー。
タワーレコードということは、クラブ・クアトロのライヴですね。
「トゥデイ」が出てるならもう完全にブレイクしてた93年頃だと思うけど、その時代にまだスマパンをあの小さいホールで見れるというのは、つくづく名古屋人て得だよなあと思いますね。
ビリーと私と時々イハ
僕には自慢が一つある。初来日のスマパンを観にいった時、本番1時間前くらいなのにタワーレコードでCDを物色しているビリー・コーガンに会ったことだ。
そのころ、まだ剃髪まえの彼は変な柄のシャツを着た気の優しそうなノッポで猫背の青年だった。その柄シャツはそのまんまステージ衣装だった。
ステージでは途中、日本人のファンからの手紙をスタッフらしき日本人女性に日本語と英語で読ませて、「トゥデイは素晴らしい曲ですね」というくだりになるとニコニコと、ニコニコと本当に嬉しそうにはにかんだりしていた。
それが、何時の間にやら憎悪の塊の錯乱した宇宙人みたいな坊主頭になっていて、当時はビックリしたのを覚えている。
きっと仕事にも他人にも自分にも、大変素直で生真面目な人なんだろうな、と思う。
僕の好きなバンドを5つ挙げろ、と言われたら迷う事無く思い浮かぶスマパン。
出来れば好きになってほしいので、僕もこのアルバムから聞いて欲しいと思います。
そうだ、これも91年だったよね。