ストーンズのカバー原曲を全発掘!【vol.2】Find Original The Rolling Stones Cover Songs

Best Of

さて今回は、ザ・ローリング・ストーンズが残した多くのカバー曲の、原曲を発掘し紹介していくシリーズの第2弾となります。(⇨第1弾はこちら

ストーンズにとってブルースやR&B、カントリーといったルーツ・ミュージックは彼らの音楽の根幹であり、それはまたすべてのロック・ミュージックの源泉でもあります。

ストーンズがカバーした曲の、その原曲を聴いてみるという過去への旅は、ルーツ・ミュージック入門にも最適と言えるし、実際わたしもそうやってその奥深い世界を知り、魅了されていったという経験をしました。

このシリーズでは全10回ほどに渡って、そんなストーンズがカバーした曲のオリジナルを発掘し、ストーンズの録音年代順に紹介していきたいと思います。

第2回は、ストーンズが初めて全英1位となったシングル「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」からスタートし、EP『ファイヴ・バイ・ファイヴ』、そして2ndアルバム『ザ・ローリング・ストーンズNo.2』に収録されているカバー曲を取り上げてみたいと思います。

ザ・ヴァレンティノズ
イッツ・オール・オーヴァー・ナウ(1964)

The Valentinos – It’s All Over Now

ザ・ヴァレンティノズは、サム・クックのバックを務めていたバンドだ。ヴァレンティノズのギタリストだったボビー・ウーマック(1944-2014)が義姉のシャーリーと共に書いた、パワフルなカントリーR&Bとでもいった趣の曲だ。

ストーンズは初めてアメリカを訪れた際にニューヨークで初めてこの曲を聴き、その9日後にはチェス・スタジオで録音している。

この曲はシングルとしてリリースされ、ストーンズにとって、記念すべき初の全英No.1シングルとなった。

ウィルソン・ピケット
イフ・ユー・ニード・ミー(1963)

Wilson Pickett – If You Need Me

デトロイト出身の激情型シャウター、サザン・ソウルの代表的シンガーの一人、ウィルソン・ピケット(1941-2006)のデビュー曲だ。米R&Bチャート37位を記録している。同年にソロモン・バークがカバーし、同チャート2位の大ヒットとなった。

ストーンズ版は1964年リリースの5曲入りEP『ファイヴ・バイ・ファイヴ』に収録された。

リトル・ウォルター
コンフェッシン・ザ・ブルース(1958)

Little Walter – Confessin’ The Blues

ピアニストのジェイ・マクシャンとヴォーカリストのウォルター・ブラウンによって書かれ、彼ら自身の演奏で1941年に大ヒットしたブルース・ナンバーだが、ストーンズがカバーしたのは58年に録音されたリトル・ウォルター(1930-68)のバージョンだ。

リトル・ウォルターはマディ・ウォーターズに見出され、彼のバンドでブルースハープ奏者として活躍した後、ソロ・アーティストとしても数々のヒット曲を放った。ハーモニカマイクをアンプに繋げて音を歪ませ増幅させる、画期的なアンプリファイド・ハープの第一人者だった。

ストーンズ版は1964年リリースの5曲入りEP『ファイヴ・バイ・ファイヴ』に収録された。

チャック・ベリー
アラウンド・アンド・アラウンド(1958)

Chuck Berry – Around and Around

ロックンロールの創始者、チャック・ベリー(1926-2017)の代名詞とも言える1958年発表のシングル「ジョニー・B・グッド」のB面に収録された曲。シングルは全米8位の大ヒットとなった。ブレイクを繰り返すクールなリズム・パターンが最高だ。

ストーンズがカバーしたのを皮切りに、アニマルズ、デヴィッド・ボウイ、グレイトフル・デッド、38スペシャル、パール・ジャムなど多くのアーティストにカバーされ、チャック・ベリーの代表曲のひとつとなっている。

ストーンズ版は1964年リリースの5曲入りEP『ファイヴ・バイ・ファイヴ』に収録された。

ハウリン・ウルフ
ザ・レッド・ルースター(1961)

Howlin’ Wolf – The Red Rooster

チェス・レコードの屋台骨を支えた名ソングライター、ウィリー・ディクソンの作で、シカゴ・ブルースの巨人、ハウリン・ウルフ(1910-76)の代表曲のひとつとなった。彼の歌声は一度聴いたら忘れられない、凄いインパクトのダミ声である。

ストーンズは英国5枚目のシングルとしてリリースし、全英1位を獲得している。英国でブルース・ソングがシングルチャートの1位を獲ったのは後にも先にもこれだけである。

タイトルは「赤い雄鶏」という意味で、歌われているのは、怠け者で乱暴者だが、誇り高い雄鶏だ。「雄鶏が納屋の平和を守る」という南部に伝わる民俗信仰が元になっている。ウルフ先生の大迫力の歌声で聴くと、見上げるような巨鳥がのっしのっしと歩いてくるようだけれども。

ソロモン・バーク
エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ(1964)

Solomon Burke – Needs Somebody To Love

ソロモン・バーク(1940-2010)は、米ペンシルヴァニア州出身で、60年代にヒット曲を連発し、R&Bからソウルへの橋渡しに貢献した、巧い、深い、強いの三拍子揃ったソウルシンガーだ。ストーンズは複数の曲をカバーしていることで、そのリスペクトぶりが窺える。2002年のストーンズのツアーにゲスト出演し、この曲でストーンズと共演した。

ゴスペルとソウルを融合させたような画期的なスタイルだったこの曲は、米R&Bチャート4位のヒットとなった。
1980年の映画『ブルース・ブラザーズ』でも印象的に使用され、さらに広く知られるようになった。

ストーンズ版は英国での2ndアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』に収録された。

アルヴィン・ロビンスン
ダウン・ホーム・ガール(1964)

Alvin Robinson – Down Home Girl 

米ニュー・オーリンズ出身のアルヴィン・ロビンスン(1937-89)はブルージーで粘っこい唸り声が特徴のソウルシンガーだ。

いかにもニュー・オーリンズらしいホーンと泥臭さ満点のこの曲は、高く評価されながらも商業的には成功しなかったが、ストーンズのカバーと翌年のザ・コースターズのカバーによって広く知られるようになった。

ストーンズ版は英国での2ndアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』に収録された。

チャック・ベリー
ユー・キャント・キャッチ・ミー(1956)

Chuck Berry – You Can’t Catch Me

デビューから5曲連続してR&Bチャート上位に送り込み、ヒットを連発していたチャック・ベリー(1926-2017)の6 枚目のシングルとしてリリースされたが、初めてR&Bチャート入りを逃し、不発に終わった曲。そういう曲をわざわざ取り上げるのもまたストーンズらしい。

ビートルズの「カム・トゥゲザー」のメロディーと歌詞がこの曲と酷似している部分があるため、ジョン・レノンは版権所有者に著作権侵害で訴えられたが、この原曲をあらためてジョンがカバーしてアルバム『ロックンロール』に収録することで落着した。

ストーンズ版は英国での2ndアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』に収録された。

アーマ・トーマス
タイム・イズ・オン・マイ・サイド(1963)

Irma Thomas – Time Is On My Side

オリジナルは米国のトロンボーン奏者カイ・ウィンディングによって1963年に録音されたが、翌年の6月に歌詞がつけられてニュー・オーリンズのソウル・クイーン、アーマ・トーマスが歌い、シングルのB面曲として発表した。

同年にストーンズが2ndアルバムでカバーを収録すると、米国のみでシングル・カットされ、全米6位というストーンズにとって初の全米トップ10ヒットとなり、アメリカでのブレイク作となった。

エイモス・ミルバーン
ダウン・ザ・ロード・アピース(1946)

Amos Milburn – Down The Road Apiece

米テキサス州ヒューストン出身のエイモス・ミルバーン(1927-80)は、1940年代から50年代にかけて人気を博した、ピアノを弾きながら歌うR&Bシンガーだ。酒をネタにした歌と、ダイナミックなブギウギ・ピアノを得意とした。

この曲はブリティッシュ・ビート・バンドたちが競うようにカバーした、彼の代表曲だ。

ストーンズ版は英国での2ndアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』に収録された。

ザ・ドリフターズ
渚のボードウォーク(1964)

The Drifters – Under The Boardwalk

ニューヨーク市出身のコーラス・グループ、ザ・ドリフターズの代表曲のひとつで、全米4位の大ヒットとなった。ドリフターズはあのベン・E・キングがリード・ヴォーカルをとってヒットを連発していたグループだが、この曲のときにはもう脱退している。

「ボードウォーク」とは海岸に突き出た木製の桟橋のことらしい。
暑い夏の真っ盛り「太陽から隠れてボードウォークの下で、誰かの足音を聞きながらメイキング・ラヴしちゃおうよ」という大胆な歌だ。

ストーンズ版は英国での2ndアルバム『ザ・ローリング・ストーンズ No.2』に収録された。

マディ・ウォーターズ
アイ・キャント・ビー・サティスファイド(1948)

Muddy Waters – I Can’t Be Satisfied

マディ・ウォーターズ(1913-83)自身が書いた曲で、彼の3枚目のシングル「ゴーイング・ホーム」のB面として発表された。米R&Bチャート11位と、彼にとって初めてのチャート・イン・シングルとなった。

「苦労ばかりで満足なんてできやしない。泣けてくるぜ」と歌う、マディ(vo,g)とビッグ・クロフォード(b)の2人による演奏だ

踊るベースと跳ねるギターが絡み合ってグルーヴを生み出し、めちゃカッコいい仕上がりだ。まさに、ロックンロールの原典とも言えるだろう。

オーティス・レディング
ペイン・イン・マイ・ハート(1964)
Otis Redding – Pain in My Heart

米ジョージア州出身でディープ・ソウル(サザン・ソウル)の第一人者、オーティス・レディング(1941-67)のデビュー・アルバム『ペイン・イン・マイ・ハート』のタイトル曲。アラン・トゥーサンが書いた曲だ。

当時オーティスは23歳なのだけど、すでに老成したような渋さや説得力を感じる。若造なのに、貫禄十分である。

「ディープ・ソウル」とは主に米南部の、ブルースやゴスペルの影響を受けたスロー・バラードや、ミディアムテンポのソウル・ミュージックのことだ。
サム・クックがその源流となり、オーティス・レディングがそのスタイルを確立し、世に広めた。この曲はその最初の果実である。

わたしは、ロックに飽きてきたり、疲れた時はいつもディープ・ソウルを聴く。熟れすぎた果実みたいなディープ・ソウルを真夜中に聴くのが大好きだ。

デイル・ホーキンス
スージーQ(1957)
Dale Hawkins – Susie Q
米ルイジアナ州出身のデイル・ホーキンス(1938-2010)はスワンプ・ロック・ブギと呼ばれるリズム・ギターの発明で知られる、南部で活動した白人のロックンローラーだ。
この曲は1957年、ロカビリー・ブーム真っ只中にリリースされ、全米29位のヒットとなった。1968年のC.C.R.のカバー・バージョンもよく知られている。

ハンク・スノー
アイム・ムーヴィン・オン(1950)
Hank Snow – I’m Moving On

カナダ系アメリカ人のカントリー・シンガー、ハンク・スノー(1914-99)は、その生涯において140枚のアルバムをリリースし、85枚のシングルをチャートに送り込んだ、カントリー界のレジェンドだ。

この曲もハンク・スノー自身の作だ。米カントリーチャートで21週連続1位という大ヒットとなり、その後多くのアーティストにカバーされ、カントリーのスタンダードとなった。

ストーンズによるカバーは英国盤ライヴEP『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!』に収録された。

ボ・ディドリー
アイム・オールライト(1964)
Bo Diddley – I’m Alright

ボ・ディドリー(1928-2008)が1964年にリリースしたライヴ・アルバム『Bo Diddley’s Beach Party』に収録された曲。

しかし、ストーンズによるカバーが収録されているライヴEP盤『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!』のソングライターのクレジットには、この曲の作者がジャガー/リチャーズと表記されている。単なるミスと思いたいが、よくないことである。

《ストーンズのカバー原曲を全発掘!【vol.2】》は以上です。

上記の16曲をぶっ続けで聴けるプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。

次回、vol.3もご期待ください。

(Goro)