名盤100選 78 ロバート・ジョンソン『コンプリート・レコーディングス』(1996)

コンプリート・レコーディングス

この2日間は連休だった。
わたしは近所の、歩いて行ける範囲の用事を少し済ませた以外は、家にいて、音楽を聴いたり、本を読んだり、テレビを見たりして、過ごした。
陽が暮れたら缶入りの角ハイボールを飲む。タバコは吸わない。もうすぐ禁煙して1年になる。5Kgぐらい太った。

こんなふうに休日を過ごすことが最高の幸せだなどと言うと、なんてつまんない男だろうと思われるかもしれないので言わないようにしている。
いや、わたしだって欲を言えばもっといろいろしたいことがないわけではない。でもそれを言い出したらキリがないし、宝くじが当たるとか、魔法が使えるようになるとか、自分専用の喜び組を組織するとか、そんな非現実的な話になってしまうからだ。

仕事探しにうろうろしたり、見つからなくて自暴自棄になって犯罪計画を練ったり、消費者金融のATMをハシゴしたり、落ちているお金を探して道を這いつくばったりしなくていいだけでも、わたしは幸せに思える。
いやべつに若いころはそんなやつだった、というわけではない。でもそんなやつになる可能性は充分にあった。
あぶない、あぶない。

今でもひさしぶりに会う知り合いなどには「おお、ひさしぶりだな、ちゃんと仕事してるか?」と、わたしがいまだに無職であるかもしれない感じのあいさつをされることもある。
いやいやわたしはもう今の会社に13年もいるのだ。

若い頃は無職の期間もときどきあったし、20代のほぼぜんぶが楽な生活ではなかった。
でも今のわたしの毎日は、それなりに一生懸命仕事をしているつもりなので、仕事のことを考えなくていい休日というものが、なんとも贅沢な時間に感じられる。

そんな有意義で贅沢な休日の時間の半分くらいは、わたしの部屋には音楽が流れている。聴き流しているときもあれば、真剣に音楽に集中して、耳を傾けているときもある。
ちなみに、昨日から今日にかけて聴いたのは、アリス・クーパー、山口百恵、ジョニ・ミッチェル、マーラー、ハイロウズ、ロバート・ジョンソン、木村カエラ、リトル・ウォルター、GReeeeN、エアロスミス、中島みゆきなどなど。

ある人々にとっては、音楽なんて、ほんとうにどうでもいいものだろう。
でもわたしには音楽が大事だ。
わたしは自分で音楽はやらないので、ただ聴くだけだが、それでも音楽は、なによりも大事なものだ。

でも音楽には実体もなく、腹がふくれるわけでもなく、肉体的な快楽を得られるわけでもない。
音楽っていったいなんなのだろう、と考えることがよくある。

音楽について書かれた言葉でわたしが共感できるのは、米国の作家カート・ヴォネガットが2005年に最後の著書に書いた次のような文章だ。

『わたしはシュトラウスやモーツァルトなんかが大好きだが、アフリカ系アメリカ人がまだ奴隷のころに全世界に与えてくれた贈り物はとても貴重だ。
この音楽こそ、今でも多くの外国人がわれわれ[米国人]のことをほんの少しは好きでいてくれる唯一の理由だと言ってもいい。
世界中に広がっている鬱状態によく効く特効薬は、ブルースという名前の贈り物だ。
今日のポップミュージック、ジャズ、スウィング、エルヴィス・プレスリー、ビートルズ、ストーンズ、ロックンロール、ヒップホップなどなど、すべてはこのブルースがルーツといっていい。(略)
アメリカの奴隷時代、奴隷所有者の自殺率は、奴隷の自殺率をはるかに超えていたらしい。
その理由は、奴隷たちが絶望の対処法を知っていたからということだ。
白人の奴隷所有者たちにはそれがなかった。奴隷たちは自殺という疫病神を、ブルースを演奏したり歌ったりして追い払っていたのだ。(略)
ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、その部屋の隅に追いやることはできる。』

そのとおり。
米国の指導者はときどき、よその国の人々の頭の上に爆弾を降らせるよう悪魔のような指示することがあるが、またべつのアメリカ人たちが創り出した素晴らしい音楽がある限り、アメリカ人と文化そのものを嫌いになることはわたしには不可能だ。
日本人にも良い人とクソ野郎がいるように、アメリカ人にだっていろんな人がいる。

わたしは小学5年生のころ、ラジカセが死ぬほど欲しかった。でも買ってもらえなかった。
でもわが家はそこそこ貧しかったこと、そしてもっと重要なのはこのことだが、両親は音楽を聴くことに、それほどの価値を見いだしていなかったのだと思う。

参考書や辞書を買ってくれ、と言ったら買ってくれたかもしれない。
でも音楽にはそんな、成績や人生設計に影響するとかいうものでもないので、投資意欲が湧き上がらないのだろう。
だから親からラジカセを買ってもらうことはなかった。
でもわたしの気の触れたような欲しがり方に負けたのか、親戚の叔父さんがくれた。
ステレオではなくモノラルの、縦型のラジカセだ。

わたしはその縦型ラジカセで、ラジオの音楽番組を録音したり、テレビにつないでテレビの歌番組を録音したりした。わたしはそのときから、音楽に夢中になる。
1978年ころの話だ。

家にはレコードプレーヤーもずっと無かったけど、たまたまその翌年、なぜなのかはわからないけど、わが家にもステレオセットがやってきた。わたしは狂喜した。
わたしはYMOや海援隊やその他4~5枚のレコードを買って楽しんでいたが、半年ぐらい後にはそのステレオセットはわたしの同級生の家に移動することになり、わが家から消えることになった。

どんな事情かは知らない。たぶん義父が金に困って売ったのだと思う。
わたしはあのとき、どれほどの絶望を感じたのだっけ。
わたしにとっては大事件のはずなのに、まったく覚えていない。
あまりのショックで記憶喪失になったのかもしれない。

中学3年のころは当時発売されたばかりの、SONYのウォークマンⅡが死ぬほど欲しかった。ウォークマンなら、いつでもどこでも、1日中音楽を聴いていられるということだ。
なんという幸福。
魔法か、それは。
でもわたしはもちろん買ってもらえなかった。

わたしは、いつもいつも音楽に飢えていた。
今みたいにタダみたいに音楽が聴ける時代からは考えられないことだが。
それでもあの縦型のラジカセを手に入れたときから今まで、わたしは飽きることなく音楽を聴き続けている。

毎朝iPodを車に差し込んで出勤する。片道1時間のあいだ、まったく退屈しない。
わたしは若いころも絶望なんて感じたことはないけれど、それは音楽によって、部屋の隅っこに追いやっていたからなのかもしれない。
考えてみれば、ひとから見たらわたしの状況はかなり絶望的に見えていた頃もあったにちがいないのだ。
でもわたし自身は絶望どころか、人生に退屈したことすらない。
それもこれもぜんぶ、音楽のおかげだ。

本物のブルースから華やかなエンタテインメントまで、音楽にはありとあらゆるものが存在する。
ロバート・ジョンソンは本物のブルースだ。本物すぎて、21世紀に生きるわれわれにはリアリティを感じにくい。
わたしはこれまで聴いてきた、ブルースが元になっているさまざまな音楽をさかのぼっていくような聴き方をしてやっとリアリティを得られる。

音楽を聴くのに理屈はいらないが、蓄積した知識がないと時代を遡行するのは難しい。
いまのところAKB48と嵐しか聴いていない人がいきなりロバート・ジョンソンを聴いてもなんのことやらさっぱりわからないに違いない。

わたしはブルースの知識が豊富ではないが、このロバート・ジョンソンの音楽がいかにリアリティに満ちた音楽であり、技術的にも画期的であり、超人的であり、後のロックやポップソングの豊かな実をつけるジャックと豆の木の魔法のタネのようなものであることは想像できる。
これは先祖が遺した真に神聖でシンボリックな宝剣や古文書に触れるようなもので、畏怖すら感じる存在ではあるけれど、同時に、現代のわれわれにも共感が可能な、怒りや、欲望や、あきらめや、幸福や、ユーモアや、絶望が、聴こえてくる。
ここには、マディ・ウォーターズやチャック・ベリーはもちろん、ビートルズもローリング・ストーンズもボブ・ディランもジミ・ヘンドリクスもエリック・クラプトンもレッド・ツェッペリンもエアロスミスもマイケル・ジャクソンもメタリカもベックもレッチリもプリンスもレディオヘッドもいる。

もうすぐわたしは娘の誕生日プレゼントにiPodを買ってやる予定だ。
娘はまだ小3だ。iPodなんてクソ贅沢だと言われるかもしれない。
でもそのかわり、わが家はゲーム禁止なので、ゲーム機器類をひとつも買い与えたことがない。プレステもDSもWiiも、うちの娘は持っていないのだ。ゲームを我慢したご褒美でもある。

なによりも、娘は音楽を聴きたがっている。わたしの子供のときと同じだ。
わたしはもったいぶることなどしない。思う存分、音楽を聴いてほしい。
音楽を好きになったらしめたものだ。
もうそれで、たとえこの先なにがあったとしても、絶望は部屋の隅っこに追い払えるし、退屈が続くこともなく、そこそこ悪くない人生を送ることができることだろう。

記事を書いた人(Goro)

愛知県在住。中学卒業後、無知蒙昧のまま社会にさ迷い出て、底辺職を転々した後、地元の映画館に拾われる。映画館に10年勤めた後、レンタルビデオチェーンのバイヤーを20年勤め、現在は再び底辺職で肉体労働の日々に返り咲く。心に平安が訪れている。生活に不満はなし。音楽にはいろいろと救われている。「映画は映画館で観なきゃダメ派」ではない。

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コメント

  1. ゴロー より:

    ありがとう
    意志がしっかりしてて、精神的にタフだった、って。
    そんなふうに見えましたか。嬉しいですねえ。
    人はちゃんと見ていてくれるもんだ。そしてこんな、長ったらしくて読むのに骨が折れるブログもちゃんと見ていてくれるもんだ。

    このあいだはお店で二十数年ぶりにN氏に会って、「暗かったよなあ、おまえは」って言われたけど、世の中に出たばっかりのわたしが、人を恐れ、斜に構えて腕組みをする自己防衛のポーズでクソ生意気なことを言ったりしているときに、周りの人は本当に温かい目で見ていてくれてたんだなあとも感じました。

    そんなすべての方に、ありがとうと言いたいです。

  2. まーこ より:

    イィ話だねぇ~~~・・
    無遠慮にも完結した内容にコメントを入れてしまぃますが・・・(笑)
    多分ゴローさんは少しは喜んでくれるだろぅ。。!?

    私も(多分)乳離れした頃から2~3歳位まで、親戚の所に養女に出されていたんだけど、記憶には全く無ぃ。
    一番古ぃ記憶は親戚の家から実家に戻る時に大泣きして再び親戚の家へ戻された時の事。
    殆どお婆ちゃんと一緒に居たせぃか、大のお婆ちゃんっ子で、今でもお年寄りを見ると優しくしなきゃと言う意識が働く。
    まぁ、余分な話だけど・・(笑)

    今のゴローさんは実に充実していて幸せだね♪
    そんな昔は知らなぃけれども、でも、知ってるゴローさんは絶望的だとは思わなかったな。
    意志がしっかりしてて、精神的にタフだったから。

    こんな私でも音楽は絶対必需品。
    それがあったからこそ、今の自分が居る。
    失恋した時でも、鬱憤だらけの時でも、ずっと助けられて来て、良ぃ事があった時には喜び倍増☆
    ブルースを聴くと落ち着くのは、日常の唄であるからなんだろぅな。
    ・・英語が理解出来たらと、つくづく思ぅ・・

    何でも与えられる子供よりも、たっぷりの愛情を持った贈り物をもらえるゴローさんの子供は幸せダゎ☆