きょうはひさしぶりになにも用事がない休日なので朝からこのアルバムを大音量でかけてみたら楽しくなってきたのでベズの真似をしてゴリラみたいな顔をしながら部屋の中をひとりでいったりきたりして踊ってみた。
仕事をやめたばかりの親友と、このあいだ呑みにいった。
この街の超一等地にあるわりにはまったく流行っていない店で、大相撲の八百長事件の落としどころについて語り合い、女系天皇について語り合い、彼がある日もしも蒸発したらという設定の、想像上の日本海側のスナックのママとの小さな暮らしについて語り合った。
そして、今の仕事を、不本意ながら退職することになった経緯についても。
わたしなんかよりよほど世渡り上手で、社交的で、器用で、我慢強いはずの親友ではあるが、今回は運に恵まれなかったようだ。
わたしも会社員であるし、そして多くの取引先や競合他社の社内事情を知る機会もあるが、世の中には健康で活発な会社もあれば、ネガティヴで病気のような会社もある。
道に迷った会社もあれば、勘違いしている会社もあるし、ブレイク中の会社もあれば、一発屋の会社もある。
賢明な会社もあれば、ろくでもない会社もある。彼がやめたのは、わたしの感想で言えば、いてもしかたのない会社、あるいはいればいるほど損をする会社であった。
彼が「仕事をやめることになった」と奥方に報告すると、奥方は「いっしょに来て」と彼に言って近所の電器店に連れて行き、地デジ対応の液晶テレビを2台購入したそうだ。
真意はよくわからない。彼に対する「なにも心配してないから、つぎ頑張れ」というメッセージのつもりなのか、それともあるいは、彼が勤め人である今のうちにローンを組んでおこうという素早い判断だったのか、たぶん後者が有力ではあるがしかしどちらにしろ、その奥方の強さに彼が勇気づけられたことはたしかだろう。この日一番の深イイ話だった。
ハッピー・マンデーズは、1987年にデビューし、93年に解散した。
当時のイギリスのマンチェスターは、MDMAなどのドラッグと「ハウス」と呼ばれるダンスミュージックが流行し、その享楽的なレイヴ・カルチャーの影響を受け、80年代以降滅びつつあるかのように見えたブリティッシユ・ロックは、ダンスミュージックとの融合という禁じ手を使って奇跡の復活を遂げたのであった。
マッドチェスターと呼ばれたそのムーヴメントでブレイクしたアーティストには、ザ・ストーン・ローゼス、プライマル・スクリーム、インスパイラル・カーペッツ、スープ・ドラゴンズ、シャーラタンズ、ジェイムズなどがいるが、その代表格であり、良い意味でも悪い意味でも、最もマッドチェスターを体現していたのが、このハッピー・マンデーズである。
技術も無く、天性の音楽的才能なども感じられなかったが、その享楽的で破滅的な永遠のグルーヴは、できれば昨日のことも明日のことも思い出したくない当時のわれわれにとってのささやかな熱狂であった。
たぶんマンチェスター以上に退屈な、どこにでもある地方都市に住むわれわれは、夜中に部屋でヘッドホンをつけて酒を呑みながら、机上の熱狂と脳内ダンスに酔っては眠る日々だったのである。
あれから20年。
われわれには、すっかり変わってしまったこともあれば、相変わらずなところもある。
でもわれわれは、時間をムダには過ごして来なかった。
社会人としてそれなりの経験も積んだし、誇れるような結果も出し、世の中のリアルな知識も蓄え、人間的にも成長した。
わたしはあのころよりもずっと大きな声でしゃべれるようになった。
土曜の夜に駅で待ち合わせなんて、それだけでちょっとテンションが上がるような気分だった。
若者たちがうろうろと徘徊しているが、たぶんなにも用事もないし、とくに行くあてもないのだろう。わたしも20年前はあんな感じだった。
わたしはちょっとテンションが上がったまま、大いに呑み、場所を変えてその後も深夜3時半ぐらいまで呑んだ。
これは彼の祝勝会だな、と思った。勝利のBGMにはそれこそ、このアルバムのオープニング・ナンバー、「キンキー・アフロ」がふさわしい。
彼はよく努力した。そしていろいろな意味で、決定的な勝利を収めた、とわたしは思っている。
あれから20年。ちょっと意外だったみたいによく言われるけど、われわれはよく頑張りましたよ。