オイ、まさか泉谷しげるを「春夏秋冬」だけの人だと思ってないか

80のバラッド

だとしたら世も末だな。

1971年にデビューした泉谷しげるは、70年代には吉田拓郎や井上陽水と肩を並べるくらい人気があった。まあレコードのほうはなにしろインディーズで、杜撰な経営で有名なあのエレックレコードからデビューしたのでそこまでは売れてなかったけれども、存在感としては彼らに並ぶくらいのものだ。そしてこの3人が1975年に日本初のアーティストの経営によるレコード会社、フォーライフ・レコードを設立した。

泉谷にも日本のフォーク/ロック史に燦然と輝くいくつかの名盤があり、拓郎や陽水同様、多くの素晴らしい名曲がある。まったく遜色ないほどに。近いうちにわたしは、泉谷しげる【名盤ベストテン】と【名曲ベスト50】の記事を公開する予定だ。乞うご期待。

拓郎の強みが「稀代のメロディー・メーカー」、陽水は「国宝級の歌声」なら、泉谷は「日本ロック史における最高の詩人」と言えるだろう。

泉谷には拓郎のようなポップな要素は少ないし、陽水に感じるような普遍的で高い芸術性もまああまり感じられないかもしれない。しかし歌詞ということなら、この3人の中ではわたしは泉谷の歌詞がダントツで素晴らしいと思う。

わたしは吉田拓郎を聴いたことがきっかけで音楽の深みにハマっていったが、実はそのあとに聴いた泉谷しげるは、拓郎以上に聴き込んだものだった。わたしは彼のロックが大好きだったのだ。

泉谷しげる – 眠れない夜 (1974, Vinyl) - Discogs

眠れない夜 風が窓を叩き
手招きして 誘い水を撒く
眠れない夜

金色のネオン ピンク色の壁
都会の暮らしは底なしで
眠れない夜

憧れにつられてやってきたら
自分だけが ただ憧れてる
眠れない夜が いつまで続くやら

(「眠れない夜」作詞・作曲:泉谷しげる)

泉谷はフォークからロックへと転向したときに、サウンドだけでなく、歌詞もガラリと変えた。泉谷ロックの歌詞に頻出するキーワードは「都市(都会)」と「時代」だ。彼は、都市を生き、時代を見つめるロック詩人なのだ。

この1974年の「眠れない夜」が泉谷の、都市に生きることをロックで表現した最初のものだろう。

そして、アルバム『’80のバラッド』(1978)でついに泉谷流ロックは完成を見る。

80のバラッド

火力の雨降る街角
謎の砂嵐にまかれて
足とられヤクザいらつく午後の地獄
ふざけた街にこそ家族がいいる

こんな街じゃ俺の遊び場なんて
とっくに消えてしまったぜ
なのに風にならない都市よ
なぜ俺に力をくれる

(「翼なき野郎ども」作詞・作曲:泉谷しげる)

真っ直ぐ大股歩きのパワフルな8ビートだけでなく、そこで歌われる歌詞も、力強いロックそのものとして生み出されたとき、日本のロックは新たな扉を開いたのだ。

日本のロックバンドには、一見ロックみたいに聴こえるものの、よく聴いてみると歌詞は昔ながらの「愛だの恋だの」だったりする。それはもうロックではなくて、ロック風の歌謡曲にすぎない。ロックなら、サウンドだけでなく、歌詞も力強いものであってほしい。

その点、泉谷の歌詞は徹底してロックだった。

泉谷しげる「デトロイト・ポーカー/女たちへ」<EP>

エイジ 青い奴らが手引する
赤い街のゴミになる気かよ

エイジ 遠い窓の外に映る
カードをくわえたまま
生まれたならず者

デトロイト・ポーカーを知ってるだろう
奴の頭の中を指す 数がバラバラさ

エイジ 女の気持ちがわからねえのに
サ店のテーブルを 蹴とばすならず者

(「デトロイト・ポーカー」作詞・作曲:泉谷しげる)

それ自体が巨大な生き物のようなエネルギッシュな都市に飲み込まれ、時代が巻き起こす風に翻弄されながらも生きざるを得ない人々のあがきやもがきを泉谷は歌ってみせる。これほど生き生きとした、強靭なエネルギーに満ちた、疾走感あふれる言葉による歌詞をわたしは他に知らない。

たったの15歳で社会によろよろとさ迷い出て、底辺職を転々としながら蓄えられるフラストレーションにいまにも暴発しそうだった十代のわたしにとって、やはり高校を中退して職を転々とした泉谷の歌詞は胸に刺さり、魂を揺さぶり、共感するところが多かったのだ。あの頃のわたしはあっちへこっちへと迷走しながら、いつも泉谷を口ずさんでいたように思う。

拓郎がわたしにとってのカリスマなら、泉谷は心の親友のような存在だった。

それはもう、彼の歌を脳内爆音で繰り返し再生することによって、生きる力が漲ってくるような、オレもこの時代のこの街であがき、もがき続けてやると思えるような、誰よりも頼りになる、誰よりもカッコいい親友だったのだ。

(goro)

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