わたしが若い頃から「食わず嫌い」で敬遠したまま聴いてこなかったロッククラシックの名盤(特にHR/HM、プログレなどに多い)を、今更ながら一念発起して「食わず嫌いを克服したい!」という主旨でこの【食わず嫌いロック】の企画を始めた。
すでにいくつかの食わず嫌いを克服し、わたしにとっての新しい世界も開けつつあるが、しかしながら、聴いてみたもののやっぱり「克服できなかったものたち」も結果として出てきている。
それらはたいてい、あまりに素晴らしすぎるか、あまりに深すぎるかで、残念ながらわたしのロバの耳では理解できなかったのだ。全部わたしが悪い。
そんな最近の「克服できなかったものたち」を今回は5タイトル、まとめて記しておこう。
“Truth” (1968)
まずは、ジェフ・ベックの『トゥルース』(1968)。
”ハード・ロックの源流”とも評される作品らしいのだけれども、わたしはこのジェフ・ベックという人の音楽が昔からわからない。
若い頃に別のアルバムを聴いたときもわからなかったし、今あらためてこれを聴いてみてもどこがどう良いのかやっぱりわからなかった。
ブルースにボレロにグリーン・スリーヴスって、何をやろうとしているのか、ロバの耳のわたしには正直さっぱりわからないのだ。
Beck, Bogert & Appice (1973)
気を取り直して、次に挑んだのが、ジェフ・ベック先生が元ヴァニラ・ファッジの二人と組んだ『ベック、ボガート&アピス』(1973) だ。これも名盤と名高いアルバムで、全米12位とヒットし、日本でもオリコン総合で22位と洋楽ロックとしては大健闘している。
2曲めの「レディー」まで聴けば、この3人がどえらい技術を備えた名人なのだということがわかる。でもわたしのロバの耳と腐り脳みそは、そんな高度な技術をひけらかされても「それがどうした」としか思わないのでいけない。その価値や素晴らしさがわからないのだ。わかる人が心底うらやましい。
ポップな楽曲やバラードを感動風に歌い上げているのもあるけれども、そういうものを期待しているわけでもない。
Argus (1972)
イギリスのバンド、ウィッシュボーン・アッシュの名盤『百眼の巨人アーガス』(1972) を聴いてみた。
ツインリードギターというスタイルのためハード・ロックのジャンルに入れられがちだが、このアルバムだけ聴くと、どちらかというとアート・ロックやプログレのほうに近い気がする。
美しいアコギのアルペジオで始まり、期待が膨らむ。その後も色々な曲調や展開で飽きさせないし、高度な技術で弾きまくるツインギターを中心に、達者なバンドだということがよくわかる。耳障りな音はまったく無い、秀才で品行方正な優等生たちが細心の注意を払って奏でるロックのような印象だ。
明確なリード・ヴォーカルが存在せず、ドラム以外の3人がフォーク・グループのようにずっとハモりながら歌う歌声はどこまでも優しい。まるで全員、猫を抱きながら歌っているのではないかと想像してしまうほどである。しかしその透き通った歌声は、そのままわたしの心をすり抜けていってしまう。
美しく、真面目なアルバムであり、名盤と言われたらそうなのかもしれないが、わたしが好んで聴くロックとは根本的に違うという印象だ。
Abraxas (1970)
サンタナが大ブレイクした2nd『天の守護神』(1970)を聴いてみる。
サンタナもまったく通ってこなかったので、アルバムを聴くのは初めてだ。
「ブラック・マジック・ウーマン」と「君に捧げるサンバ」は知ってる。後者は哀愁漂う良い曲だと思う。ロック的なものではないけれども、イージー・リスニングとしては一級品の名曲だ。
ラテンとロックの融合、みたいな感じで独創的な音楽性ではあるが、もっと他のアルバムを聴いてみたい、というところまではいかなかったなあ。
Queen II (1974)
最後は宿敵、クイーンの2nd。
いや、宿敵なんて言ってはアレだけれども、クイーンがわたしは昔から本当に苦手なのである。何曲かの代表曲は知っているけれども、アルバムを聴くのは今回が初めてだ。
「ボヘミアン・ラプソディ」なんかは変態的すぎて、一周回って面白いという印象はあるし、最近は個々の曲では少し好きなものも見つけて、このブログでも取り上げたりしていたのだが、こうしてアルバムをガッツリ一枚聴いてみると、やっぱりなかなか厳しいものがある。
野菜が苦手なわたしが、ヴィーガン用のフルコースを次々に出されるような絶望感に襲われた。
やはりこれだけはどうにも体質が合わないのかもしれない。
以上、今週の「克服できなかったものたち」、5タイトルでした。
(Goro)