ピクシーズは米国ボストンで結成された4人組で、1988年にデビューし、1991年に解散した。そのインパクトの強さ、影響の大きさに比べ、わずか4年という短い活動期間だった。
そして2004年に再結成、2014年には23年ぶりのアルバムも発表し、現在も現役である。
ピクシーズを好きになれるかどうかは、その音楽性だけでなく、あの見た目が結構な難関だったりもする。
まあ端的に言ってしまえば、フロントマンがデブ・ハゲ・ブサイクの三重苦でも大丈夫ですか? ということである。
ロック・ファンにはやはりルックスを重視する人も多いので、あのエルヴィス以来のロックスター像からあまりにもかけ離れたルックスには抵抗があると言う人もわたしの周りには少なくなかった。
わたしは、まったく大丈夫だった。
基本的に子供のころからラジオとレコードとカセットだけで音楽に触れあってきて、ライヴを観ることにはそれほど熱心ではなく、映像作品を観ることには今でもまったく関心がないほどだ。音だけを聴きたいタイプなので、見た目がどうであろうとなんの問題もない。
逆に、めっちゃカッコいい、と思ったぐらいだ。
ピクシーズのその音楽性は独特で革新的であったが、それと同時にあのヴィジュアルも逆に革新的だったと言えるかもしれない。
三重苦でもカッコいいロックができて、リスペクトされ、愛されるというのは世の多くのデブ・ハゲ・ブサイクたちに勇気と希望を与えたに違いない。
モテない若者に夢と希望を与えるもの、それがロックでなくてなんであろうか。
ピクシーズは80年代末から90年代にかけてのオルタナティヴ・ロック大隆盛の立役者となった、ロック史的にも重要なバンドだ。
ニルヴァーナのカート・コバーンを始め、当時の多くのアーティストがピクシーズを愛し、大きな影響を受けた。
そんな、「ロックは見た目じゃない!」という人のために、ピクシーズの名曲10曲を選んでみました。
Bone Machine
1stアルバム『サーファー・ローザ』のオープニングを飾る曲。
ニルヴァーナが手本にしたバンドとして、80年代末~90年代に隆盛した「オルタナティヴ・ロック」の扉を開いたバンドとして、ピクシーズを知りたいならこの曲は最初に聴いておくべきだろう。
洗練されたエンターテインメントや深い意味はカケラもない、言ってみればがらくたアートみたいな曲だ。
でもこの曲には(というかピクシーズには)、なにか他のまっとうでスタイリッシュなロックには無い魅力があった。
ワイルドなリズムと、乾いたノイズギター、お腹がすいてイライラしているかのようなデブの絶叫、でもどこかユーモラスで、チャーミングだ。
動画は当時のライヴだが、しかしヴォーカルのブラック・フランシスがそれほどデブでもなく、ハゲでもないことに驚く。この後なにが彼をモンスターに変貌させたのだろうか。
Gigantic
1stアルバムからのシングルで、彼らにとってのデビュー・シングルだ。全英93位。イギリスにはいつの世も、新しいロックの登場にやたらと敏感な連中がいるものだ。
リード・ヴォーカルをベースのキムが取っていて、曲も彼女が書いている。
ピクシーズの登場は衝撃的だった。
その音楽は荒っぽくて、ぶっ壊れているのだけど、聴いているとなぜか笑顔になってしまう。
みんなを笑顔にして世界を救う、というほどのことはなかったにしろ、当時死にかけていた「ロック」は彼らによって救われたとも言えると思う。
Debaser
2ndアルバム『ドリトル』の冒頭を飾る、彼らの代表曲。
この曲と同じ年に生まれたダイナソーJr.の「フリーク・シーン」によって米国のオルタナティヴ・ロックは一気に盛り上がった。
このイントロを聴くと何十年経っても最高にワクワクする。
いかにもピクシーズらしい、ラウドなギターとハイテンションな絶叫ヴォーカルがどこまでもポップだ。
Monkey Gone to Heaven
2ndアルバム『ドリトル』からの先行シングル。全英60位、米モダンロック・チャートで5位と、彼らの出世作となった。米国ではカレッジ・チャートなどを中心に、大人の知らないところで熱狂的に支持され始めていた。
歌詞は、人々がゴミやゲロを投げ込む巨大便器と化している海と、神について語っているそうだ。
めずらしく、チェロとヴァイオリンを導入しているが、バンドがうるさすぎてよく聴こえない。
Here Comes Your Man
米モダンロック・チャートで3位と、彼らにとって最高位を記録した曲だ。
ピクシーズを結成するために、ブラック・フランシスとギターのジョーイ・サンティアゴはベーシスト募集の新聞広告を出した。それには彼らの目指す音楽性として「ハスカー・デュとピーター・ポール&マリーを合わせたバンド」と書かれていたそうだ。
ハードコア・パンクのハスカー・デュと60年代のフォーク・グループを並べたのは、彼らの音楽をうまく表現している。
この募集記事によって、採用されたのがベーシストのキム・ディールだった。
この「ヒア・カムズ・ユア・マン」は、そのピーター・ポール&マリーが顔を覗かせたような、ポップな脱力系ロックである。
Winterlong
ニール・ヤングが74年に録音したもののお蔵入りとなり、77年の2枚組ベストアルバム『ディケイド』に初収録された曲のカバー。
1989年に発表されたニール・ヤングのトリビュート・アルバム『ブリッジ』にこのトラックが収録された。
チャリティ・アルバムでもあるこの『ブリッジ』を当初ニール・ヤング本人は「どうせ若者が『ニールさん、あなたの時代はもう終わりましたよ』と言ってるような代物だろう」と勝手に想像し、聴かなかったという。
しかし後にツアーバスの中で聴いて、考えが変わったと話している。
特にここに収録されているピクシーズ、ソニック・ユース、ニック・ケイヴを絶賛し、91年の自身のツアーにはソニック・ユースをサポート・アクトに選んだものだった。
正直、このピクシーズ・バージョンはオリジナルを凌駕するほどの、素晴らしい出来である。
Velouria
3rdアルバム『ボサノバ』からのシングル。
サーフ・ミュージックやスペース・ロックの要素を取り入れて、よりポップになった。サウンド・プロデュースのせいもあり荒々しさは影を秘めたが、ハチャメチャさは相変わらずである。もちろん「ボサノバ」の要素なんてどこにもない。
前作『ドリトル』の評価も高かったことから期待は募り、アルバムは全英3位と、イギリスでは大ブレイクしていた。
本国では全米70位と、依然として大化けしないものの、オルタナティヴ・ロックのシーンでは学生を中心に熱狂的に支持され、R.E.M.と人気を二分する存在だった。
Planet of Sound
ニルヴァーナの大ブレイクでオルタナティヴ・ロックが爆発的なブームとなった1991年に発表された4thアルバム、『世界を騙せ』からの先行シングル。
ピクシーズの音楽には、ラウドなギターとポップなメロディー、静寂と轟音のメリハリ、素晴らしいユーモアと顔に似合わぬ愛らしさがあった。
ニルヴァーナのカート・コバーンは「ピクシーズを聴いて人生が変わった」と言った。
しかしそのニルヴァーナが大ブレイクしたちょうどその頃、残念ながらピクシーズは解散した。
解散の理由は、デブの性格が悪すぎてもう限界だったと聞いた。ものすごくショックだった。
Head On
4thアルバム『世界を騙せ』収録の、ジーザス&メリー・チェインの名曲のカバー。
本家を上回るほどのカッコ良さが評判になり、アルバムからの2ndシングルとしても発売された。
米オルタナ・ロックの牽引者が、英インディ・ロックのボスの代表曲をカバーするということに、当時はなんだか感慨深いものがあった。
Bagboy
ピクシーズは2004年に再結成した。フジ・ロックやサマー・ソニックにも出演を果たしたが、2013年には残念ながらベースのキム・ディールが脱退してしまう。
その後、パズ・レンチャンという見た目もプレイも最高の女子ベーシストが加入した。パズはビリー・コーガンが一時期やっていたバンド、ズワンにも参加していたこともあり、クセが強くて女子に嫌われやすい男子とも上手くやれる、天使ちゃんなのかもしれない。
2014年に、23年ぶりとなるアルバム『インディ・シンディ』が発表された。
期待を裏切らない、ラウドで、強力なアルバムだった。この曲はそのアルバムの冒頭を飾る曲だ。
ピクシーズのアルバムを初めて聴くなら、2ndの『ドリトル』がお薦めだ。
1980年代末、ピクシーズはオルタナティヴ・ロックの扉を開き、さらに「不細工でもハゲでもデブでも、ロックはできる」という重い扉も開いた。
ピクシーズ以降、カッコつけてるアーティストは不細工なアーティストよりもカッコ悪い、ということになった。90年代に、見た目重視の米国ハード・ロック系バンドを一掃してしまったのはニルヴァーナということになっているが、その大元は実はピクシーズである。
あらゆる意味で、真に革新的なロック・バンドだったのだ。