はじめての泉谷しげる 名曲10選 10 Shigeru Izumiya Songs to Listen to First

【LP】1971年 泉谷しげる・23歳デビュー・ライヴ盤/仲井戸麗市「泉谷しげる登場」【検:針飛び無】

フォーク・ブーム真っただ中の1971年、ライブ・アルバム『泉谷しげる登場』でデビュー。ちょうど大ブレイク中のよしだたくろうと共に、フォークブームをけん引した。

それまでの日本の歌謡曲やポップスにはなかった、オリジナリティあふれる作風は、孤独な若者の繊細な感情や、冷酷だったりエネルギッシュだったりする「都市」の様々な表情を、リアルで美しい言葉で、ワイルドなパフォーマンスと心に沁みたり引っかき傷を残したりする独特の声に乗せて歌った。

フォークシンガーとしてスタートした後、その作風から当然のようにロックへと発展した。日本のフォーク・ロック史における最重要アーティストのひとりだ。

ここでは、そんな泉谷しげるを初めて聴くという若者(いればいいけどなぁ)のために、年代順に名曲10曲を選んでみました。

#1 春夏秋冬(1972)
(作詞・作曲:泉谷しげる)

春夏秋冬

2ndアルバム『春夏秋冬』のタイトル曲で、泉谷の代表曲。社会に飛び込んだばかりの若者の孤独や焦燥感を美しいことばで詩にした、日本のフォークを代表する名曲だ。それまで流行していた、誰かの受け売りのような、わかったようなわからないような反戦歌やプロテストソングとは違う、個人的な感情を吐露し、よりリアルに繊細に描いて共感を得た。

季節のない街で生まれ
風のない丘で育ち
夢のない家を出て
愛のない人に逢う

今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてが報われる
今日ですべてが始まるさ

(春夏秋冬/作詞・作曲:泉谷しげる)

泉谷しげる23歳にして、すべてを見抜いたような人生観、虚無と希望、閉塞と開放、孤独や愛情が複雑に渦巻く不安の中で、小さな夢だけを握り締めた若者の、情熱的でリアルなことばだ。これほどのレベルで歌詞を書いたフォークシンガーは当時いなかった。

この曲には様々なバージョンがある。

シングルカットされたのはライブ・バージョンで、その後1988年にLOSERとロック・バージョンでのシングルも発表されたが、わたしはアルバム『春夏秋冬』に収録されたスタジオ・バージョンが圧倒的に素晴らしいと思う。
加藤和彦編曲による美しいアコースティック・サウンドに乗せた、焦燥感に満ちたテンポで、謙虚だが決意を感じる歌声が素晴らしい。

わたしはいったい、この曲にどれだけ救われたことか。

#2 つなひき(1972)
(作詞・作曲:泉谷しげる)

地球はお祭りさわぎ

3rdアルバム『地球はお祭りさわぎ』の冒頭を飾る曲。

泉谷はラブソングをそれほど多く書くほうではないが、これはガッツリ男女の愛について歌った、究極のラブソング。

僕らの愛は信じられるかい
僕らの愛は他とは違うだろう
僕らの愛は夢じゃないだろう
僕らの愛はとっても強いだろう
(つなひき/作詞・作曲:泉谷しげる)

この曲もまた、複雑な感情の奥深くまで分け入ったリアルな歌詞だ。
聴き手の精神状態によっては、祝福にも、優しさにも、皮肉にも、絶望にもとれる、様々な色に変わる歌詞だ。

この曲を聴いただけで泣けてくる。そんな頃もあったなあ。

#3 春のからっ風(1973)
(作詞・作曲:泉谷しげる)

光と影 (紙ジャケット仕様)

4枚目のアルバム『光と影』収録の名曲で、「春夏秋冬」に続くサード・シングルとしても発売された。

春だというのに 北風にあおられ
街の声に急き立てられ
彼らに合わないから 追いまくられ
さすらう気持ちはさらさらないのに

なんでもやります 贅沢は言いません
頭を下げ 詫びを入れ
すがる気持ちで仕事をもらい
今度こそ真面目にやるんだ

言葉が足りないばかりに
相手に自分を伝えられず
わかってくれない周りを恨み
自分は正しいと逃げ出す

(春のからっ風/作詞・作曲:泉谷しげる)

たった15歳の世間知らずのわたしが、右も左もわからない社会に飛び出し、当然のようにすぐに路頭に迷い、迷子のように半べそをかきながら暗がりに逃げようとしていたときにラジオから流れてきた曲だった。

この曲が泉谷しげるとの出会いだったが、まるでわたしのことを歌っているのかと思うほど、その歌詞がリアルに入ってきて、それまでのどんな歌からも感じたことのない、圧倒的な共感と強さで激しく胸を掴まれた。だから本当の穴倉に逃げ込まなくて済んだのかもしれない。

それ以来、泉谷のレコードを中古で探して、片っ端からのめり込んでいった。

#4 国旗はためく下に(1973)
(作詞・作曲:泉谷しげる)

光と影 (紙ジャケット仕様)

アルバム『光と影』のラストに収録された曲。

泉谷はプロテスト・ソングはさほど多くないが、この曲は当時の代表曲として、ライブの終盤でハイライトとなった曲だった。

戦争の当事者だった古い世代を批判し、若者たちは彼らの支配下でまやかしの自由を与えられていると皮肉をこめて歌っている。

さすがに46年も前の曲なので、時代の状況も違い、当時の左翼的な世界観と語法に現在の若者が共感するとは思えないけれど、この激烈でパワフルな代表曲を外すわけにはいかなかった。

音源はライブ『ライヴ!!泉谷〜王様たちの夜〜』より。CD化されたときに、なぜかこの曲だけ収録されなかった。ハイライトなのに。

#5 眠れない夜(1974)
(作詞・作曲:泉谷しげる)

黄金狂時代

1974年の名盤『黄金狂時代』のオープニングを飾る曲で、通算4枚目のシングル。

このアルバムから泉谷は本格的にロックを指向するようになる。
中でも、圧倒的なエネルギーと魅力に満ちた「都市」に圧し潰され精神を蝕まれていく孤独な若者の苦悩を描いた歌詞も素晴らしい「眠れない夜」は、アレンジもカッコ良く、完成度が高い。日本のロック史におけるエポック・メイキングな名曲だ。

サポートバンドは「イエロー」で、ジョニー吉長を中心としたバンドである。この曲がちゃんとロックとして完成した楽曲になっているのは、彼らの貢献によるところが大きい。

#6 火の鳥(1974)
(作詞・作曲:泉谷しげる)

黄金狂時代

『黄金狂時代』収録の激熱ロックナンバー。その後(たぶん今も)ライブでは必ずと言っていいほど演奏した代表曲だ。

鎖に縛られた僕を見て
君はひととき泣いて見せたが
すぐに敵に色気を見せて
僕を殺せと指さした
ああ、なんて冷たい火の鳥
(火の鳥/作詞・作曲:泉谷しげる)

タイトルも歌詞も、リフもメロディも何もかもがカッコいい、サイコーのロックンロールだ。

#7 翼なき野郎ども(1978)
(作詞・作曲:泉谷しげる)

80のバラッド

吉田拓郎や井上陽水と共に設立したフォーライフレコードを3年ほどで「やってられねえ」と言って飛び出し、ワーナーへと移籍した第1弾のアルバム『‘80のバラッド』のオープニングを飾る名曲。
加藤和彦をプロデューサーに迎え、これまでの泉谷とは違う世界観を新たに生んだ、ロック・アルバムだった。

火力の雨降る街角
謎の砂嵐にまかれて
足とられヤクザいらつく午後の地獄
ふざけた街にこそ家族がいる
こんな街じゃおれの遊び場なんて
とっくに消えてしまったぜ
なのに風にならない都市よ
なぜおれに力をくれる
ああ、イラつくぜ ああ、感じるぜ
とびきりの女に会いに行こう
(翼なき野郎ども/作詞・作曲:泉谷しげる)

わたしが最初に手に入れた泉谷のレコードが、1980年発表の『オールナイトライブ』で、この曲から始まる。

わたしはそのパワフルなヴォーカルと力強いサウンド、エネルギッシュな歌詞に衝撃を受けて以来、この曲が心にぶっ刺さって抜けなくなり、いろんな街を歩きながら、勝手に自分のテーマ曲と決め込み、いつもこの曲を口づさんでいたように思う。

この曲を口づさむと、傷ついたり、あきらめたり、拗ねたり、ひがんだり、空回りしたり、逃げ出したくなったり、自己嫌悪に陥って疲労困憊になって失われていく「生」のバッテリーが、再びビリビリと充電されるような気分になった。

わたしはこの歌が、日本語で歌われたすべての歌の中で、たぶんいちばん好きだ。

#8 デトロイト・ポーカー(1978)
(作詞・作曲:泉谷しげる)

80のバラッド

「翼なき野郎ども」の兄弟分のようなこの曲も、『‘80のバラッド』と『オールナイトライブ』の両方に収録された。
洋楽ではセックス・ピストルズの『勝手にしやがれ』、邦楽ではこの『オールナイトライブ』が、わたしが生涯で最も繰り返し聴いたレコードである。

エイジ、女の気持ちもわからねぇのに
サテンのテーブルを蹴飛ばすならず者
(デトロイト・ポーカー/作詞・作曲:泉谷しげる)

これもまた、チビりそうになるぐらい野蛮でストレートでカッコいい曲だ。

動画はちょうどわたしも観に行った名古屋市でのライブ。わたしはここにいた。

#9 褐色のセールスマン(1979)
(作詞・作曲:泉谷しげる)

都会のランナー

1979年発表のアルバム『都会のランナー』収録。前作『’80のバラッド』に続き、加藤和彦プロデュースの作品で、前作にひけをとらない名盤だ。
しかし『’80のバラッド』も『都会のランナー』も、セールス的には成功しなかったらしい。

「褐色のセールスマン」は、アーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』に影響を受けたようなタイトルと歌詞である。

激しい雨に打たれ 男がまた死んだ
退屈にやられて 勝手に血を噴いた
世に残らない死に方は やつは厭だったが
ドアを何度も叩き 自分を売りさばく
(『褐色のセールスマン』作詞・作曲:泉谷しげる)

わたしはセールスマンはやったことはないが、この歌詞もなぜかブスリと胸に刺さり、グリグリとこねくり回された。さのときの傷は今でも完全には消えていない。

YouTubeにはLOSERと共演のやたらめったらややこしいアレンジの動画しかなくて、これは曲を台無しにしてしまっているが、できればどこかで『都会のランナー』のスタジオ版か、『オールナイトライブ』での最高のバージョンを聴いてほしいなと思う。

#10 ハレルヤ(1989)
(作詞・作曲:泉谷しげる)

ハレルヤ

1989年発表のアルバム『‛90sバラッド』収録曲。なにかのCMにも使われていた覚えがある。ジーンズだったかな。

「国旗はためく下に」では古い世代に優しく支配された哀れな島国の若者たちの状況を描いたが、この「ハレルヤ」はさらにスケールの大きな宇宙的観点から、あくせくちまちまと生存する哀れな人類の現状を高らかに歌い上げるような歌だ。

今だ幼年期に終わりはなく
ただヒトのみが増え続け
ただヒトのみが死に絶える
ハレルヤ…
(『ハレルヤ』作詞・作曲:泉谷しげる)

アーサー・C・クラークの傑作長編SF小説『幼年期の終り』を泉谷も読んでいるのだろう。天文学に思いを巡らせると、「現代」などという一瞬や、「人生」などというものがあまりに極小すぎて、なんだかよくわからなくなってくる。

高度に発展した現代文明も実はまだまだ地球にとっては幼年期に過ぎないにしても、虚無と希望と絶望と悲嘆の入り混じった言葉「ハレルヤ」で、それでも現に、確かにわれわれは生きていることを祝福しよう。
そんなふうにわたしは聴いている。

LOSERを従えたサウンドは、泉谷史上最もハードで重量感のあるロックになっている。

CDは廃盤だし、定額制の配信サービスでも扱ってないので聴き難いが、泉谷のアルバムでどれか1枚なら、わたしはやはり80年の『オールナイトライブ』を断然推す。選曲も、アレンジも、泉谷のヴォーカルも、すべてが最高の出来の、最高傑作に間違いない。

オールナイト・ライブ[

それ以外では『‘80のバラッド』『都会のランナー』『黄金狂時代』あたりがお薦め。泉谷は作品にムラがあって、正直、ホントにお薦めできない作品も存在する。

ベスト盤ではレコード会社の枠を超えたオールタイムBEST『天才か人災か』がお薦めだ。

オールタイムベストアルバム 天才か人災か (DVD付)

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