泉谷しげる/春夏秋冬(1972)

春夏秋冬

【ニッポンの名曲】#11
作詞・作曲:泉谷しげる

泉谷しげるは高校を中退し、職を転々としながら、ローリング・ストーンズに憧れてロックバンドを始めるが、自宅が火事で全焼、エレキギターやアンプが焼失し、バンド活動をあきらめたという。

その後は漫画家を目指しながら、ときどきフォーク喫茶で自作の歌を歌っているうち、忌野清志郎のRCサクセションや、仲井戸麗市の古井戸らと仲良くなり、仲間内で音楽事務所を始めた。

泉谷しげるの目的は、ライブで女の子たちに絶大な人気を誇っていた古井戸やRCサクセションを売り込んで、音楽事務所の社長として、左うちわで暮らすことだったと言う。

あるとき泉谷が、インディレーベルのエレックレコードに、古井戸のテープを持ち込んでレコード契約を頼み込んでいた時、エレックの担当者はテープの最後に入っていた古井戸ではないアーティストの歌に耳を止め、「古井戸じゃなくてこいつを連れて来い」と言った。それが泉谷本人が歌う「戦争小唄」だったそうだ。

最終的には泉谷と古井戸のセットで、エレックと契約したという。


「春夏秋冬」は、1972年発売の2ndアルバム『春夏秋冬』のタイトル曲で、泉谷しげるの代名詞とも言える名曲だ。

アルバム発売から半年後にシングルでも発売されるが、なぜかライヴバージョンでの収録だった。この時代は結構そういうシングルが多い。

わたしが十代の頃に日本のフォーク・ロックのアーティストで特によく聴き、影響を受けたのが吉田拓郎とこの泉谷しげるの2人だった。


泉谷しげるは、特にその歌詞の世界に心を奪われた。この「春夏秋冬」も素晴らしい歌詞だ。

季節のない街に生まれ
風のない丘に育ち
夢のない家を出て
愛のない人に会う

人のために良かれと思い
西から東へ駆けずり回る
やっと見つけた優しさは
いともたやすくしなびた

春を眺める余裕もなく
夏を乗り切る力もなく
秋の枯葉に身を包み
冬に骨身をさらけ出す

今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてが報われる
今日ですべてが始まるさ

(春夏秋冬/作詞・作曲:泉谷しげる)

日本文学史上の名篇と言っても過言ではないほど、格調高く、リアルなことばで書かれた美しい詩だ。

現代社会の底辺を這う、変えようのない運命、なにひとつ手に入らず、何者にもなれない、虚しくやりきれない思いを嘆きながらも、微かな希望を失わない力強さ、その人間味に溢れたことばが感動的だ。

十代後半のわたしは、いつもこの歌を口づさんでいた。
いつかこんな状況が終わると信じて。
でもきっと終わらないのだろうな、とも心のどこかで思いながら。
…終わらないんだな、これが(笑)


この曲には様々なバージョンが残されているが、わたしがダントツで好きなのは1972年のアルバム『春夏秋冬』の収録バージョンだ。
まさに駆けずり回って息を切らしているような、焦燥感を募らせるような早めのテンポと、弱々しいが希望を失わない優しい歌声が胸に刺さる。
88年にはバックバンド・LOSERと、U2みたいなアレンジのロックバージョンでシングルが再発もされたが、正直わたしは全然好きじゃない。

残念ながら72年バージョンが聴ける動画は見つからず、ここでは1979年の古井戸のラストコンサートでのライブ映像で我慢しよう。