【きょうの余談】ダサいけど凄いバンド名〈甲斐バンド〉

甲斐バンド 12CD-1141

甲斐よしひろが中心になって結成したバンド、甲斐バンド。

わかりやすいバンド名だけれど、考えてみれば我の強い名前だ。それに、大好きだったバンドにこんなことを言うのはアレだけれど、バンド名としてはこれ以上は無いというぐらいダサい。

たしかに、われわれの世代なら、甲斐よしひろというアーティストの素晴らしいソングライターとしての才能や、無形文化財のようなあの声を知っているので、バンドの実質を表している〈甲斐バンド〉という名前にさほど違和感は感じない。そりゃまあ、甲斐のバンドだわな、ってなものだ。

でも、他のメンバーはどんな気持ちでやっていたのだろうと、不思議にも思う。
他人の名前を冠したバンドで、他人が作った歌を他人が歌うために、一生懸命覚えて、練習して、演奏するというのは、実際モチベーションやアイデンティティを保つのは難しくないのだろうか。

バンド名の由来というか真相は、当初、仮の名前として〈甲斐バンド〉でやってたらそのままデビューしてしまったということらしいが、それにしても、「おいおい、このままいく気かよ??」と、本当に誰も思わなかったのだろうか。

洋楽でも、ボン・ジョヴィやヴァン・ヘイレン、スペンサー・デイヴィス・グループ、デイヴ・クラーク・ファイヴ、トム・ロビンソン・バンドなんていう(それにしてもマイナーなバンドしか思い出せんな)、同じように中心人物の名前がそのままついているバンド名がある。なんとなく、中心人物の我の強さと、それ以外のメンバーの口数の少ない事なかれ主義みたいなものを想像してしまう。
逆に、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングなんていうメンバー全員の名前を繋げただけのグループ名は、一見民主的に見えるけれども、実際は4人の我が強すぎるのがそのまま名前にも表れているだけで、当然のように短命に終わった。

〈ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス〉は、納得がいく。
ジミヘンが100年にひとりみたいな天才なのは誰が見てもわかっただろうし、逆に彼のバックバンドに選ばれただけでも光栄だったに違いない。相手はバケモノであって、対等に渡り合えるような相手ではないのだ。

甲斐バンドのメンバーも、それに近いものを感じていたのだろうか。だとしたらその、分をわきまえたプロ意識は見上げたものである。なかなかロック好きのガチャついた若者なんかができることではない、献身的で徳の高い生き方である。

そして、甲斐よしひろ本人にはこの相当重い名前を引き受ける覚悟と自覚、責任感があったのだろう。なにしろ、売れなければすべて自分のせいだし、売れなかった場合のこの名前は相当カッコ悪いからだ。

そう思うと、我の強さ以上に甲斐のその覚悟と自信が凄すぎ、他のメンバーのプロ根性と徳の高さ、そして全員の結束力が凄すぎて、逆にカッコいいバンド名に思えてくる。

結局、そういう人たちが成功するのだろう、この世の中は。

わたしなんかには出来そうもない。
幼少の頃から、自分を中心に地球が回り、歴史が動いていると勘違いしていたタイプである。わたしがバンドをやるとしたら、まず目立ちたい、そしてモテたいという動機に決まっているし、他人の名前を冠したバンドで、他人の指示に従って演奏したいなんてまったく思わないだろう。

だからと言って「ゴローバンド」とかいう、自分の名を冠したバンド名を付けるほどの自信もない。つくづくいちばんダサいのはこういう、我だけは強いくせに、それを引き受ける覚悟も責任感も無いやつだ。

自分の分をわきまえ、他人のために自分を消して献身的になれるなんて、なんて素晴らしい人間なんだろうと、この年になると心の底から思う。そういう者にわたしはなりたい、と書いた宮沢賢治の気持ちがこの年になってやっとわかってきた気がする。

ちょうど、仕事を変わったタイミングで、新しい職場ではそういう者になりたい、と思ったものだ。
自分より年下の上司や先輩たちに対して献身的な気持ちで仕事に取り組もう、彼らをフォローし、若者たちの出世の役に立とう、と心がけているつもりだけれども、しかし頭ではわかっていても、もう50年以上も大甘根性の腐りダラクサ人間で来てしまったので、やっぱりときどき地金のハズい自分第一主義が顔を覗かせてしまい、そのたびに自己嫌悪に陥る、反省の毎日である。

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