【ディランのカバーで成功したブリティッシュ・ビート・バンド】マンフレッド・マン/マイティ・クイン(1968)

Mighty Garvey

【カバーの快楽】
Manfred Mann – Mighty Quinn

マンフレッド・マンは英ロンドンで結成され、1963年にデビューしたブリティッシュ・ビート・バンドだ。

彼らの代表曲「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」は、甲本ヒロトがラジオから流れてきたその曲を聴いて涙を流してのたうち回ったという逸話でも知られているが、この「マイティ・クイン」は彼らのもうひとつの代表曲で、全英1位、全米10位のヒットとなった。

作者はボブ・ディランである。
彼らはこの曲以前にも「神が味方」「女の如く」のディラン・カバーで成功している。まるで英国のザ・バーズだ。音楽性は似ていないけれども。

この曲は1966年にディランがバイク事故を起こした後、ビッグ・ピンクと呼ばれた住居でザ・バンドと共にセッションや曲作りをしていた時期に作られた曲だ。

そのときに録音されたいくつかの未発表曲でテスト盤が作られて業界内に配布され、そこに収録されていたこの曲をマンフレッド・マンが取り上げたということらしい。なお、そのときのテスト盤が『グレート・ホワイト・ワンダー』という、ロック史上初の海賊盤となって流通したこともよく知られている。

マンフレッド・マンのバージョンで聴くと、ディランが書いたとは思えないほどキャッチーなポップ・ソングに仕上がっている。子供番組の歌みたいな感じでもあるけど、サビのメロディはついつい口ずさんでしまう。
歌詞も「みんな集まれ。エスキモーの女王がやってきた。みんな大喜びだ」などと歌うユーモラスなものだ。もちろん、意味なんて無いに決まってる。

ディラン自身のバージョンはそれより後、1970年にリリースされた『セルフ・ポートレート』でザ・バンドとのワイト島での荒っぽい演奏のライヴ・バージョンが初めて収録されたが、これを聴くとやっぱりディランだなあと思うのだ。

↓ ディランとザ・バンドによるワイト島1970でのライヴ演奏。