エルヴィス・プレスリー/ザッツ・オールライト (1954)【’50s Rock Masterpiece】

Elvis Presley, Scotty And Bill – That's All Right / Blue Moon Of Kentucky (1954, Vinyl) - Discogs

【50年代ロックの名曲】
Elvis Presley
That’s Alright (1954)

1950年代の半ば、米テネシー州メンフィスのインディペンデント・レーベル、サン・レコードの経営者サム・フィリップスは「黒人みたいに歌える白人を見つければ億万長者になれる」と信じて疑わなかった。

1953年の夏、18歳のエルヴィス・プレスリーと名乗る若者が最愛の母親の誕生日に自分の歌をプレゼントしようと、自主制作のアセテート盤を作るためにサン・レコードを訪れ、3ドル98セントプラス税金を支払い、ポピュラー・ソング「マイ・ハピネス」と「心のうずくとき」を録音した。ただし当時の録音は音質が悪く、あまり満足のいく出来ではなかったようである。

そして54年1月に若者は2枚目のアセテート盤を作るために再びサン・レコードを訪れ「アイル・ネヴァー・スタンド・イン・ユア・ウェイ」と「イット・ウドゥント・ビー・ザ・セイム・ウィザウト・ユー」を録音した。そしてこの時にサン・レコードの経営者サム・フィリップスに初めて会うことになる。

サムは、ついに見つけた、と思ったに違いない。

そして半年後の1954年7月5日、サム・フィリップスはあらためてサン・レコードのスタジオにエルヴィスを招き、何曲か歌うよう指示した。エルヴィスは歌ったが、バラードばかりだった。
一旦休憩になり、エルヴィスはコーラを飲みながら、ふざけてギターを叩き、「ザッツ・オールライト」を歌いだした。デルタ・ブルースの歌手、アーサー・クルーダップの曲だった。

サム・フィリップスはそれが気に入り、「今のをもう一度やってみてくれ」と言って録音ボタンを押した。そして、それがそのままエルヴィス・プレスリーのデビュー・シングルとして、2週間後の7月19日にリリースされた。ロックンロールの歴史が幕を開けた瞬間である。

そしてエルヴィスの歌は、地球上のいたるところで聴かれるようになった。若者たちが熱狂した「ロックンロール」という20世紀最大の祭りがスタートしたのだ。

後のエルヴィスのヒット曲とは一味違うデビュー・シングルだ。
シンプルなブルースをアコギをかき鳴らして歌っただけだが、決してだれにも真似できないフィーリングをもった、世界中を魅了したのも当然の、天衣無縫の歌声が素晴らしい。わたしも初めて聴いたときはその独特の表現力に度肝を抜かれた。

以来、エルヴィスではこの曲が今でも一番好きだ。

(Goro)