先日フェイクアニと飲んだときのことだ。
「ゴローちゃんのそのコートさ、コムサだよねえ」とフェイクアニが半笑いで言う。
「おっ。なんでわかった?」とわたし。
「それおれも買ったよ」とフェイクアニが大笑いした。
着るものなんていくらでも選択肢があるなかで、同じ店で同じものを購入しているなんてきっとスゴい確率の偶然だと思う。
だけど、でもなんとなくそれほど偶然な感じもせず、実を言うとそんなにびっくりもしてなくて、なんだか必然な感じすらしてしまうのが、なんというかわれわれの、しょうがねーなあ、という感じなのである。
たしかに驚きはしたが、まあそんなものかもしれない、という気さえしてくる。
フェイクアニとはもともと、ほんの偶然に、たまたま飲み屋で知り合った。
実を言うとそのときのことをわたしはよく覚えていないのだけど、フェイクアニによれば、彼がカウンターで飲みながら持参した音楽雑誌を読んでいると、同じ雑誌の読者であるわたしがそれに気づいてなにやら話しかけたというようなことらしい。
91年の終わり頃だったと思う。
じゃああの、このあいだ出たニルヴァーナってバンドのアルバム聴いた?
聴いた聴いた、すげーなあれ、めっちゃハマってる、サイコーだなー、なんて話をしていた覚えがあるからだ。
われわれはどちらも、当時の急激に変化を始めたロックに夢中になっていたのだ。それは世界が変わるような大事だった。それ以外のことなんかべつにもうどうでもいいぐらいの。
われわれは二十代半ばのまだまだ無邪気な年頃で、明日の仕事や将来の年金や今日のゴハンや税制改革や、そんなことよりたった1曲の新しい音楽の出現のほうが一大事だったのである。
われわれはストーン・ローゼスやニルヴァーナの音楽の新しさに、ベルリンの壁が壊れていくニュース映像と同じぐらいの衝撃とそして希望を感じていた。
まだ入りたての社会の中で、まだ何者でもなく、孤独と不安を感じていたわれわれは、リアルタイムで進化していく音楽を共感を持って聴くことによってなんとなく世界とつながっている気になっていたのだ。
まあ世界とまではつながってなかったかもしれないが、とりあえずわたしとフェイクアニという小さいところではつながったのだった。
われわれはふたりで飲んでるときは朝まででも語り明かすが、家族ぐるみで海へ行って遊んでるときなどは逆にほとんど喋らなかったりする。
そういうときはなんだか、秘密結社の一味であるふたりが、世間を欺く仮の姿でごくふつうの平凡な夫を演じながら会っているような感じで、だからありふれた世間話しかしないし、ごくつまらない冗談を言って笑いあったりしている。
本当は違うことを考えているのだが。ふっふっふ。
あっ。
ここまで書いてやっと気づいた。
この記事にはスウェードのあの1stアルバムのジャケが掲載されているわけで、読んでいる人は、ええっ!? 今回はそういうテーマなのか!? まさかのカミングアウト!? なんてちょっとドギマギしながら読んでいるのではないか。
ちなみにこのジャケに象徴されるように、スウェードのデビュー曲「ドラウナーズ」は近親相カマの歌で、兄に対して”もっとゆっくりして”と歌われるし、「アニマル・ナイトレイト」では”吐き気を催すほどの笑顔で、俺のベッドに招待するとアイツは言った”などと歌われる。
スウェードはいかにもイギリスらしい、素晴らしいメロディセンスと悪趣味な歌詞とそれにふさわしいビジュアルを持った、ある意味これはこれで完璧なバンドである。
いまあらためて聴いてみても、デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』と比較しても遜色のないぐらいの完成度の高さだ。
残念ながらわたしにはホモセクシュアルの趣味はないが、フェイクアニがどうなのかは、あえて訊いたこともないので、知らない。
付き合いが長くても、意外と肝心なことを知らなかったりするものなのだ。
そういえば彼の若い頃の恋愛話などを聞いたこともあるが、それが女性なのか男性なのかまで突っ込んで訊いたことはなかった気がするし、彼のほうもそのあたりをはっきり言ったことは、今から思えば無かった気がする。
でも「実はバイセクシュアルで…」なんて聞いたら、たぶんわたしは彼を見直すのではないかと思う。
えっ、ホンモノだったの、やるじゃない、なんて。
コメント
だからこそフェイク
リアル兄貴ってのはいいねえ(笑)
以前彼から聞いて印象深かったのが、実はフェイクアニの誕生日の1日前には、長嶋茂雄、アントニオ猪木、カート・コバーン、志村けん、といったそうそうたる顔ぶれが誕生しているそうなのだ。
だが、その翌日、フェイクアニと同じ誕生日となるとあの石原裕次郎のモノマネをする、ゆうたろうぐらいしかいない。
彼はあと1日早く生まれていたら運命も変わっていたのかもしれない。
r-blues氏の
“いや、本当は今でもそういうふうじゃなきゃいけないんじゃないか?と自分に対して思うのですが…”
というのはよくわかる。
われわれは大人になったので、相手に対する遠慮だとか配慮だとか尊重だとかそういうことを覚えて、人付き合いはまずそれを最優先に考えるようになった。
それはそれでいいことなのだけど、でもあまりにそんなスタイリッシュな、ぎりぎり体が接触しないようにお互いによけてすれちがうような、そういう付き合い方ばかりしていると、若い頃のような心の中にまで勝手に土足でずかずか上がりこんでくるような付き合いかたというのを懐かしく思ったりする。
ありがた迷惑、大きなお世話なこともあるかもしれないけど、本当はそっちのほうがいいんじゃないか? とわたしも思うのだ。
カミング・アウト
「実はオレ…」なんてココで書いたら、『フェイク・アニ』から『リアル・兄貴』に昇格じゃん、ってバカヤロー!
オモロすぎるわー!
ちなみに、夜な夜な2人で何をしゃっべってるのかは秘密です。
それにしても、『スウェード』自体の話が全然無いんでチョットだけ補足を。
スウェードは、正しくナルシストなヴォーカリストのブレッド・アンダーソンと、Gジャンと335が似合うワガママな奇才ギタリスト、バーナード・バトラーの2人を中心としたイギリスのバンドだ。
あとはノッポのベーシストと、パッとしないゲイのドラマーの4人組っていう、まさに正しくブリッティッシュなロック・バンドである。
ま、幸福な時というのはいつでも儚く短いもので、そのメンバー構成はメジャー1枚目のアルバムと何枚かのEPだけで終わり、バーナードが脱退した後はコピーが上手な少年ギタリストが加入したりして、なかなかキャッチーな曲もあったけど、やっぱり毒にも薬にもならない低刺激なバンドになっていきました。
僕、バーナード・バトラーが実は大好きなんですが、あの凶暴なギラギラした音で、まるでファイバー系のヘアワックスのようにベッタリと歌メロに絡みつくギターワークは何度聴いてもたまらんっす。
彼のソロ・ファースト・シングル『STAY』はちょっと赴きが違うスローナンバーなんですが、僕の90年代ベストソング、トップ20には入る名曲です。
フェイクアニより先でスマヌが
毎度、いつもは朝の個室で読ませて頂きますが、今日は自宅で飲んでる時間に携帯が鳴った(更新ありのメール)ので…。
いやなんか感動しちゃった。”STAND BY ME”を見た感じというか、あ~いい年頃と時代、そして人見知りと照れくささと厚かましさと大きなお世話の末の友達関係…..って、私にも誰にもあった同性のその、、馴れ初め。
いい!。第三者の私も胸キュンする!
あの年代、その年頃…..。
いや、本当は今でもそういうふうじゃなきゃいけないんじゃないか?と自分に対して思うのですが、そうじゃないのは、老け始めてるのかっ?