No.386 ニルヴァーナ/オール・アポロジーズ (1993)

In Utero - 20th Anniversary Remaster
≪オールタイム・グレイテスト・ソング 500≫ その386
Nirvana – All Apologies

あの日の記憶はいまだに残っている。
1994年4月のことだ。

わたしが昼頃に起き出して仕事に行く用意をしていると、TVのニュースで、「アメリカのロックグループ、ニルヴァーナのカート・コバーンさんが死去しました。27歳でした。死因は自殺とみられています」と伝えられた。

その時に流れた映像がMTVアンプラグドに出演してこの「オール・アポロジーズ」を歌っているところだった。
わたしはそれまできいたどんなウソよりも信じがたい気持ちで、口をぽかんとあけて座り込んだままだった。きっと半笑いみたいな半泣きみたいなアホみたいな顔をしていたにちがいない。

27歳で死んだアーティストはなぜか多い。
ロバート・ジョンソン、ジミ・ヘンドリックス、ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン、エイミー・ワインハウス、バッドフィンガーのピート、マニックスのリッチー、などなど。
《27クラブ》などとも呼ばれていて、実際には無名なアーティストも入れると50人を超える人数になるらしい。

カートの母は「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」と嘆いたと伝えられている。
わたしも母上にまったく同感である。
最高のロックアーティストだが、愚か者だ。

そのアナウンサーは続けて、「これでニルヴァーナは終わり、グランジブームも終わり、そして1950年代から始まったロックの歴史も、本日をもって幕を下ろすことになるでしょう」と言ったような気がしたのだけど、それはもしかするとわたしの妄想だったのかもしれない。

「オール・アポロジーズ」はニルヴァーナの3rdアルバム『イン・ユーテロ』の最後に収録された曲で、静かで印象的なメロディにのせて「全部おれが悪かったんだ」と謝る歌だ。

これがおれなんだ
他にできることもないし
謝るしかないんだ
おれがおまえみたいだったらよかったのに
はしゃいで気休めをさがすんだ
でもぜんぶおれの責任、おれが悪いんだ

太陽の下なら、ひとつになれる
明るい陽の光を浴びて
ひとつになったように感じて
そして結婚して
埋葬されるんだ
(written by Kurt Cobain)

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コメント

  1. 匿名 より:

    初めてお便りします。一年弱ブログを楽しみに観ております。
    今回のディランの回も楽しみです。『奇妙な世界に』を待っております。
    この二年位は、やっているDJの影響もあり音響と言いますか、音圧に興味が行きましてマイブラのラヴレスばっかりです。ただDJでは速度が安定しないので、中々使い難いですが。
    ジャームッシュ、ヴェンダースの比較の回が読みごたえがありました。出来ましたら、ガスヴァンサント、ウォンカーワイなどの音楽映画以外の思い出などもお聞きしてみたいです。
    大阪天満の、音の噺も聴こえない居酒屋から失礼致します。
    あっ追伸、世代的に頑張れ小山田、小沢もお願い致します。一人で酔っぱらってきました。

    • ゴロー より:

      ありがとうございます!

      出てくる固有名詞が全部、同じ時代に同じものを観たり聴いたりしてきたんだろうなあと推察できるものばかりで嬉しいです。

      映画のことも書きたいなとときどき思うのですが、映画のブログなんかはあんまりやりたいと思わない。このブログで音楽映画でもない映画について書いても許してもらえるなら書くかもしれません(笑)

      フリッパーズのことはそのうち書くと思います。
      できればあの件に触れなくてもいいような時期になってから書きたいけど(笑)

      またぜひ酔っぱらいながら読んでくださるとうれしいです。
      わたしも酔っぱらいながら書いてる記事もまあまああるので、酔っぱらって読むのがちょうどいいぐらいのブログだと思っています(笑)

      • 匿名 より:

        ご返信、ありがとうございました。あまり機械というものを信じてない者なのですが、昔の雑誌の投稿から来た郵便ぐらい嬉しく思っております。
        先日は、初めてのコメントに緊張しすぎましてオールアポロジーズのブログから入ったのをすっかり忘れておりました。
        1994年4月10日日曜日、朝のことは覚えております。あのNHKの20秒の速報、前の日のFMが速く伝えたこと、凄く暖っかた日でした。
        前の年の10月に出たインユーテロが、高校2年の胸の中の黒い抜毛のみたいなものが絡まって丸いものを音になるんじないか、いやこれだと。
        ジギースターダストもそうですが、インユーテロも聴き側の顔擦れ、僕はで唄われるのが好みだと最近、また沸々と実感致しました。
        そのあとの、11月のアンプラグドは「この人は、死ぬんだ」しかありませんでした。
        ユリが綺麗で。
        1994年4月10日の夕方、たまらくなりロッキングオンに電話をしました、対応してくれたのが、タナソウさんでした。
        余り虚ろだったのですが、東北の訛りが強くて励まされたのは憶えております。
        そして、その日は3月31日に買ったスチャラタラ外伝を通しで何回も聴き、高校2年の春休みは終わりました。
        大阪、天満の音もない呑屋から失礼しました。あーEDMっていうのばっかりだべ。